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[「東アジア不戦」の提唱]仲里利信さんに聞く

「東アジア不戦」を進めることは私の義務

二度と戦争をさせてはいかん

玉城デニー沖縄県知事後援会長、元衆議院議員・元沖縄県議会議長・元自民党沖縄県連幹事長
仲里 利信 さん

 戦争体験者が次々と亡くなり、戦争体験を証言する人たちが少なくなった。私は国会議員までさせてもらったので県民の負託に対して応える義務があると思っています。
 米中対立が激しくなって、いつ戦闘が起こっても不思議でない状況です。そうなれば沖縄は再び戦場となるかもしれない。そんなことを絶対に許さない責任が私にある。西原春夫元早稲田大学総長たちの提言、福田康夫元内閣総理大臣も進めようという「東アジア不戦」の運動を、沖縄で進めるのは私の役割でしょう。
 沖縄を二度と再び戦場にしてはならないからです。
 沖縄県と中国福建省は、琉球王国時代からの長い交流の歴史があります。1997年に両県省は、「友好県省」協定を締結しました。98年には、福建省福州市に12階建ての立派な「福建・沖縄友好会館」も建てました。
 私は、協定締結10周年の時に県議会議長として福建省を訪れ交流しました。その時の、福建省長が今の中国国家主席習近平さんです。あの床の間の掛け軸は習近平さんから頂いたものです。ですから、福建省と沖縄県、戦争させない責任、義務が私にはあると思っています。

07年、教科書検定意見撤回県民大会

 安倍晋三さんが総理大臣だった2007年、高等学校歴史教科書から、それまでの「軍命によって沖縄の強制集団自決が発生した」という記述から、「日本軍による命令・強制・誘導等」の表現を削除する検定が行われた。
 沖縄戦を体験した県民は怒りました。41市町村全部の議会と県議会が検定意見の撤回を求める決議をした。私は、県議会議長として、県議会決議をリードし、その後、県民大会の実行委員会委員長になって、二度と戦争をさせたらいかんという思いで県内各機関を歩き回りました。9月29日に「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれ、11万人とも15万人とも言われる県民集会となった。
 90歳を超えたおばあさんが車椅子で糸満から来た。「普段は外に出ないが、この話だけは絶対に顔を出さなければと思って来た」と、そういう人たちがいっぱいおられた。大会が終わって、会場にはチリ一つ残っていなかった。これは、二度とあのような戦をさせてはならない、そういう思いが根底にあったからだと思います。
 私は実行委員長としてのあいさつで、「ぬーぅちうちなーびけんー」という言葉を使った、「なんで沖縄をいじめるか?」と。その言葉の裏には、もう二度とヤマトの犠牲になってはいけない、その思いを込めて言ったんです。「二度と戦争をさせてはいけない」、これがオール沖縄の原点です。保守も革新もない、「オール沖縄」につながったんです。

12年、オスプレイ配備撤回県民大会

 2012年9月9日、オスプレイの強行配備に対し、10万余の県民が結集して「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」を開催した。にもかかわらず、日米両政府は、翌10月1日、オスプレイを強行配備しました。
 そこで、「オスプレイ配備撤回」「普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設の断念」を求める「建白書」を当時の翁長雄志那覇市長などが中心になってまとめ、13年1月、復帰後最大規模(38市町村長、41市町村議会議長、29県議も含め計130人超)で上京行動をやりました。
 「建白書」を持って総理のところに全員で要請に行きました。建白書はウチナーンチュのいわば血判状です。今もその写しを持っています。そこまでしたのに、政府は仲井眞元知事を簡単にひっくり返して、「辺野古承認」になった。
 沖縄県民はバカにされている。 私は衆議院議員時代に、各地域の皆さんの協力を得て全国各地で68回講演をやって回りました。皆さんは一生懸命で、参加の皆さんも熱心に聞いていただいた。
 しかし、官僚などは、戦前から、いや廃藩置県以降、沖縄県民を属国民扱いしてきた。朝鮮と一緒ですよ。福田さんも言っているように、日本政府は、1965年の日韓基本条約で解決済みと思っていますが、韓国や朝鮮はそう思っていない。沖縄も一緒です。
 今日、米軍基地は県経済の阻害要因です。ところが、「沖縄県経済の基地依存度が高い」「基地の経済効果は2000億円」などと教科書にも書かれています。とんでもありません。
 米軍の太平洋司令官が、嘉手納の滑走路1本だけで空母の4~5隻に相当する、その維持費だけで年2・8兆円と発言しました。日本の防衛費がGDPの約1%、5兆数千億円で済んでいるのは沖縄に膨大な米軍基地があるからです。そういう実態を分かってほしい。そうでなければ、言いにくいことですが、独立する以外にない。

アジアの一員として生きる

 尖閣列島が焦点になっていますが、尖閣で争いになったらどうなるか。中国は中距離弾道ミサイルを1400発、いつでも発射できる状況にあるという記事を香港の新聞で見たことがあります。沖縄だけでなく、日本中至るところが狙われる。
 中国とは、敵対ではなく仲良くすべきだと思います。日本の過去の悪かったことは正直に反省する。
 私は、県議時代に、沖縄科学技術大学院大学をつくるように提案した。中国からも優秀な学者を呼んで、アジアの問題を一緒に研究してもらうことができないかと考えたんです。しかし、今の調子でいくと、それどころでないですね。
 発端は尖閣を政府が国有にしたこと、あれ以後です。
 かたくなに抑止力ということで緊張をあおるのは、いかがなものかと思います。もしもの時は、沖縄が犠牲にされることは火を見るより明らかです。
 そうなる前に、日本の政治を方向転換させなくてはいけない。日本はアジアの一員としてアジアの国々と親しくする。仲良くしないと、日本はアジアで独りぼっちになって、にっちもさっちもいかなくなってしまいます。
 これからも沖縄のおかれた状況を変えるために、頑張らなければと思っています。そのためには学者の皆さんなどが先頭に立つ東アジア不戦の運動は重要です。また、鳩山由紀夫先生のアジア共同体も立派ですし、「東アジア不戦連合」のようなものでもよいし、広げていかないといけない。そうでないとこの沖縄は怖くて大変ですよ。

玉城デニー知事を先頭に

 玉城デニー知事には、そうしたことも含めて頑張っていただきたいとの思いで、後援会長を引き受けました。知事は、「一人も取り残さない政治」ということで、きめ細かな政策も打ち出しています。また長い目で見て子や孫のために負の遺産を残さないと頑張っておられる。
 首里城再建をめぐって政府がしゃしゃり出てきていますが、われわれの先祖が綿々と築いてきた「不戦の歴史」を継ぐのは首里城ですよ。「いちゃりばちょーでー」(一度会えば、兄弟)とか、「つぃさちてぃいんじゃすな」、人より先に手を出すな、という意味です。
 玉城デニー知事を先頭に、「沖縄を二度と再び戦場にしない」ために頑張りたい。
 (見出しを含めて文責編集部)