沖縄一覧

特集 沖縄「日本復帰」50年  玉城 愛

復帰50年に思うこと

うるま市 27歳 玉城 愛

 

 「復帰50年」の節目に私が考えていることはいくつかある。沖縄における性差別問題や、沖縄における「復帰運動と天皇制」についてだ。
 私が沖縄の「復帰50年」に思うことは、「特別」で「めでたく」、「喜ばしい」ことではないことは確かだ。今日も続く天皇制、第二次世界大戦末期の沖縄戦と日本の敗戦、そして沖縄の米軍政府による統治を、私は、沖縄は、忘れてはいない。「復帰50年」は、日本が沖縄を統治するために、沖縄の「節目」を装った日本政府によるプロパガンダにすぎないからだ。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  翁長 雄治

県民が主体的に平和な暮らしを渇望して選択したのだが

新しい風・にぬふぁぶし 幹事長/沖縄県議会議員 翁長 雄治

 

 

 「復帰」と言うと、沖縄県内にも若い世代にはピンとこない人も多くいる。私も1987年、復帰から15年たった年に生まれていて、当たり前に日本国民として生活をしてきた。日本の憲法のもと教育を受け、医療・福祉などの社会保障制度を享受してきた。さらには、日本の安全保障における重要な役割をもつ日米安保の維持のための在日米軍施設についても、「日本国民」として当たり前の負担として、深く考えずその問題に接してきていたと思う。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  新垣 邦男

改憲より地位協定改定が先だ

衆議院議員 新垣 邦男

復帰闘った親世代の思い

 今年復帰50年を迎えますが、当事、私は高校に入ったころです。復帰前の運動の印象は強烈にありますね。沖縄が日本に復帰するんだということで、大人たちが頑張って運動を進めていましたから。
 実は父が教員で、戦前も教員をやっていました。厳しい親でしたが、戦時中の教育に忸怩たる思いがあったのかもしれません。東京で学生運動の影響を受けた兄が帰ってきたときに、若気のいたりでえらそうに父を問い詰めても、父は全然反論もしないし何も言わないんです。でも、なんとなく寂しそうな顔でいたことを覚えています。

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特集 沖縄「日本復帰」50年  松元 剛

「返るべき祖国だったのか」

琉球新報社取締役編集局長 松元 剛

 「沖縄がこれまで歩んできた歴史の一こま一こまをひもとき、終戦以来ひたすらに復帰を願い、必ず実現することを信じ、長く苦しく、そして厳しかったこれまでの日々を思い起こすとき、県民とともに言い知れない感激とひとしおの感慨を覚えるものであります。鉄石のような厚い壁を乗り越え、険しい山をよじ登り、イバラの障害を踏み分けてついに悲願を達成し、復帰にたどりついてここに至りました。

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特集 沖縄「日本復帰」50年――日本復帰50年を検証する

対米従属の呪縛から脱却を

広範な国民連合顧問・元沖縄県教職員組合委員長 石川 元平

 

天皇メッセージの検証を

 沖縄の「日本復帰50年」を検証することは、即、日本の戦後史を検証することにもつながると思うので、勝手ながら持論を述べさせていただく。
 はじめに、「昭和天皇メッセージ」がもたらしたものについて検証したい。
 1947年9月と48年2月のメッセージはよく知られているが、50年6月26日、米国の国務長官顧問のダレスが朝鮮戦争勃発の翌日、帰米の途中に天皇に会い、そこで発せられた「第3のメッセージ」についてはあまり知られていない(中小企業組合総合研究所発行『提言』2016年5月1日号、「日米安保条約と日本国憲法」参照)。

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特集 沖縄「日本復帰」50年 ――城間幹子 那覇市長に聞く

じわじわと積み重なった平和への思い
強い気持ちで戦争を拒絶

沖縄で教育者として長く子どもたちを育て、教育長を経て政治の世界で活躍する城間幹子那覇市長に、復帰50年に対する思いを聞いた。聞き手は山内末子沖縄県議。(文責、見出しとも編集部)

 

城間幹子那覇市長

山内末子沖縄県議(以下、山内) 那覇市も昨年市制100年となり、沖縄県は今年復帰50周年の節目の年を迎えました。復帰当時、城間さんは何をされていたのか、お聞かせください。

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特集 沖縄「日本復帰」50年 ――変わらぬ現実

沖縄の提起をしっかりと受け止めなくてはならない

編集長 山本 正治

 5月15日、沖縄の「日本復帰」50年の日を迎える。本号は、この日を迎えるにあたっての問題提起を沖縄の各方面の方々に伺った。
 石川元平さんは、「この国の不幸は、不都合な過去に目を閉ざして、戦後総括をしてこなかったことだと思っている。したがって、沖縄復帰50年を機に、改めてこの国の戦後史を検証してほしいと切望する」と結んだ。
 そもそも、「復帰」と言うが、「本土」復帰なのか、「日本」復帰なのか。「復帰」なのか、「施政権返還」か。どう表現するか迷った。表記は、それぞれの筆者のままにした。
 復帰50年に際してまず考えるべきは、何故に、50年前に「日本復帰」となったかである。すなわち、それ以前に「日本でない」状況があったわけで、それはいかにして発生したのか。「復帰」で事態は変わったのか。

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僕のアイデンティティーは石垣人~アジア人

ミサイル基地ではなく民間外交で平和を模索する

石垣市議会議員 花谷史郎さん

台湾有事を想定した自衛隊ミサイル基地建設が進む石垣島で、農業を営み基地建設に反対し平和な島を守る先頭に立っている石垣市議会議員・花谷史郎さんに話を聞いた。(見出しとも文責編集部)

 

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復帰50周年 沖縄米軍支配の現状はヤマトの歴史的責任

「本土」は自らの課題として立ち向かわなくてはならない

広範な国民連合代表世話人 西澤 清

 沖縄は5月15日、「復帰」50年を迎える。
 昔、琉球諸島は、豊かで、交易によって栄えた独立王朝の国だった。琉球の交易船はヤマトの堺港から朝鮮、中国、さらにはマニラ、マラッカまで出かけていき巨額の利益を上げ、豊かな国を築いていた。友好的な関係を近隣諸国とつくり上げる中で生きていた。

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主権国家として国民の命を守れ

米軍基地から「染み出した」オミクロン株

全駐労沖縄地区本部・與那覇栄蔵 委員長に聞く

沖縄県でのオミクロン株感染拡大は、一時、「人口比で世界一」と言われ、米軍から広がったと言われる。全駐留軍労働組合沖縄地区本部の與那覇栄蔵委員長に伺った。聞き手は山内末子沖縄県議。

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沖縄 ■ 遺骨土砂問題

あり得ないでしょう、遺骨土砂で米軍基地建設
人の心、日本人の心を失った国策
発信続けて国の暴走止めたい

具志堅隆松さん・西尾慧吾さん新春対談

 

ぐしけん・たかまつ 1954年、沖縄県生まれ。28歳のとき遺骨収集に携わり始め、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(ガマを掘る人の意)を設立。2011年吉川英治文化賞受賞。著書に、『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。サトウキビの島は戦場だった』合同出版(2012年)

 

にしお・けいご 1998年生まれ。米イェール大学在籍。哲学・人類学専攻。2017年から、沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会・学生共同代表

 

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沖縄 ■ 復帰50周年

名護市長選・岸本洋平予定候補へのご支援を!

後援会会長・前名護市長 稲嶺 進

岸本洋平

1972年12月、沖縄県名護市宇茂佐区にて、父・岸本建男(元名護市長)、母・能子の長男として生まれる。屋部小、屋部中で学び、名護高校ではラグビー部で花園出場。明星大学人文学部社会学科卒業。早稲田。大学大学院公共経営研究科修了。サミット事務局勤務後、(医)琉心会 勝山病院 総務課勤務 。2005年、名護市議会議員初当選。4期目。
事務所
〒905-0011 沖縄県名護市宮里 6-2-9-102

 

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