相模湖・ダム建設殉職者追悼式に参加して
歴史系フリーライター 小檜山 青

昨年11月の高市首相のいわゆる「台湾有事発言」のあと、中国と日本の関係は冷え込んでしまった。中国への曲解が入り交じったとしか思えぬ報道も増え、二国間関係は冷え切ってゆくばかりに思える。
それより以前から日本における排外意識の高まりは感じていた。しかし政治がどうあれ、歴史を変えることはできない。2026年9月18日、柳条湖事件から95年目にあたる。政治が憎悪を生み出した過去を振り返り真摯に向き合うべきではないだろうか。
あまりに少ない「加害」の学び
しかし憂うべきことに、日本では過去の戦争犯罪、加害について学び、反省する機会はあまりに少ない。日本は毎年8月となれば戦争を振り返る空気に包まれ、展示にせよ、テレビ番組にせよ、報道にせよ、しめやかな空気に包まれる。ただそれはあくまで限定的なもので、日本本土における被害が強調される。
私の住む自治体の「戦争展」は、広島原爆に関するパネル展示のみである。広島原爆の悲惨な被害を振り返ることに不満はない、重要性は理解しているつもりだ。だがしかし、それでよいのか? 地元である広島がそれを取り上げることは理解できる。しかし、遠く離れた市町村で広島についてばかり取り上げることはいかがなものか。私はそんな気持ちがあった。
この気持ちに対して正解を教えてくれたのは、中国の若い友人である。彼はこう指摘していた。日本人は戦争というと広島のことを語り出す。自国の被害ばかりを語る。それは確かに痛ましいとは思う。だが、そこに至るまでに何があったのか、語ろうとしない。それはなぜか? そう問われたのである。
これは確かにその通りである。戦争の加害と被害という両面、因果関係の軽視である。それだけではない要素もあると私は思う。
むしろ抗議が
日本ではとりわけ2000年代からは歴史修正主義が跋扈し、加害について扱おうものならば抗議が入るようになった。インターネットの普及もこうした歴史修正主義に発信の手段を与え加速した。
いわく、植民地支配は悪いことではない。南京大虐殺はでっちあげだ。
加害について語ろうものならば、こうした無根拠かつ執拗な声が、多数の市民からも寄せられてしまう。イベントとなると、卑劣な加害予告すらありえる。
そうしたことを恐れ、過剰に萎縮しているのではないか。今やこうした声は限られたものではなくなったのか、こうした歴史修正に迎合し、得票を狙う政治家も昨今は増えているのだ。
そんな積み重ねが祟り、かつてないほど中日関係が悪化している。パンダが日本の動物園から帰国し、中国人の訪日観光客減少が報じられる今年、私の中では苦い思いがかつてないほど高まるばかりであった。
「自国の被害」そこに至るまでに何があったのか
そんななかで第48回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼式が7月26日、相模湖畔(相模原市緑区)で開催されると親切な方に教えていただき、参加することにした。相模湖での追悼について知って以来、いつかは相模湖は訪れたいと思っていたのだ。まさに渡りに船であった。そんな暗黙の了解を知ればこそ、追悼式がどれほどのものかはかりかねるところはあった。
当日はあいにくの雷雨に襲われ、無事たどり着けるか不安すら感じたものだが、ようやく会場の相模湖交流センターにたどり着いた。そこで私は驚かされた。会場の前にはあざやかなひまわりの献花が並べられている。その送り主には、日本だけでなく、朝鮮と中国ルーツからのものが多数含まれていた。国を超えた追悼の思いが始まる前から伝わってきたのだ。追悼式が始まると席は多数の参列者で埋まっていた。
この追悼式は歴史の過ちへの反省だけではなく、現状への抵抗と、よりよい未来への力強さまでもが感じられた。スピーチでは歴史を忘却しない、排外主義が強まる時勢へ断固として反対するという意志が貫かれていた。こんな当たり前で、まっすぐなことを、今はなかなか口にできない時代になっている。このことこそがおかしいのではないか。改めてそう思わされた。力強い言葉を聞き、心があらわれる思いがしたものである。
スピーチと献花のあと、地元の小中学校の児童生徒の合唱、音楽家による楽器演奏があった。
私にとって印象的であったのが横浜中華学校校友会国術団による獅子舞だ。日本では追悼式というと、静かでしめやかな催しが多い。しかしこの獅子舞は力強く、客席までやってきて、観客の頭を嚙むようなパフォーマンスまで見せる。この賑やかな獅子舞からは、日本とは異なる異文化を感じた。この中国と日本の違いを意識した時、異国まで連行されて苦しめられ、命まで落とした人々はどれほど無念であり、郷土を恋しく思ったことかと想像してしまい、胸が震えるような気がした。この獅子舞がここで眠る彼らの心をどれほど慰めることだろうか。この追悼は異なる国が手を携え、過ちを繰り返さぬと固く誓っているからこそのものだと思った。
追悼式のあと、相模湖の歴史パネル展示を見学した。相模湖が多くの人々の犠牲の末に作られたことがよくわかった。中国人に対する対応も個人によってかなり差があったという。中国人が働く合間に描いたスケッチは、日本人が提供した画材によるものだという。大切に保管されていたのか、褪色の少ないその絵はまるでついこの間描かれたように思え、この歴史はそう遠くない時代にあったことなのだと改めて思えた。
「三本の支柱」に「反省と協力の未来」を感じた私
歴史そのものの記録だけではなく、地元の人々が歴史を忘れぬように伝えてきたことも展示からは理解できた。地元の小中学生が調べ、まとめたレポートからは、歴史を知り伝えてゆく思いがあふれていた。
この展示室には新華社通信のリポーターとカメラクルーの姿もあった。良心的な日本人の姿を報じる中国の誠意を感じさせる。彼らとて、全ての日本人が悪いと伝えたいわけではないのだ。
激しい雷雨に見舞われていたものの、追悼式のあとは晴れた青空が広がっていた。会場から外に出て改めて相模湖を歩いてみた。まさに風光明媚であり、のんびりとした観光地といった趣だ。緑あふれる山に囲まれた湖にはボートが浮かんでいて、貸し出しの大きな看板が目につく。
湖隣に接する公園には家族や犬を連れて散歩する人々の姿があった。平和そのものの景色である。この穏やかな湖が過酷な歴史があることは想像しづらいほどではないだろうか。
相模湖の周囲を歩いていくと、慰霊碑の説明をしている方がいた。球体を三本の支柱で支える慰霊碑は、犠牲となった日本人・朝鮮人・中国人を示すものだという。
犠牲だけでなく、反省と協力する未来をも示すものではないかと私は感じた。この時代においても真摯な思いで反省し、追悼し続けることは希望である。この追悼式は戦争の反省と未来へ向かう姿勢を示す好例であり、他の地域でもこうした取り組みはなされるべきであると強く思った次第である。この追悼式はあるべきひとつの見本であろう。
