各地の活動 ■ 神奈川

日米地位協定改定を求める世論形成へ

 意見書提出を求めて県下全自治体6月議会に陳情・請願

 広範な国民連合・神奈川は3月末、日米地位協定改定を実現するため県下のすべての自治体議会で意見書提出を求め県民、団体と協同して世論を盛り上げるとの方向を確認した(本誌4月号参照)。結果は、大和市・伊勢原市・鎌倉市・藤沢市・中井町・葉山町の6自治体議会で意見書を採択した。陳情の「趣旨了承」としながら、国に対して意見書は出さないとした議会も二つあった。その他は不採択や審議なしで机上配布のみ。提出期限に間に合わなかった自治体もあった。
 米軍基地が存在している自治体でも、委員会審議に行政側が多数参加して基地の実情や日米地位協定を説明する自治体もあれば、まったく参加しない自治体もあった。さらに市民の陳情にもかかわらず、国政に関することは受理しないようにとの不当な判断に行政側が積極的に導いたと疑われる自治体すらもあった。
 日米地位協定の抜本改定を求めて意思表示できる議員や市民が横につながる可能性が見えてきたことは大きな成果だと思います。
 以下に、二つの自治体の議員の感想と二つの自治体での市民の運動の感想を紹介します。ささやかな経験ですが日米地位協定の抜本改定の世論形成のために全国の自治体議会で意見書採択の運動につながれば幸いです。

議員から「私の方こそ感謝です」の丁寧なお礼が

葉山町議会は全会一致で採択

 相談した議員に用意した陳情書を手直ししてもらい資料も集めてもらうなど親切に対応してもらい、用意した2月の講演会の資料を全議員に届けることができました。
 委員会でも意見陳述をすることができました。朝鮮国連軍の例として米朝戦争が再開されると日本にある米軍基地は朝鮮国連軍が日本の許可なく自由に使える、日本はいや応なしに戦争に巻き込まれると話しました。54基もの原発に囲まれた日本が耐えられるわけがないことも指摘しました。
 そして近くの米軍基地の街横須賀で起こった事件を話しました。死亡事故を起こしても憲兵隊に連れられて米軍基地に戻り、基地の中では普通に車を運転して週末には基地の外に食事に出かけていた、要するに裁判までいつもと変わらぬ生活をしていた。さらに裁判では執行猶予判決で、被告弁護人は執行猶予が確定したら本人は速やかにアメリカに帰ると発表しました。現状の日米地位協定ではこれが当たり前なのです。
 この不平等な日米地位協定を平等なものにして未来の子供たちに手渡したいと訴えました。
 審議した委員会では全会一致、その後、議員から「本日はお疲れさまでした。とても良い意見陳述でした……ひっくり返ることはないと思いますし、このまま全会一致で国へ意見書提出ができたらと思います。今回の件は、言われてみればごもっともで…改定が必要だと思っていても、こうして、アクションを起こしていただいたからこそ動くものがあります。今回、こうした機会を作っていただいたことは、私の方こそ感謝です」とうれしい声もいただきました。

紹介議員ができ請願、意見書が採択された

大和市議会で採択の報告

 大和市では陳情では審議してもらえない過去の経験から、何とか請願にしようと懇意の議員に相談しましたが、一人では……と思い他の会派の議員にも相談してもらいました。結果、紹介議員4人、請願者3人で提出できました。どちらも複数というのは心強かったです。そして意見書採択が実現しました。
 しかし振り返ってみるとさまざまな問題にぶつかりながらの採択でした。
 まず、請願書提出直後に議会事務局から「この内容を審議する委員会がないので総務常任委員会での審議になる」との連絡を受けました。しぶしぶ了承した結果、委員会審議の場に行政側の参加はありませんでした。基地政策課があるのにそこで扱われなかったことには、いまだに疑問が残ります。
 その後、自民党系の会派から「請願理由の一部を削除すれば賛成できる」という趣旨の話があったと紹介議員から伺いました。数日すると、さらに公明党ともう一つの会派から請願項目や文章表現にも細かい修正要求がありました。紹介議員と相談して判断した結論は、まさに「小異を残して大同につく」の考えでの修正受け入れでした。私たちは、「日米地位協定改定」に絞って請願採択に臨んだのです。
 請願を通し、思ったことが二つあります。
 ひとつは、議員間での対話です。今回、修正要求があったことを私は肯定的にとらえています。なぜなら、「国政のことは議論できない」などの理由で簡単に否決されることも想定していたからです。修正の要求があったのは、たとえ自民党や公明党の議員であろうと紹介議員と議員同士の信頼関係が築かれていたからだと思います。なれ合いとは違った、緊張感のある議員間交流は必要なのだろうと思いました。紹介議員のお一人との関係がこの活動を通して密になったのでこのような感想を持つにいたりました。電話やライン、そして直接わが家でも相談しました。家族や仕事のことなどにも話が弾み、議員さんというより友達(失礼かな?)のようにさえ感じました。「市民と同じ感覚でいることは大切」と話され有言実行しているのに感心しました。

悪政を正すも可能かもと思うように

 二つ目は、市民の参政権についてです。友人二人が請願者を引き受けてくださいましたが、実はこれにも面倒なやり取りが議会事務局とあったのです。最初は「他2名」でよしとされていたのに、「実名と住所も」そして最後には「押印も」と次々と要求が出てきました。「最初から言えよ」の思いはありましたが、その都度二人に電話しました。
 でも逆に最後に請願者の一人から、「圧力かけてんのかしら。屈服しないよ!」との頼もしい言葉がありました。日常的に日本の未来についてなど会話をし、関係ができていると心強いなとつくづく思いました。
 本会議で採択が決まったとき、請願者の一人が「鳥肌が立った」と言っていました。今まで「選挙に行く」「集会やデモに参加する」くらいしか行動することがなかった私たちにとって、この採択はこのような形での参政権もあるのだということに気づかせてくれました。政治が身近になった気がします。多くの市民がこのような経験を積み重ねていけば、今の悪政を正すことも可能かもしれない!という期待も生まれました。

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採択された!と大喜び…しかし…

日米地位協定の問題を考える相模原の会

 広範な国民連合・神奈川の友人より日米地位協定に関する陳情を神奈川各地で一斉に出すプロジェクトがあると聞いた時、それは「面白そう!」と思いました。しかし、とにかく難しい用語を使って文章を考える手間や資料作成に対するハードルの高さを連想してしまいました。
 今でさえ仕事や家庭、自治会、地元の活動と、やることがたくさんあり「無理かな」という思いもありました。が、基本となる原案は作ってもらえることを聞き、もしかしたら複数の仲間で仕事を分担してやれば出せるかも?という思いもあり提出を「引き受ける」と返事しました。
 PC作業が上手な先輩活動家や子育てママの方に個別に声をかけ、興味を持ってくれる方があっという間に4~5人集まりました。他にやることもある中、時間をかけていられないが、とにかくまずはLINEグループを作って投げかけてみれば誰かが何か動いてくれて、前進するのではないか?という思いで、LINEグループ作りました。
 友人から送られた趣旨と請願文の原案を転送して投げかけると、さっそく主婦仲間の方が市議会の陳情締め切りを調べ、市長が日米地位協定について改定が必要と述べている過去の記事を見つけてくれて、ようやくこれなら本当に「出せるかも」という気持ちが湧いてきました。
 横浜市の方が出してくれた陳情書が素晴らしいのでひな形的に使わせていただきました。いくつかの個所を地元仕様に修正して仲間のラインに投げると、先輩活動家がすかさずここはこうした方がいいのでは?とさらなる修正案を送ってくださりました。それを、いいね、と皆で意見を出してその都度変更して何カ所か修正させていただきました。
 市議会議員さんにも手分けして計10人ほどメールを送り、今度このような陳情を提出したい旨お話しすると、何人かの議員さんは丁寧に分析し、アドバイスをいただくことができました。その後、資料はどうしようかとなり、沖縄県基地対策課の「他国地位協定報告書」を全員に配布しようとなり、それなら印刷代もばかにならないから皆で割り勘にと印刷代カンパも集まるなど、協力して楽しく作業していきました。
 陳情書は個人で出すよりも団体名を作り共同作業にしたいと、グループ名は「日米地位協定の問題を考える相模原の会」となりました。代表者は誰にしよう?となった時、私は過去に複数回陳情を出していて、すべて不採択だったことから私の名前はマイナスのイメージがついているのでは?という不安から、陳情を出すことが初めての人に会の代表者になってもらいました。
 提出も一人よりも共通意識の方が複数いるよと示すためにも、主婦仲間の方と二人で日にちを合わせて市議会事務局まで提出に行ってもらいました。

チームワークで
大きな収穫が

 委員会当日、仕事や予定があり二人しか傍聴に行けなかったのですが、LINEでやり取りしながらリアルタイムで報告し合いました。結果は賛成と反対で4対4になり最後に自民党の議長が反対したため「不採択」。
 ところが、その「不」を聞き漏らして一度はLINEで「採択された!」という朗報が回り、「信じられない!」「やったー!!」と喜び、拡散してしまいました。少したって、「聞き間違いだった」となった時は「やっぱりね…」という思いも正直ありました。
 他市では全会一致で採択されたといった話を聞くとうらやましく、私たちの市議会のふがいなさに残念さが募りました。だが、決して一人ではできないことを複数の得意分野を生かしたチームワークでやり遂げたこと、少なくともこの問題に対して知識や意識を持っていなかった議員さんにも調べるきっかけを投じることができたこと、団結できたことなど大きな収穫は自覚しています。採択された他都市の方のやり方も素晴らしく参考になりましたし、このプロジェクトに参加できて本当に良かったと思っています。
 広範な国民連合・神奈川の呼びかけに感謝しています。これからもこの日本の安全安心にとって有害な理不尽な協定を改定し、アメリカに服従や言いなりにさせない国づくりを目指して活動に参加したいと思います。

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「基地のないまちだからこそ」

秦野市議会議員 原 聡

 秦野市議会では総務常任委員会において陳情は〝趣旨了承〟となったものの、国に対して意見書は出さない、つまり「沈黙」を選択してしまった。
 後日、本会議場にて会派の議員と練り上げた討論の中で、地方自治の在り方と日本の主権の姿を静かに、しかし鋭く問い直しました。
 私も総務常任委員会の賛成意見の中で、「私たちは『基地のないまち』に住んでいます。だからこそ、遠くの問題だと済ませてはいけない。構造的に犠牲を強いられてきた地域に思いを馳せ、主権と人権に基づく声を地方からも上げていく責任があるのです」と申し上げました。
 この一節は、会派内外に静かな反響を呼びました。日米地位協定が、日本国内の一部地域に負担を押しつけ、他の多くの地域がそれを〝見て見ぬふり〟してきた構造を的確に突いた言葉だったからです。
 日本弁護士連合会の2024年の『提言』を引用し、次のように指摘しました。
 「日本中どこにでも基地が設置され、目的や期限の定めもないまま使用されている。そしてその過程や条件は非公開。さらに、米軍関係者は日本の法制度の適用から逸脱し、公務中の事件は裁判権も行使できない。これは単なる安全保障の話ではなく、法の支配、主権の問題です」
 「外交は国の専権事項であり、地方議会は踏み込むべきでない」とする一部会派の姿勢に対しても、明確に反論しました。
 「確かに条約交渉は国の役割です。しかし、地方議会が〝意見を表明する権利〟は、地方自治法第99条に明記された権能であり、市民の暮らしや命に関わる課題について国に声を届けるのは、地方議会の重要な責務です」
 結びに、沖縄の歴史と翁長雄志・元沖縄県知事の言葉に言及し、こう述べました。
 「翁長知事は『県民は自らの尊厳と誇りをもって、自分たちのことは自分たちで決めたい』と語りました。私たちが今、〝基地のないまち〟としてこの訴えに応えること。それが真に民主的な社会の構築につながるのだと信じています」
 このような視座から、戦後80年を迎える日本の在り方と、地方自治体が果たすべき役割を再定義しています。
 「沈黙」することで構造に加担するのではなく、声を上げることで平和と自治の意思を示す。その姿勢こそ、地方政治に課せられた使命だと私たちは考えます。

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  「渉外知事会」会長の黒岩知事に要請書提出

126人の要請者の代表28人にぎやかに要請行動

 広範な国民連合を含む8団体と126人の要請者の代表28人は7月16日、渉外知事会の会長である黒岩県知事に「日米地位協定の抜本改定を求める」要請(以下にリンク)を行った。対応した三森基康・基地対策担当局長兼基地対策部長に参加者はそれぞれの思いを伝え、局長からも好意的な返答があった。広範な国民連合以外の7団体は、厚木基地爆音防止期成同盟、原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会、第五次厚木基地爆音訴訟原告団、ストップ秘密保護法かながわ、日米地位協定を考えるパネル展実行委員会、NPO団体Don’t Cry、ふぇみん婦人民主クラブ。

 (渉外知事会は米軍提供施設等が所在する主要都道府県で構成する「渉外関係主要都道府県知事連絡協議会」の略称)

 広範な国民連合・神奈川事務局