全国地方議員交流研修会で訴えたい 具志堅 隆松

自治体には大きな役割と可能性がある

今度は私たちが「戦没者遺骨」になりかねない!

戦没者遺骨収集・ガマフヤー代表 具志堅 隆松さん

 私は沖縄が急速にキナ臭くなってから、どこでも二つに絞って話しています。一つは戦没者の遺骨が交じった土砂の埋め立てについて、もう一つは戦争(台湾有事)についてです。


 私は長いこと戦没者の遺骨収集をやってきました。その目的は遺骨を家族の元に返すということですが、それが非常に難しい。名前が残っているような遺品だとか万年筆であるとか、そういうものを持っている方は掘り出した100体のうち5体もない。例えば万年筆に名前が彫られていても、フルネームで書かれておればまだしも、例えば渋木とか佐藤とかなかなか読めない。2年前から、沖縄の戦没者遺骨は全部DNA鑑定の対象になりましたが、遺骨のDNA鑑定だけをやっても分かるわけでなく、遺族も参加してもらってはじめてつながるということです。
 76年たってやっと先の戦争の犠牲者を家族の元に帰すという国家事業が始まったということです。喜んでいたのですが、防衛省が戦没者の遺骨が眠っている南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使おうと全く反対のことを言い出しました。埋め立てに南部の石灰岩土砂を使おうとしています。私たちはこれをやめてくれということで、運動を展開しています。
 南部で遺骨が見つかるときに、全身がそろって奇麗な状態で見つかるということはほとんどありません。南部の遺骨の特徴はほとんどが砲撃等を受けて砕けてしまっている破砕遺骨です。一人分まとまって見つかるというのはなかなかなくて、身体がバラバラに吹き飛んでいるような状態で見つかります。さらに、この石灰岩地域で遺骨が見つかるときは骨なのか、石なのか、非常に見分けにくいのです。

「台湾有事」は私たちが「戦没者遺骨」になる道

 防衛省がまたひどいことを言い出しました。「台湾有事」ということで、台湾が独立を宣言するとか、そうなれば習近平さん、中国は武力でも台湾独立を阻止するというふうに言っています。それに対して、バイデン大統領は台湾を防衛するんだということを言っています。中国軍が台湾独立阻止に侵攻したら日米両軍で中国軍を排撃するという内容です。防衛省は沖縄の琉球列島40カ所を攻撃拠点として利用するという言い方をしています。攻撃した島には当然のように相手側からの反撃があります。
 東京の共同通信の記者が、防衛省にそうなったときの避難について聞いたら、「自衛隊には住民を避難させる義務はありません。自治体で避難を考えてください」と答えています。無責任に聞こえるのですが、国民保護法には住民の避難は自治体が責任をもつというようにうたわれています。沖縄県でも避難計画を作成しなければいけなくなっています。
 沖縄の避難計画によると、台湾に近い与那国、石垣、宮古、この3カ所ともミサイル基地があるのですが、そこの住民は3島合わせて12万人、その住民を九州に避難させるという。沖縄本島人は屋内避難や、シェルターの中に避難するということです。
 そもそもこれだけの人間が避難するというのは現実的に無理です。私たちは「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」というのをつくり、沖縄を戦場にさせないためにということでずっと声を上げ続けてきました。「避難」とか「シェルター」というのは戦争を前提とした考え方です。行政はまずそのことを問題にして反対しなければならないとつくづく思います。戦争をしないために全力を尽くして、本当に最後の最後の1パーセントが「避難」や「シェルター」であるべきだと思うのです。それを最初から戦争を前提での話を進めていることに私たちは反対だと声を上げています。

日本は戦争ができる国ではない

 「台湾有事」に絞って言いますけれども、国、防衛省は、沖縄だけの地域限定戦争を考えているかもしれませんが、決してそうではありません。これはもう日中戦争です。そのときに、中国がアメリカ軍に対して反撃すれば沖縄の嘉手納飛行場は残らないということをアメリカ側が認めています。
 アメリカ軍は沖縄だけにいるわけでなく、横須賀、横田、厚木、岩国など全国に米軍基地があります。横須賀は第7艦隊の母港です。自衛隊基地も全国で300近くあり、全て攻撃目標になります。
 自衛隊基地は強靭化計画で司令部機能を地下に移そうとしています。その工事自体も土木業者の利権になりつつあります。
 あと私が心配しているのは54カ所の原発です。この原発に通常ミサイルでも誤爆があれば核攻撃を受けたのと同じことになってしまう。
 また、日本の食料事情を考えるとほとんど海外から輸入している状態、戦争になったら国民を飢え死にさせることになりかねない。貿易も完全に止まって経済も破綻するということです。
 そう考えたとき、日本は戦争ができる国ではありません。
 日本や沖縄が攻撃されるわけでもないのに、中国を敵視するアメリカの尻馬に乗って攻撃を仕掛ける体制をつくる。それは決して賢い選択ではないということを、強く訴えたいと思っています。

若い人たちへの期待

 私たちは「戦争に絶対反対」と言いますが、若い人たちは「争うより、愛しなさい」とか言います。
 若い人たちにとって、一番関心があるのは目の前の自分の生活、家庭であり、あるいは大学生であれば、卒業して仕事に就けるだろうか、結婚して家族を養えるだけの収入があるだろうかとかでしょう。そういう気持ちは分かります。それに全力を尽くすというのは間違っていないと思います。
 でも、そういう自分の利益を追い求めていくと、最後は必ず間違いなく平和に行き着きます。沖縄戦の生き残りの人たち、ゲート前に集まるお年寄りの人たちは政治的なイデオロギーでなく、自分の肌感覚で、自分たちの経験からこれは本当に生存のためにやっている。そこらへんと若い人たち、生活者と確かにずれがあります。
 これは正直言うと沖縄だけの話じゃないと思います。本土でも年配の方、60代も、戦争の体験、空気を少しでも感じた今の親の話をそばで聞いて育ってきました。そういう方々と30代40代ではギャップがあると思います。
 戦没者が眠っている地域の、戦没者の血を吸い込んだ石灰岩、土砂が埋め立てに使われる、それは死者に対する冒瀆だから、刺し違えてでもやめさせるべきだというふうに運動をやっている。そして、今度はそのさなかに沖縄が戦場になろうとしている。
 そのことに対しても反対の声を上げていくという、私にとってこれは二つの問題でなく一つの問題なんです。沖縄に戦没者の遺骨がある、その原因は戦争です。その原因である戦争がまた起きようとしている。今度は私たちが戦没者遺骨になる。
 そういう事態が目の前に迫ってきているという、今まで考えなくてもよかった事態が、今考えなければいけない事態になっている。肌で感じている人は若者も含めて声を上げ始めた。私たちが言うことに耳を傾け、一緒に行動を始めています。

(談、見出しとも文責編集部)