最近の内外情勢について ――老人の繰り言――(下)
元駐中国、インド大使 谷野 作太郎
五、中国に似てきた?
インド
(1)次に、これも現役時代、縁を得たインドのことについて少しお話ししたいと思います。私は1995年から98年まで、駐インド大使の任をいただきました。私も家内もすっかりインドにはまってしまいました。暑い? 確かにそうですが、日本と違って湿度はそれほど高くない。40度を超える暑さの中でも水筒をぶら下げながら、インドの友人たちとゴルフに興じたものです。
元駐中国、インド大使 谷野 作太郎
(1)次に、これも現役時代、縁を得たインドのことについて少しお話ししたいと思います。私は1995年から98年まで、駐インド大使の任をいただきました。私も家内もすっかりインドにはまってしまいました。暑い? 確かにそうですが、日本と違って湿度はそれほど高くない。40度を超える暑さの中でも水筒をぶら下げながら、インドの友人たちとゴルフに興じたものです。
東京大学社会科学研究所教授 丸川 知雄
日中の平和と友好が大事と考える人々にとって今年(2023年)の夏はなかなかつらかったと思う。いうまでもなく、福島第一原発の敷地内に溜まった核汚染水を処理した水を海洋に放出する作業が始まったからである。日本政府と東京電力は、汚染水に含まれる放射性物質を極力取り除くものの、トリチウムは濾過しても取り除けないので海水で希釈したうえで放出するのだと説明している。
『日本の進路』編集部
10月23日、日中平和友好条約発効から45周年を迎える。「国交正常化共同声明での原則」や「平和5原則」などにのっとった両国関係を再確認し、もっと前へ進まなくてはならない。
1931年9月18日に満州事変・中国侵略戦争を本格化させて47年、日本敗戦から33年、ようやくわが国は中国と条約で正常化を実現した。日本は日米安保体制下だったが中国と協力関係を強化する道に進んだ。
東アジア共同体研究所長(元外務省情報局長) 孫崎 享
今日日本の外交安全保障政策は米国との「同盟関係(本質は日本の米国への隷属)」を最優先し、この枠内で動く。日中関係は日本や中国独自の選択で動くのではなく、米国の指示の範囲内で動く。
そして、「米国の中国への認識、関与の仕方が変わると、それは日中関係にも影響する」ことを十分に認識しておく必要がある。
日中平和友好条約45周年
アジアサイエンスパーク協会名誉会長・元神奈川県副知事 久保 孝雄
現代はいくつもの世界的構造変化が重なって進行している世界史の大転換期である。アメリカの世界覇権が崩壊しつつあるだけでなく、西洋による世界支配も終わりつつある一方、アジア、グローバルサウスの台頭が続く。この世界史的構造変動を起動し、駆動している最大の要因は中国の台頭である。1949年の中華人民共和国の誕生、その後の躍進、世界大国としての台頭がアジアを変え、世界を変え、国際関係を変えつつある。
『日本の進路』編集部
沖縄県は6月23日「慰霊の日」を迎え、8月15日には日本敗戦から78年を迎える。一方、8月12日は日中平和友好条約45周年の記念すべき日だ。
岸田政権は通常国会で軍事費増を担保する特別措置法を成立させた。中国を事実上の「敵国」扱いし、歴代自民党政権が曲がりなりにも堅持してきた「専守防衛」の原則を投げ捨て、軍事大国への道を公然と進み始めた。
こうした岸田政権に反対し、平和国家として近隣諸国地域との対話と交流強化をめざす動きも進んだ。とくに沖縄県の㆒連の動きは象徴的で、県の「地域外交」が始動し、間もなく玉城デニー知事も訪中する。平和をめざす県民運動では若者を先頭に新しい動きも進む。
6月24日にはシンポジウム「沖縄を平和のハブとする東アジア対話交流」も成功した。
こうした新しい流れを促進し全国に広げ、自主・平和の外交で東アジアの平和と安定、繁栄につなげる時だ。日中平和友好条約45周年をその時にしようではないか。