沖縄一覧

『マンガで伝える沖縄戦』に込めた思い

琉球新報社編集局デザイングループ 仲本 文子

仲本文子作、琉球新報社刊、定価各1600円+税

 

 

 

 

 

 

 恥ずかしながら私は新聞社に勤めているにもかかわらず、昔から活字が苦手です。琉球新報では沖縄戦や政治、経済、文化的な記事が日々掲載されます。どれも私たち沖縄県民にとって重要な内容ですが、私のような活字嫌い人間にとって、漢字や専門用語が並んだ新聞記事を全て読み込むのは大変な作業でもあります。「マンガ」という手法で沖縄戦を表現したのは「私のような活字嫌いな人や、まだ漢字の読めない子どもにも沖縄戦を伝えたい」と思ったからです。

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沖縄の日本復帰50年

沖縄問題は、本土の問題、日本政治の問題

元自民党幹事長 山崎 拓

 

 

 

 

 沖縄が復帰してから50年もたつわけです。しかし、今も、基地負担が大きくのしかかっている。本土の政治家として、そのことに深く責任を感じます。
 「オール沖縄」の勢力で県政を担っている玉城デニー知事が、その解決を求めるのは当然です。普天間基地の辺野古への移設について反対だというのは、県民投票などで示された県民の意思、総意であるわけで、県政を預かる知事がそれを進めるのは民主主義から言っても当然です。そこは私も理解します。

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日本を戦場にする米国「台湾有事」戦略

日中平和友好条約こそ基本

参議院議員 伊波 洋一

 

 

 

戦争あおる南西諸島の軍事化

 私はオール沖縄の参議院議員として外交防衛委員会で、南西諸島の軍事化の問題を重視して取り組んでまいりました。

 今、私たちの国はたいへん危険な方向に向かっています。10年の中国漁船と海上保安庁の巡視艇の衝突事故を契機に12年に尖閣諸島が国有化され、日中関係がたいへん厳しい状況になっていく中で、「南西諸島の軍事化」が米国から日本に求められたと思っています。現在は、日本が自らの国益や本来の主権を見失って、アメリカの意のままに翻弄される状況です。

 今年1月7日に開催された日米の外務・防衛閣僚2+2協議では共同通信が報じた自衛隊と米海兵隊の台湾有事の共同作戦計画原案をさらに進展させる南西諸島の自衛隊基地の日米共同使用や「日米共同作戦」策定の合意となりました。5月5日には岸防衛大臣がワシントンでオースティン米国防長官と会談し、日本の防衛力の抜本的強化と双方の戦略を緊密な協議を通じて擦り合わせていくことを確認しました。まさに戦争への道をまっしぐらに進む状況になっています。

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復帰50年 県民大会開催される 大城 貴代子

沖縄は本当に変わったか?

 

沖縄県女性団体連絡協議会前会長 大城 貴代子さん

 

 

 

「沖縄病」に罹った私

 私は、山口県の出身です。うちなーんちゅになって68年になります。
 まだ復帰前の1963年、沖縄から訪れた青年団との交流の時のことです。「沖縄の青年たちは、何を青年団活動でやっているの?」と聞きましたら、「復帰運動」と言ったのですね。「復帰運動」?それ何という感じでした。私は、「ひめゆりの塔」の映画とかは学校で見に行き、奄美諸島が日本復帰したというのは、小学校の6年生の頃だったんですが、新聞を見て知っていましたが、沖縄の復帰運動のことはまったく知りませんでした。

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復帰50年 県民大会開催される 新川 秀清

戦場だったところに嘉手納基地はあるのです

 

第4次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団 団長 新川 秀清さん

 

 

 

 

 「戦世(いくさゆー)」から77年、「復帰」から50年がたちました。
 私たち基地周辺に住んでいる住民が、これでは「にじてぃ にじららん」(耐えようにも耐えられない)ということで立ち上がって、嘉手納基地の爆音を止めろという裁判を提起してから40年です。今年、第4次の爆音訴訟を提訴いたしました。

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復帰50年 県民大会開催される

基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざす

 

 

 

 

 

 沖縄の施政権返還(日本復帰)50年を目前に那覇市で4月30日、「復帰50年・基地のない平和で誇りある豊かな沖縄をめざすオンライン県民大会~屋良建議書は実現されたのか~」(同実行委員会主催)が開催された。

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「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を断固支持する

「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を断固支持する

 

自主・平和・民主のための広範な国民連合

 

 沖縄県玉城デニー知事は、施政権返還(日本復帰)50年に合わせ、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を庁議で決定した。われわれは、この新建議書を断固支持し、わが国政府が全面的に受け入れるよう強く求める。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  玉城 愛

復帰50年に思うこと

 

うるま市 27歳 玉城 愛

 

 「復帰50年」の節目に私が考えていることはいくつかある。沖縄における性差別問題や、沖縄における「復帰運動と天皇制」についてだ。
 私が沖縄の「復帰50年」に思うことは、「特別」で「めでたく」、「喜ばしい」ことではないことは確かだ。今日も続く天皇制、第二次世界大戦末期の沖縄戦と日本の敗戦、そして沖縄の米軍政府による統治を、私は、沖縄は、忘れてはいない。「復帰50年」は、日本が沖縄を統治するために、沖縄の「節目」を装った日本政府によるプロパガンダにすぎないからだ。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  翁長 雄治

県民が主体的に平和な暮らしを渇望して選択したのだが

 

新しい風・にぬふぁぶし 幹事長/沖縄県議会議員 翁長 雄治

 

 

 「復帰」と言うと、沖縄県内にも若い世代にはピンとこない人も多くいる。私も1987年、復帰から15年たった年に生まれていて、当たり前に日本国民として生活をしてきた。日本の憲法のもと教育を受け、医療・福祉などの社会保障制度を享受してきた。さらには、日本の安全保障における重要な役割をもつ日米安保の維持のための在日米軍施設についても、「日本国民」として当たり前の負担として、深く考えずその問題に接してきていたと思う。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  新垣 邦男

改憲より地位協定改定が先だ

 

衆議院議員 新垣 邦男

 

 

復帰闘った親世代の思い

 今年復帰50年を迎えますが、当事、私は高校に入ったころです。復帰前の運動の印象は強烈にありますね。沖縄が日本に復帰するんだということで、大人たちが頑張って運動を進めていましたから。
 実は父が教員で、戦前も教員をやっていました。厳しい親でしたが、戦時中の教育に忸怩たる思いがあったのかもしれません。東京で学生運動の影響を受けた兄が帰ってきたときに、若気のいたりでえらそうに父を問い詰めても、父は全然反論もしないし何も言わないんです。でも、なんとなく寂しそうな顔でいたことを覚えています。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  松元 剛

「返るべき祖国だったのか」

 

琉球新報社取締役編集局長 松元 剛

 

 

 「沖縄がこれまで歩んできた歴史の一こま一こまをひもとき、終戦以来ひたすらに復帰を願い、必ず実現することを信じ、長く苦しく、そして厳しかったこれまでの日々を思い起こすとき、県民とともに言い知れない感激とひとしおの感慨を覚えるものであります。鉄石のような厚い壁を乗り越え、険しい山をよじ登り、イバラの障害を踏み分けてついに悲願を達成し、復帰にたどりついてここに至りました。

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特集 沖縄「日本復帰」50年――日本復帰50年を検証する

対米従属の呪縛から脱却を

 

広範な国民連合顧問・元沖縄県教職員組合委員長 石川 元平

 

 

天皇メッセージの検証を

 沖縄の「日本復帰50年」を検証することは、即、日本の戦後史を検証することにもつながると思うので、勝手ながら持論を述べさせていただく。
 はじめに、「昭和天皇メッセージ」がもたらしたものについて検証したい。
 1947年9月と48年2月のメッセージはよく知られているが、50年6月26日、米国の国務長官顧問のダレスが朝鮮戦争勃発の翌日、帰米の途中に天皇に会い、そこで発せられた「第3のメッセージ」についてはあまり知られていない(中小企業組合総合研究所発行『提言』2016年5月1日号、「日米安保条約と日本国憲法」参照)。

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特集 沖縄「日本復帰」50年 ――城間幹子 那覇市長に聞く

じわじわと積み重なった平和への思い
強い気持ちで戦争を拒絶

 

沖縄で教育者として長く子どもたちを育て、教育長を経て政治の世界で活躍する城間幹子那覇市長に、復帰50年に対する思いを聞いた。聞き手は山内末子沖縄県議。(文責、見出しとも編集部)

 

城間幹子那覇市長

山内末子沖縄県議(以下、山内) 那覇市も昨年市制100年となり、沖縄県は今年復帰50周年の節目の年を迎えました。復帰当時、城間さんは何をされていたのか、お聞かせください。

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特集 沖縄「日本復帰」50年 ――変わらぬ現実

沖縄の提起をしっかりと受け止めなくてはならない

 

編集長 山本 正治

 5月15日、沖縄の「日本復帰」50年の日を迎える。本号は、この日を迎えるにあたっての問題提起を沖縄の各方面の方々に伺った。
 石川元平さんは、「この国の不幸は、不都合な過去に目を閉ざして、戦後総括をしてこなかったことだと思っている。したがって、沖縄復帰50年を機に、改めてこの国の戦後史を検証してほしいと切望する」と結んだ。
 そもそも、「復帰」と言うが、「本土」復帰なのか、「日本」復帰なのか。「復帰」なのか、「施政権返還」か。どう表現するか迷った。表記は、それぞれの筆者のままにした。
 復帰50年に際してまず考えるべきは、何故に、50年前に「日本復帰」となったかである。すなわち、それ以前に「日本でない」状況があったわけで、それはいかにして発生したのか。「復帰」で事態は変わったのか。

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