現在の危うい状況に警鐘を鳴らしている
石破首相(当時)が10月10日に発表した「戦後80年所感」について評価はさまざまである。「侵略戦争との根本的な認識を欠いたまま、論点をそらせている」などといった酷評もある。だが、先の戦争で国内で唯一地上戦を体験し、いま「二度と再び戦場とさせない」県民世論の高まりがある沖縄県民の多くは違った評価である。最近の日米首脳の会談などでは改めて対中国の戦争準備で南西諸島重視が確認されている。所感が「現在の危うい状況に警鐘を鳴らしている」点を重視すべきである。県民世論の一端を紹介する。(編集部)
玉城デニー沖縄県知事コメント
「なぜ戦争を避けることができなかったのか」非常に大きな意義
沖縄県の玉城デニー知事は、石破茂首相(当時)が10月10日に発表した戦後80年の所感について「これまでの総理談話には十分に触れられてこなかった『なぜあの戦争を避けることができなかったのか』についての見解が示されている。(先の大戦を)負けることが分かっていて、なぜ戦争を避けることができなかったのかに言及したことは、非常に大きな意味がある。二度と戦争による惨禍を繰り返してはならないとする決意を表明した意義は大きい。過去の歴史に学び、未来をどう見通すか示唆を与えた意味では、従来の総理談話とはまた違う品格の談話ではないか」と評価するコメントを出した。
同時に、県内で進む米軍と自衛隊の訓練拡大や、自衛隊基地の増強について触れられなかった点について、「凄惨な地上戦を経験した沖縄では、その記憶と相まって、不安を抱く県民が多くいることも事実だ。これまでの歴史について論じられるのであれば、県民の民意についても言葉を添えていただきたかった。やはり残念だ」と指摘した。
玉城知事は最後に、「世界の恒久平和に貢献するため、沖縄県が果たすべき役割について一歩一歩着実に取り組んでいく」と強調した。
琉球新報社説 「歴史向き合い戦争回避を」(一部)
先の大戦をなぜ避けることができなかったのか。歴史と真摯に向き合い、教訓とすることこそが、今こそ求められている。
石破茂首相は、戦後80年に合わせた「内閣総理大臣所感」を発表した。開戦に至った理由について、政府が軍部に対する統制を失ったためだと指摘し、政治が軍事に優越する「文民統制」の重要性を強調した。
歴代内閣は、戦後の節目に閣議決定を経た政府の公式見解として「首相談話」を発表してきた。石破首相の「所感」は閣議決定を経ていない異例の形式だ。
村山富市首相の戦後50年談話ではアジア諸国に対する「植民地支配と侵略への反省とおわび」を明記した。2015年の安倍晋三首相の戦後70年談話でも歴代内閣の立場として「反省とおわび」に言及した。
石破首相の「所感」は「歴代内閣の立場を引き継いでいる」との記述にとどまった。対外的な視点が欠けてはいないか。日本の植民地支配と侵略の歴史から目を背けることはあってはならない。
沖縄に関しては、冒頭でひめゆり平和祈念資料館を訪問したことに触れたが、沖縄戦への直接の言及はなかった。
県内では、在日米軍基地の集中に加え、「台湾有事」を名目にした自衛隊増強が進む。政府が軍備増強を進める中で、平和国家の在りようを考えることができるのか。有事となれば犠牲になるのは住民である。沖縄戦の教訓である「軍隊は住民を守らない」に触れるべきであった。
退任が決まっている首相の「所感」には異論もある。だが、戦争回避ができなかった理由についての指摘は意義あるものだ。
文民統制の不在、「反軍演説」に見られる議会のチェック機能の欠如、「世論をあおり、国民を無謀な戦争に誘導」したメディアを挙げ「冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視され、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはならない」と総括した。
背景にあるのは、世界的な排外主義の台頭、先の大戦を正当化する「歴史修正主義」の広がりへの強い危機感だろう。7月の参院選では排外的な言説も目立った。現在の国内外の状況に鑑み、先の大戦前夜のような空気が蔓延することに警鐘を鳴らしていると言える。
惨禍を繰り返さないために、政治体制、議会、メディアそれぞれの役割を再認識すべきだ。「過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靱な民主主義が何より大切だ」との指摘は、党派を超えて考える必要がある。
石破首相は退陣するが、自らの「所感」を党内でどう生かしていくのか。その責任も問われる。
沖縄タイムス社説 「にじむ現状への危機感」(一部)
所感は、党内保守派への配慮から歴史認識には踏み込まず、植民地支配の実態や日中戦争の泥沼化などに触れていない。
日本の被害を受けたアジア諸国に対する謝罪や反省の言葉も見られない。
そうであるなら、なぜ、あえて出す必要があったのか。
所感は「日本はなぜあの戦争を避けることができなかったのか」という切実な問いを立て、国内の政治システムを検証する。
取り上げられているのは大日本帝国憲法、政府、議会、メディアの問題など。
内閣や陸軍省が設置した研究機関は、優秀な人材を集め、詳細なデータと科学的分析に基づいて日本の敗戦を予測していた。
それなのに研究成果は生かされず、路線の見直しができないまま、無謀な戦争に突入したのはなぜなのか、と問う。
現実を無視した空疎な精神主義は、兵隊や住民に多くの犠牲を強いた。沖縄戦がそうだった。
満州事変を契機にメディアの論調が積極的な戦争支持に変わったのはなぜか。
「戦争報道が『売れた』からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました」と所感は指摘する。
メディアが世論をあおり、国民を無謀な戦争に誘導する結果となったことは否定できない。
過去の誤った歴史からどのような教訓を引き出すことができるか。
所感は「偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません」と強調する。
「他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靱な民主主義が何より大切です」
ここに来て石破氏が「戦後80年所感」にこだわった理由がはっきりする。
所感がこれまでの首相談話と異なるのは、政治を取り巻く現在の危うい状況に警鐘を鳴らしている点だ。
発表のあった同じ日、公明党は高市自民新執行部への不信感もあって連立政権から離脱した。
首相所感や公明の連立離脱に見られるのは、保守派の急拡大に対する中道リベラルの危機感である。
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