核禁条約 ■ 第3回締約国会議と高校生平和大使の取り組み

日本は『非核3原則』堅持で核禁条約へ即時加盟を

平和活動支援センター 平野 伸人 (被爆体験者訴訟の原告団相談役、全国被爆2世団体連絡協議会・特別顧問)

 今年3月3日(日本時間4日)、アメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれた核兵器禁止条約第3回締約国会議は、5日間の日程で署名国・批准国政府代表等が集まり、核実験による被害者支援と環境回復に向けた話し合いをおこなった。
 2024年11月時点で世界には1万2100発以上の核弾頭があるという。総数では減少傾向にあるとはいえ、すぐに使える核弾頭は増えている。
 核兵器禁止条約は、大量破壊兵器である核兵器の開発、保有、使用、核による威嚇を例外なく禁止する国際条約だ。この条約は21年に発効したが、アメリカやロシア、中国などの核保有国は反対の立場だし、日本を含め、核の傘に依存する国も加盟していない。これまで94カ国の国と地域が署名し、73の国と地域が批准している。
 日本政府はオブザーバー参加も見送った。
 第3回締約国会議には、日本からは核兵器禁止に取り組むNGOメンバーや若者等が多数参加し、議論を見守ると同時に各国から集まった核被害者と交流したり、サイドイベントに参加したりした。高校生平和大使関係からは、長崎1人、広島1人、東京1人の高校生が参加し、準備に奔走してくれた高校生平和大使の先輩たちともども連日の活動に奮闘した。特にアメリカ在住の元高校生平和大使は準備段階からの頑張りで、大きな成果を上げることに貢献してくれた。
 しかし、日本政府は、オブザーバー参加もしないという、唯一の戦争被爆国という役割さえ果たすことができない歴史的醜態をさらした。情けないことだ。
 (日本が不参加だっただけでなく、NATO加盟国のドイツやノルウェーも、過去2回の締約国会議にはオブザーバーとして参加したが今年は見送った。このことについてカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(93)は「はらわたが煮えくりかえる。怒りでいっぱい。この問題を熟知しているはずの日本が出てこない。本当に情けない。ホワイトハウスやペンタゴンににらまれるのが嫌だからだ」と怒りをあらわにした、と朝日新聞は伝えた)

27年の平和大使の蓄積

 長崎の高校生は、毎週日曜日に長崎の繁華街である中央橋で、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める署名活動をおこなっている。27年前に始まった活動だが、27年間で270万筆を超える署名を集め、毎年、高校生平和大使によって国連に届けられている。
 まさに継続は力だ。高校生の言葉を借りれば、「ビリョクだけどムリョクではない」ということだ。この活動に参加した高校生は、全国で6000人あまりになる。また、高校生平和大使として海外で活動した高校生は500人あまりになる。

高校生からの報告

 ニューヨークやノルウェーなどで活動した高校生からは次のような感想が寄せられているので紹介したい。
 毎週日曜日に街頭に立って、高校生1万人署名活動をおこなうことは大変です。多くの仲間と共に頑張ってきました。夏の暑い日も冬の寒い日も、街頭に立つのはつらい時もあります。今でこそ、市民の皆さんからの温かい激励も多いのですが、活動を始めた頃は、「高校生に何ができるのか」などの厳しい言葉を投げかけられることあったと聞きます。それでも27年間も続けられてきたのは、先輩方の努力のたまものだと思います。
 昨年12月に、日本被団協のノーベル平和賞受賞を受けて、私たち高校生平和大使も共に喜びを分かち合いたいと思います。また、若者がこれから被爆者の方の声を引き継いでいくという意思を示していきたいと思います。
 第3回締約国会議では、高校生平和大使の活動の存在感を示した、本当に貴重な体験でした。また、ニューヨークでは、二つの高校を訪問し、同年代のアメリカの高校生とも交流することができました。また、多くの被爆者や平和活動の人たちと交流できたのは、今後の私たちの活動にとっての財産となりました。現地の高校を訪問し出前授業をおこない、同世代の高校生と平和について語り合えたことは大変貴重な体験でした。交流の中では、現地の高校生と日本の高校生とで「折り鶴」を折ったことも心に残りました。
 私たち高校生に対する期待の大きいことも感じました。私たちもこの期待の大きさをしっかり受け止めて、頑張っていこうと思います。私たちの活動のスローガンは「ビリョクだけどムリョクではない」ということです。このスローガンは、先輩の挫折の中から生まれたスローガンです。くじけそうになったときに、つないできた思いを引き継ぎ、しっかりと心に刻みたいと思います。

大きな課題残した
日本政府

 このような若者の頑張りにもかかわらず、今回の締約国会議は、日本にとって大きな課題を残した。もちろん、日本政府のオブザーバー参加の見送りは言うまでもないが、アメリカ政府やEU諸国の対応にも失望を禁じ得ない。各国のアメリカ追従のこのような対応に厳しく対峙しながら、市民社会の活動を進めていくのは簡単ではない。しかし、やらねばならない。高校生をはじめとする若者の感性と頑張りに期待すると同時に、既成の運動体も頑張りどころだ。
 今回の第3回核兵器禁止条約関連で明らかになったことは、サーロー節子さんの言うとおり、「日本政府は本当に情けない」ということでしかない。
 今こそ、日本は『非核3原則』を堅持し核禁条約への即時加盟を図るべき時にきている。しかし、このような状況に至っても、いまだに核の傘に固執し、対米従属の呪縛から逃れることができない。嘆かわしい限りである。しかし、そうはいっても、嘆いてばかりはいられない。

核廃絶へ
新しい運動をめざす

 悲観的な状況の中から、われわれはどうすればよいのか、どう運動を作っていけばよいのか、今後の展望を探ってみたい。
 ①日本被団協のノーベル賞受賞という好機を活かして、世界的な核兵器禁止の機運を一層高めていかなければならない。国際的な世論の高まりを一層確かな潮流としていかなければならない。
 ②その上で、日本政府やアメリカ政府やEU諸国を追い詰めて、考えを変えさせなければならない。
 ③そのためには、既成の運動団体の活成化はもとより、新しい潮流としての、若者との連帯を深めていく必要がある。
 幸いにも、われわれには27年にわたって高校生平和大使を派遣してきた実績がある。これまで活動に参加してきた高校生は6000人、多くが成人して社会の中枢を担うようになった。これは、われわれにも一定の力量が授けられているということではないだろうか。ぜひ、世代間の力を結集していきたいものだ。
 結びに、もう一度、高校生の不滅のスローガン『ビリョクだけどムリョクではない』を、心の糧にして、真の平和運動を作り上げていこう。