賃上げこそ物価高対策の王道である
ものづくり産業労働組合JAM会長 安河内 賢弘

今日、日本社会が直面している物価高は、多くの人々の生活を不安定にし、将来への展望を曇らせている。食料品やエネルギー、住宅関連費用の上昇は、日々の暮らしに直結する問題であり、とりわけ低所得層や中間層に大きな負担を強いている。
政府は補助金や減税、価格抑制策などを繰り返し打ち出している。だが、それらは一時的な対症療法に過ぎず、問題の根源的な解決には至っていない。
なぜなら、物価高の本質は「物価が上がること」それ自体ではなく、「賃金が上がらないこと」にあるからである。
30年前の間違った判断
本来、資本主義経済において物価は歴史的に上昇を続けるものであり、貨幣価値の低下は避けられない。重要なのは、物価上昇に見合って賃金が引き上げられ、実質賃金が維持・向上することである。
しかし日本では、1990年代後半以降、賃金がほとんど上がらない異常な状況が続いてきた。その結果、家計の購買力は低下し、個人消費は停滞し、経済全体が縮小均衡に陥った。物価高を「抑え込む」ことに政策の力を注ぐのではなく、賃上げによって「乗り越える」視点こそが必要なのである。
振り返れば、「失われた30年」の出発点には、バブル崩壊後の雇用不安と、それに対応する労使の判断があった。労働組合は「雇用を守る」ことを最優先課題とし、賃上げ要求を抑制してきた。経営側もまた、支払い能力主義を盾に賃金抑制を正当化し、コスト削減を成長戦略に据えた。
しかし、その結果は、雇用の安定でも競争力の強化でもなかった。非正規雇用の拡大によって賃金水準は押し下げられ、内需は痩せ細り、日本経済は長期停滞から抜け出せなくなったのである。
未組織や非正規は
置き去りに
春季生活闘争の変質も、この過程と無縁ではない。2000年代に入ると、ベースアップは「論外」とされ、賃上げは賃金構造維持分に矮小化されていった。具体的な金額を伴わない要求は、中小企業労組にとって相場観を失わせ、賃金交渉そのものを形骸化させた。
世の中並みの賃上げという共通目標が消失したことで、春闘の波及効果は弱まり、未組織労働者や非正規労働者は完全に置き去りにされた。その意味で、労働組合はデフレを止められなかっただけでなく、結果としてそれに加担してしまったことを、厳しく反省しなければならない。
この歪みを決定的に可視化したのがコロナ禍である。
危機に直面した際、社会は再び非正規労働者や女性、若者、外国人労働者を「調整弁」として扱い、正規雇用の雇用維持を優先した。雇用調整助成金などの制度は、必ずしも弱い立場の労働者を守る機能を果たさず、結果として格差はさらに拡大した。この現実は、「雇用を守るために賃上げを我慢する」という発想が、誰の雇用も守らないことを改めて示したのである。
団結が賃金相場を
引き上げる
2023年春季生活闘争は歴史的な転換点となった。長年続いてきた賃金抑制の空気が崩れ、実際に高水準の賃上げが実現したことは、「賃上げは不可能ではない」ことを社会に示した。企業は支払い能力がないのではなく、これまで「上げなくて済む状況」に甘えてきただけであった。賃上げは市場の自動調整では起きないが、交渉と社会的合意によっては、確実に実現し得るのである。
ここで労働組合の役割が重要である。実質賃金の上昇は、資本主義の必然として自然に生じるものではない。個々の企業にとって賃金はコストであり、「賃上げは望ましいが、それは他社が先にやるべきだ」というのが経営者の本音である。この合成の誤謬を乗り越えるためには、企業横断的に労働者が団結し、賃金相場を社会的に引き上げる仕組みが不可欠である。その中心に立つのが労働組合であり、とりわけ産業別・地域別に交渉力を発揮する労働運動である。
また、労働組合は単なる分配の主体ではない。賃上げと同時に、生産性向上、職場改善、人材育成、働き方改革について企業と協議し、持続可能な成長モデルを構築する調整役でもある。賃上げによって購買力が回復すれば、消費が拡大し、企業の売り上げと投資意欲が高まる。そこから生産性向上とさらなる賃上げにつながる好循環が生まれる。健全なインフレとは、このような好循環の中でこそ実現するものであり、賃上げを伴わない物価上昇は、単なる生活苦をもたらすだけである。
政治の役割は重要
しかし現実には、まだ課題は多い。とりわけ中小企業労働者の賃上げは十分とは言えず、「一万円の壁」と呼ばれる心理的な節目が賃上げの広がりを妨げている。この壁は経済的な必然ではなく、長年の賃金抑制が生み出した意識の問題に過ぎない。この壁を打ち破らなければ、再び賃上げの流れは細り、物価高だけが人々の生活を圧迫する状況に逆戻りしてしまうだろう。
減税や補助金を否定する必要はないが、それだけに依存する社会に未来はない。財政支出による一時的な支援ではなく、賃上げによって自らの力で生活を維持できる社会をつくることこそが、本来あるべき姿である。賃上げを我慢しても雇用は守れないという30年の教訓を、今こそ真正面から受け止めなければならない。
政治がなすべきことは明白である。賃上げを「努力目標」や「期待」にとどめるのではなく、社会として当然視される規範へと引き上げることである。そのためには、中小企業が賃上げできる条件整備、公正取引の徹底が不可欠だ。これは経済政策であると同時に、分配を正面から引き受ける政治の意思の問題である。
政権交代への闘い
とりわけ民主党系の政治家には、旧民主党結党以来、四半世紀にわたって支援を続けてきた組合員がいることを思い出していただきたい。中道改革連合、立憲民主党、公明党、そして国民民主党が今後どうなるのか全く予断を許さないが、現下の政治の堕落を見れば、改めて政権交代が必要であるとわかるはずだ。
4党には政権交代へのストーリーを組合員に見せてもらいたい。この国最大のステークホルダーは労働者である。労働者のための政策をもっと大胆に打ち出してもらいたい。先が見えない状況であるからこそ労働者のために大同団結をめざすべきではないか。
今は正念場
賃上げによって実質所得を引き上げ、消費と投資の好循環を取り戻すこと。その中心的な担い手として、労働組合が再び社会的役割を果たすことである。
足元では、高市首相の軽はずみな国会答弁とその後の無策によって高まった日中関係の緊張関係はむしろ悪化している。イラン戦争も出口が見えない中で、中小企業の資材調達は危機的状況にあり、すでに生産調整に入っている。
一方で物価上昇によって私たちの生活がさらに厳しくなるのは確実である。難しい春闘になることは確実だが、力強い要求を出し、結果を勝ち取っていかなければならない。賃上げを我慢しても雇用を守ることはできないという教訓を思い出す必要がある。
今は正念場である。賃上げを社会的合意として定着させ、すべての働く仲間のために、共に前へ進まなければならない。
