連帯できるってめちゃ希望!
大学生 伊礼 悠花さん
国会で入管法改正案審議が大詰めを迎えた5月27日、神奈川県川崎市内で改正案廃案を求めるデモが行われた。土曜日午後、川崎駅周辺を行き交う数千人の人々の注目を集め、沿道から温かい声援や拍手も寄せられた。このデモを企画し実行した大学生の伊礼悠花さん(21)に話を聞いた。
■仲間とつくりあげた
デモ
当日のデモに400人もの人が参加してくれました。学生が呼びかけたからこんなに集まったんじゃなくて、この法案がおかしいというのが皆さんの根底にあったからだと思います。デモ申請で警察署に行った時、神奈川新聞の石橋学さんに取材してもらって、翌日に記事を載せてもらいました。さらには、反貧困ネットワークの事務局長・瀬戸大作さんから紹介していただいた川崎ふれあい館・桜本こども文化センターの職員の方、横浜の寿地域で頑張る医療の方とつながれたこと。川崎駅前での入管法改悪反対アクション参加者に突然デモをやりたいんですと伝えたら、快く承諾してもらい手伝っていただいたこと。入管法以外にも活動を共にしてきた川崎市外の仲間たちと共に連携をとれたこと。すべて私ひとりの力ではなく、思いを同じくする多くの仲間と共につくりあげたから、400人も集ったのだと思います。
デモのコールでは「人権守ろう」「差別をなくそう」「難民守ろう」「入管問題うちらの問題」などラップ調でにぎやかに訴えました。どういった人がデモに参加したのか、私もよく把握していなくて……。でも、川崎で声をあげた意味はあったんじゃないかな。川崎はヘイト禁止条例をつくった町でもあるし、「差別が背景にある川崎でやるって合っている」とか「入管法について声をあげたかったけど川崎でやってくれてありがとう。やっと行けたわ」という人たちもいたので。国会前まで行くのはしんどいという人たちも一定数いたんじゃないかなと思います。
■再エネ通して政治に
関心
大学入学時はコロナで入学式もなく、1年生のときは1回も大学に通えませんでした。そのなかで何かやれないかと教授に相談したら、小田原の近くで地域活性化のプログラムをやっているから参加してみたらと言われました。私は留学したくて国際協力系のことをやりたかったんですけど、コロナでダメになってしまって。とりあえず日本の地域創生にも関心があったので軽いノリで行ったんです。
足柄上郡松田町のミカン山の耕作放棄地を再生させて地域活性化について考えるというプログラムで、これを考えたのがソーラーシェアリングによる再生エネルギー事業という形で脱原発の運動に携わっていた小山田大和さんでした。
そのときはまだ原発に関心がなかったんですけど、そういうことをやっている大人が近くにいるということでめちゃ刺激をもらって「かっこいい」と思いました。なんでその人がそういった思いに突き動かされているのか知りたいと思い、小田原に通いました。そこで再エネについても知り、これはもう原発っていらないねというところまで関心を深掘りすることができました。
でも再エネを広めるためにこんなに頑張っている人がいるのに、運動がなかなか広まらない。背景に何があるんだろうとなったときに、「あっ、これは政治だ」と思ったんですね。政治が邪魔をしているから市民がやりたいと声をあげてもなかなかやれない。再エネやってもお金を地域に落とす仕組みが政治で妨げられているというのに気づいて、政治にも関心が広がっていったんですね。
ちょうどそのとき、去年の夏の参院選があって、神奈川で再エネのことを言っている候補者は浅賀由香さんだけでした。確かに雇用とか経済とか最賃とか安全保障も大事だけど、今まで人々がやってきた人権問題とか、先人たちが少しずつ解決に向けて積み上げてきた基盤というものが一気に崩されかねなかったのが東日本大震災だったのに、みんなそれを忘れてっている。それに気づいて怖くなって、浅香さんを応援しました。そこから政治運動とか学生運動に入っていったという感じですね。
■当事者の言葉に衝撃
入管法改正問題については「やばい、これは止めなきゃ」と思ってデモとかに行っていました。杉並の高円寺のデモで先頭に立つミョーチョーチョーさんを初めて見かけました。「僕はミャンマーのロヒンギャ族です。迫害を受けてました。入管法改正はぜったい止めないといけません」みたいなことを聞いたときに、「ワァー、かっこいい」と思って、その翌日に川崎でもデモをやりたいというふうに思い立ちました。
その後、衆議院議員会館前のシットインで反貧困ネットワークの瀬戸大作さんに出会い、事務所に行ったらそこでミョーチョーチョーさんと再会。「僕は3回難民申請して却下されているから、この改正案が通ったら強制的に送還されちゃう。もしそうなったら日本で自殺を選びます」というふうにはっきりと言われました。その言葉を本人から聞いて、すごいショックを受けたというか、返す言葉もなくて、とにかく衝撃でした。
いま目の前に自殺しようとしている人がいるのに、私は止めることもできないと思って、なんて無力なんだろうと思って、この川崎でも絶対成功させなきゃいけないという思いで、当日まで奔走した感じです。
■身近な人に伝えたい
SNSも大事だけど、実際に足を運んでみないとわからないことってたくさんあるし、その場に行くというのを心がけています。そう思っていろんな集会やデモに出かけLGBTQ+の人とかジェンダーのこともやってましたという人もいました。国会前集会で高校の同級生に偶然会うとかもありました。去年の渋谷の野宿者排除強行で一緒に炊き出しをやった人にもこの問題を通してまた会えました。これは入管だけじゃない、違う問題も全部つながっているし、なんかあったらここでつながった人たちとも連帯できるんだと思って、めちゃ希望だなと思います。
課題もあります。私は授業が終わってコンビニでバイトしてたんですけど、店長から「働いている人たちは半径1メートルくらいを守ることに必死だから、社会課題に目を向けられる人なんていない。こんな活動をしていたら誰もついてきませんよ」と言われてしまいました。身近な悩みって社会と密接だし、政治だって離れているように感じるけど、そこさえ変えれば少しは生きやすくなるんだっていうのを伝えたくて、同僚とか店長とか身近な人たちに情報を伝えていたんですが、全然響かなくて。そういう人たちにさえ届かなかったというのが、まだ力不足だったんだなと思いました。
■政治にモノ申したい
入管のことで日本は国連の勧告すら無視するということがはっきりわかったじゃないですか。それってロシアとやっていることは同じ。日本は戦争には加担しませんと言いながら、やられたらやり返しますと言っている。だけどやり返していたらそれこそ終わりのないところに行っちゃう。ロシア、ウクライナ戦争はいまだに終結していない。
だからなにより戦争をさせないというところにいちばん力を注ぐべきなのに、兵器もどんどん買って、軍拡のための財源予算を確保していってる。ほんとに許せないです。しかもそれで軍需産業が盛り上がり、そこが自民党とずぶずぶな関係というのも気持ちが悪いなと思う。人を殺してお金が入る企業って何って思います。岸田首相は広島のG7でも核を廃絶するために努力しますと言っているけど、言っていることとやっていることが違いすぎる。今の自民党議員の信頼は私の中では崩壊しているし、そういうことを平気でやるから信用をなくすんだよと直接モノ申したいです。
入管施設でウィシュマさんが亡くなった問題で、日本維新の会の梅村みずほ議員が「ハンガーストライキかもしれない」と発言しました。あれは党としての見解だと思うと、すごい腹が立ちました。鈴木宗男議員も国益なくして人権なしとか変な発言してます。彼らが言う国益が何なのか、私は想像もできないというか知りたくもないし、身を切る改革とか言っているけど「市民の身を切っている」とめちゃ思いましたね。あとあと痛い目見るのはもうわかりきっているのに、パフォーマンスにだまされる人たちがいて、議席を増やしている。このまま野党第1党まで奪われてしまうんじゃないか、すごい怖いなと思っています。
私たちの声を代弁してくれる議員もいるけど、今の与党には数の上でかなわない。うちらの声を聞いて審議をしなくちゃいけないのにそれをせずに採決までもっていかれちゃう。議会制民主主義って何?って思いますね。まじで立憲しっかりしてくれと思う。今、泉代表は野党共闘する方向はないみたいなことを言っています。確かに共産党とかにも原因はあるのかもしれないけど、そこでもめるっておかしくないですか。一致点があるのなら少なからずそこで妥協してやらなきゃいけないのに、ほんとに社会を変える気があるのかな。
■バトンをつないでいく
私の人生の目標として、まずいちばん成し遂げたいのは原発をなくすこと。ここはぶれないでやっていこうと思っています。そのためにまず再エネを広げていくというのが、私のやれることなんだろうなと思う。再エネをやっていくにしても、政治の仕組み、社会の仕組みをもっと変えるために市民の運動をもっと同世代の人たちに伝えていきたい。せっかく皆さんがつなげてくれたバトンを次世代の人にも渡していけたらいいなと。もっとも原発は私の代で終わらせたいですよね。
私は川崎生まれですが、ルーツは沖縄県宮古島です。父親から平和の礎に名前があるよって教えてもらって、辺野古の抗議に行ったときに見つけました。宮古島にも基地がつくられていることは知ってはいるんですが、身内でもそういう話にはならない。危機意識もっている人たちなんていないのかな。一人でやっていると情報があまり回ってこないんで、そこらへんをこれから知っていけたらいいなと思います。
私はこれまでのデモは受け身側だったんですが、今回は誰もやらないんだったら私がやるしかないと思いました。私は川崎の人とつながりが全然なかったですし、何からやるのかまったくわからなかったんです。何もない学生が一人でも形にはできたので、私の思いが多くの人に伝播していったらいいなと思います。長期戦でかなり疲れている方もいると思うんですけど、私の無謀なチャレンジを受けて、誰かに勇気が伝わったらいいなと思います。さらには民主主義の根幹というものを一緒につくりあげていけたらいいなと思うので、ぜひ一緒に頑張りましょう。
(6月2日談)