日中平和友好条約45周年 谷野 作太郎(下)

最近の内外情勢について ――老人の繰り言――(下)

元駐中国、インド大使 谷野 作太郎

五、中国に似てきた?
インド

 (1)次に、これも現役時代、縁を得たインドのことについて少しお話ししたいと思います。私は1995年から98年まで、駐インド大使の任をいただきました。私も家内もすっかりインドにはまってしまいました。暑い? 確かにそうですが、日本と違って湿度はそれほど高くない。40度を超える暑さの中でも水筒をぶら下げながら、インドの友人たちとゴルフに興じたものです。


 それに、その後赴任した中国と違い、その頃のインドではメディアも、例えば核の問題などについて、自由闊達な議論が闘わされ、司法界でも最高裁は「active judiciary」がいわれ、判事は社会的に尊敬を集めた最高の人材を集め、司法の独立がありました。セキュラリズム(宗教と政治の分離)も守られていました。
 しかし、その後、ヒンドゥーナショナリズムに立脚するBJPが政権を奪取し第2期に入ると、とくにモスレム勢力に対する強権的姿勢が目立ちます。かねてより厄介の象徴的存在だったカシミール州(大半がモスレム勢力)が二つに分断され、それぞれ中央の連邦直轄地にされてしまいました。メディア、司法の世界でも、現政権への忖度の風潮が広がっているということも耳にします。
 (2)モディ首相についてお話しすると、彼は出身地のグジャラートを「インドのデトロイトにする」と雄たけびをあげ、その後連邦の首相になってからは「Made in India!」のスローガンを掲げて外国からの製造業の誘致に熱心に取り組みました。他方、グジャラート州首相時代の2002年、彼の地で起こったモスレムの人たちの多くの血が流れた暴動騒ぎへの関与が疑われ、欧米諸国は彼へのビザを止めたほどでした。また、彼の右腕だったアミット・シャーという政治家は、殺人罪の嫌疑がかけられました。ちなみに、この人は今は連邦政府の内務大臣という要職にあります。しかし、そのモディ政権の下でインドの経済発展はそのスピードも含めて、目を見張るものがあります。
 (3)昨年秋、鈴木修さん(スズキ自動車前会長)からインド進出40年を記念した記念行事へのお誘いを受け、4年ぶりにインドに行きました。スズキが大きな工場を展開しているグジャラートの首都アーメダバードには、4年前にはなかったすばらしいホテル、地方へ延びたハイウエーも出来上がっていました。
 今日、インドでは「スズキ」を除けば、語るべき日印合弁プロジェクトは何ひとつありません。40年前、日本の自動車業界がインドからの熱心な誘いを相手にしなかったなかで、「よし、インドに出て1位になってみせる!」と鈴木修社長(当時)の決断。その後、日本の家電、ケータイの類いは中国、韓国の攻勢の下、次々と撤退していきました。もっとも、そのスズキも韓国の追い上げに遭い、かつて60%を超えるシェアが今では40%になっています。
 他方、インド全体を見れば、国土も広大で経済発展もまだら模様。特に電力、ハイウエー、鉄道、飛行場など経済インフラの分野は、その伸びしろは無尽蔵です。日本は、どうやってそこに食らいついていくか、ということです。もっとも高速鉄道の分野だけは円借款の支援もあって存在感を増しつつありますが。
 とにかくインドと日本は企業文化が大きく違う。何につけてもずぼらで、「ノープロブレム! さあ一緒にやろうよ」と言うインドと、とにかく、小さな「プロブレム」ほど気になって、しかも、諸事ボトムアップの日本。そんななか、トップダウンでアグレッシブな中国や韓国、はたまた欧米の企業(インドではやはり英語がモノをいう)にビジネスチャンスを奪われていく。もっとも、あれから30年。日本でも世代交代が進み、若くてたくましい企業人が育ってきているものと期待しています。

六、政治の劣化が進む日本

 最後にわが日本について。今の日本についていろいろと心配な点があります。とくに国の統治(ガバナンス)のバランスが著しく崩れてきているのではないかということが気になります。立法府(国会)、行政府(わが古巣の「霞が関村」)、さらに言えば行政府の一部としてとらえられる検察。そして、その中にあって突出した総理官邸の存在。
 私も官邸勤めが長かったものですから(総理大臣秘書官、内閣外政審議室長)、悲しい性として新聞の「総理の一日の動静」に目がいくのですが、各省の次官が配下の局長たちを引き連れてひんぱんに官邸に赴く情況を目にします。外務省についてはそんなことは、総理大臣の外国公式訪問を控えての勉強会の時だけでした。外務次官は歴代内閣の申し送りとして、国際情勢の説明のため、週に1回単身で官邸に赴いていましたが、他の省庁は官邸に出入りするのは局長たち。歴代の内閣官房長官方は「どうしてもまとまらない案件だけを官邸に持って来てもらう。総理はじっくり時間を得て沈思黙考、奥の院ですごみをきかせて……」と言っておられたものです。
 もっとも、その後、グローバリゼーションの到来、世の中の仕組みも複雑になり、それまでの縦割り行政では対応できない案件が増えてきた。政府の中枢の「内閣官房」に大きな権限を持たせ、時々の案件を時間をかけないで裁いていく。そしてそのためには総理大臣(政治)が先頭に立つべしということになった。これは時代の要請でもありました。
 かくして、中曽根内閣の頃から内閣官房強化の方策(内政、外政審議室の設置)が実現し、橋本内閣の時に省庁の改変も含めて実施に移されました(しかし、今になってみると、省庁の再編成にしても、膨大な事務量を一省で抱え込むことになった厚労省の例など、「成功」というより「失敗」の方が目立ちます)。
 「内閣官房」の情況を比較してみると、安倍内閣の頃から一挙に大所帯となり××総合戦略室、〇〇対策推進室といったところがずらりと並び、政権内には「デジタル田園都市国家構想実現会議」などの会議も立ち並ぶ。正直なところ、そのすべてがうまく機能しているかな?と。思い切って整理できないものか、と思ったりします。最近、某省の事務次官が「官邸入り」という記事を目にしました。このような事例は少なくありません。となると、各省庁の高官たちは「あわよくば」の思いから、どうしても「官邸に対する忖度の文化」の囚になってしまう。そうして、この人たちが人事も含め些事に至るまで、官邸から霞が関村に指示する。これが冒頭に触れたバランスのとれた国の統治という視点から良いことかどうか。昔は、事務次官方はそのポストをもって「宮仕え」の最終地点と心得ていたものです。
 やはり、国の大きな方針を決めるのは閣議、そのあとは、各省庁の大臣以下がその執行に向けて思う存分に汗をかく。遅滞しているところは、総理大臣の意向を受けて官房長官が各省庁の大臣や次官を督励するというのが本来の姿ではないでしょうか。
 もっとも、総理大臣は「奥の院で、沈思黙考」だけではダメで、国民に語りかけ、理解を得る努力は必要。そのためには、記者会見の回数を大幅に増やすことが必要なのではないかとも思っています。そして、その場で、例えば世界最悪の財政赤字を抱える日本が、なぜ、防衛費を一挙に1・6倍増にして世界第3の軍事大国になろうとするのか、その辺のことについてもっと総理自ら国民の理解を得る努力が必要です。
 ちなみに、政治家OBの間には、1994年に導入された小選挙区制が、自民党総裁を兼ねる総理大臣に立候補者公認の権限をもたせることになった結果、立法府に属する自民党議員と行政府の長である総理大臣との間の力関係が大きく崩れ、バランスを欠く結果になったという向きもあるようです。小選挙区制導入についての反省の弁は、私自身、河野洋平氏(当時の自民党総裁)から何度かうかがったことがあります。他方、この時のもう一方の当事者細川護煕氏(当時首相)は、「政治とカネの問題は大きく改善された。それにこの新しい制度の下、国民が期待する政権交代が起こったではないか」とおっしゃっています。なかなか、むずかしいものですね。

七、米国からいま少し、自主的な立場を

 そんななか、やはりどうしても気になるのが棒を吞んだような米国の対中姿勢に対する日本の立ち位置です。米国が今のような施策をとらざるを得ない、その多くの原因が中国の立ち振る舞いにあることは間違いありませんが、それにしても……という感じです。事実、米中が角突き合わせるなかにあって多くのASEANの国は「Don’t force us to choice between the U.S and China!」と音を上げています。
 米国の強い対中経済政策の背景には、衰退した米国の製造業の復活への期待があることは間違いない。昔、日本の半導体業界が、米国の強圧の下、日米半導体協定によって衰退に追い込まれたことを思い出します。とすれば、日本も、もっと自主性をもって、ASEAN諸国の気持ちもふまえつつ、米国と議論を尽くすべきでしょう。「経済安全保障」の重要性については考え方を共にするものの、他方、経済のグローバリゼーションが進むなか、そこは対象分野を主要軍事技術分野にしぼり厳格に進めるべきでしょう。
 米国からの武器の調達についても、何年も先まで決まっていて動かせないものが多いらしい。値決めにしても先方の言いなりになっているのではないか。気になるところです。
 ところで、最近国会で、超党派で「石橋湛山議連」(代表は岩屋毅議員他)が立ち上がったというニュースを読みました。石橋湛山という人は「満州を放棄せよ」と「小日本主義」(小国日本主義ではありません)を主張し、リアリズムに基づく平和主義を主張した人。「議連」の主張も、日本は「米国か中国」という「二者択一」でなく米中の間でバランスを取りながら日本独自の方向をめざすべし、ということのようです。今後の活動を注目しているのですが、どうなりますか。
 そんななか、肝心の経済界の声があまり聞こえてこないのが残念です。日中経済関係についていえば、中国側は日本からの投資をということで、投資誘致の代表団が日本にやって来ています。そこで具体的な段階になると日本側の企業は、当然候補のパートナーの財務諸表はじめいろいろな点について調査に入るでしょう。しかし、これをやり過ぎると「反スパイ法」で手が後ろに回りかねない。この辺のことは一体どうなっているのでしょう? 日本の経済界もこのようなことについて、どんどん声を上げるべきです。

八、日本良いとこ、でも……

 今の日本については、ブラック化する霞が関村(若い優秀な人材が辞めていく。国家公務員志望者も激減)、極端な東京の一極集中、人口減少が止まらない、国際競争力の低下、実質賃金が20年にわたり横ばい……と心配な点を挙げればきりがありません。
 しかし、そんな日本ばかりではありません。日本は依然「良いとこ、住み良いとこ」です。世界経済フォーラムが昨年発表した旅行・観光の魅力度ランキングで日本は初めて第1位になりました。
 問題は日本の将来。日本は大学なども国際競争力を落としているという点。このままではやはり、孫たちの代の日本が心配です。新しい国づくりの設計図を描く時に来ているのではないかという気がします。日本が政策のよろしさを得て、小さくともきらりと輝く極東の国日本をめざして、どこかで大きく反転することを期待しています。