福島第一原発処理水海洋放出問題 千葉 悦子

廃炉含めて次世代への責任

「福島円卓会議」(福島県男女共生センター館長、元福島大学副学長)千葉 悦子

原発に向き合わず悔いが

 私は30年余り福島大学で教鞭を執り、2018年3月に退職しました。東日本大震災以降は教育も研究も福島の復興・再生のために追われる毎日だったような気がします。
 東日本大震災に伴う原発事故で全村避難となった飯舘村には、これまで学生の実習や調査研究のフィールドとして多くのことを学ばせていただきました。とくに第五次総合振興計画の策定(04年)や中間見直しの作業(09年)では村職員と住民とひざを突き合わせて何度も話し合い、村民の方々との信頼を深めてきました。私たちは飯舘村の豊かな村づくりの実践を地域づくり論として発信しようと準備を進め、いよいよ刊行という段階にまで進んでいたそのさなかに東日本大震災が発災したのです。


 こうして飯舘村と関わりのあった私たちにとって、放射能によって全村避難を余儀なくされたことは「無念」としか言いようがありませんでした。政府から「1カ月以内に全村避難」の指示が出されて間もない4月26日に村民集会が開かれ、160人の村民が集まりました。当事者たちの生の声と涙、怒りの声が会場全体に広がった光景が今でも目に焼きついています。
 「いったい自分は何をしてきたのか」と悔やむ気持ちでいっぱいでした。福島第一原発、および第二原発は1990年代からトラブルが相次ぎ、東電が「安全」と言ってもどこか〝信用がおけない〟と感じてはいました。地震による津波被害の危険性も聞きかじってはいました。しかし、ちゃんと原発の問題に向き合ってきたかというとそうではありませんでした。86年にはチェルノブイリ原発でレベル7の原発事故が発災し、ヨーロッパ全域に放射能が拡散するという重大な事故がありましたが、「あれは運転員によるうかつ事故。福島原発は安全に管理しているはず」「メルトダウンなどの過酷事故は起こるはずがない」という「安全神話」に私自身も取りつかれていたのだと思います。
 ですから、福島県民が利用しない東京電力の原発がなぜ福島にあるのかも、原発事故がどれだけ怖いものかも、学生たちにあえて学ぶ機会をつくりませんでした。傍観者であった自分を恥じ、悔やみました。そして、この問題から逃げずに自分ができることをやろうと、学生・院生ゼミでの学び直し、仮設住宅に避難する被災者への支援活動、復興計画策定への関与、ふるさとの食をつなぐ女性農業者ネットワークのサポートや発信など行ってきた12年半でした。

原発事故は
何をもたらしたか

 多くの避難指示区域は避難解除となりましたが、今なお県内外に約3万人の避難者がいます。生活再建の見通しが立たない人もいまだ少なくありません。福島大学うつくしまふくしま未来支援センターが実施した第2回双葉郡住民実態調査(2017年)によると、将来の自分の仕事や生活への希望について「あまり希望がない」と「まったく希望がない」を合わせた割合が5割に達しました。また生産年齢人口の25・3%、つまり4人に1人が「無職」という驚くべき結果でした。21年に実施した第3回双葉郡住民実態調査でも生産年齢人口の2割がいまだ「無職」で、17年調査と大きく変わっておらず憂慮すべき事態です。
 また地域のつながりや家族・知人との交流や関係性について「薄くなった」と回答した割合が第3回調査では6~7割を占め、家族や地域のコミュニティーが原発事故によって壊されたことが分かります。
 賠償をめぐる住民間の対立、帰還しない住民と帰還した住民との間の軋轢など住民間のさまざまな分断線があります。口を閉ざす人も多いですが、問題から目をそらしているからではなく、否定的な意見を表明すると「それ自体が風評だ」と非難されるからです。避難解除となり帰還した人もそのまま避難先に暮らしている人も、さまざまな偏見や差別を受け多かれ少なかれ傷ついています。県内外に避難した方々の中には、素性を明かさずひっそりと生きようとしている人も少なくありません。

声を聞かない政府に怒り心頭

 処理水の海洋放出問題ですが、どのような方針となるのか心配していましたが、選択肢が用意されていましたので、その中で当然のごとく、県民の意向もふまえながら一定の方向づけがなされるに違いないという期待もありました。ところがそうはならなかった。21年4月に政府は一方的に処理水の海洋放出を決めました。
 東電や政府は地元自治体やさまざまな関係者に(農林水産業者を中心に)、報告や意見交換会を何度となく実施してきたと言っています。海洋放出に反対する声も上がりました。しかし、そうした人々の声に果たして耳を傾けたのでしょうか。15年8月に政府と東電は「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わず、多核種除去設備(ALPS)で処理した水はタンクに貯留する」と福島県漁連と文書を交わしましたが、その約束をほごにしての決定です。「丁寧な説明」や「理解が進んだ」という枕ことばを使いつつ、最初から海洋放出ありきということで進めきていると言わざるを得ないのではないでしょうか。
 このように国民・県民・関係者無視の強行は、処理水の海洋放出だけではありません。原発再稼働・原発増設、沖縄県民の意思を無視した辺野古基地建設強行、安保3文書の改定(反撃能力の明記)、防衛費5年間43兆円、健康保険証を廃止してマイナンバーカードと一体化する「マイナ保険証」等々、国民不在の政治がまかり通っている状況に、とにかく「怒り心頭」です。
 民主主議の危機が懸念されるこの事態に黙っているわけにはいかない。大学を退職しましたが、ここで隠居気分でいてはいけない、方向性を見いだしていくような取り組みが必要と、円卓会議の呼びかけ人になった次第です。

対立を乗り越えて

 避難の仕方も自治体によって異なる。そのため賠償金も自治体、地区、個人によって異なります。このことが住民間の分断、対立となるわけです。政府や東電は住民間の分断、対立をつくり出し、自分たちの問題を曖昧にするという作戦でしょうか。
 意見の違う人を敵に回してしまうのは簡単なことです。同じことをするのではなく、住民間の対立を乗り越えていく方途を見いだすことが大事なことだと思っています。意見の違いを認めつつ、一致点を見いだす。難しいことですが、円卓会議はその精神で進めたいところです。そこに、容易ではないのですが政府や東電も参加してもらい、公論の場ができればと思うのです。仲介役に県がなってもらえればとも期待します。

住民が意思決定の主体となる仕組みづくりを目指して

 私の専門は社会教育です。とくに成人女性、なかでも女性農業者をはじめ農山村の女性の主体形成の条件や契機を明らかにすることに関心があります。
 1985年ユネスコ成人教育会議で「学習権宣言」が採択されますが、その宣言では、学習権は人類にとって重要な課題であり、その内容として、「読み書きの権利」「問い続け、深く考える権利」「想像し、創造する権利」「自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利」「あらゆる教育の手だてを得る権利」「個人的・集団的力量を発達させる権利」を挙げ、「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくもの」でなければならないと謳っていますが、私も自分のことは自分で判断し自分で決められる自己決定主体となっていくことが必要で、学習とはそのためのものでなければならないと考えています。女性たちは長いこと自分の言葉を持たずにきました。とくに家父長的な地域社会の慣習などが根強い地方では地域社会や家・家族から女性たちは排除され、一人前に見なされずにきました。地域や家族内でのジェンダー平等の実現はいまだ途上です。
 その一方で原発事故の中でいのちを守り、地域の生産復興を支える女性たちの実践が各地に見いだされたことも事実です。食を通して、女性たちの生活面での心配りや生活技術、人と人をつなぐ力が生かされ、被災者に寄り添う活動や被災者自らが復興に立ち上がる姿です。そうした活動の原動力は、原発事故の放射性物質による汚染により農業を続けられないかもしれない危機に直面しながら、土を守り、仲間に支えられ、ここで生きるという覚悟、地域に根ざした食を根づかせ、次世代につないでいきたいという願いです。強い意思と行動力を備えた女性たちが立ち現れてきているのです。
 地域づくりの担い手となっていこうとする女性たちの実践を見ると、当時者が問題解決の主体となっていくことがいかに重要かが分かります。処理水問題も同じです。当事者である地元漁業者の方々が中心に座らなければなりません。政府と東電は海洋放出に伴い風評対策を徹底する、被害には賠償をすると約束していますが、地元漁業者は生業を続けていきたい、そのために幾世代も続けられる豊かな海洋環境を守りたいとの強い思いから海洋放出に反対してきたのです。住民が主体となる仕組みづくりがいかにすればできるのか、円卓会議の方々と考えていきたいと思っています。

この問題は始まったばかり

 9月になってから第4回目の円卓会議を行いました。放出強行で局面が変わりましたが、川俣町町議会が処理水放出中止を全会一致で可決したことなども紹介され、中止の選択肢もあることが確認され意を強くしました。
 そのほか、放出がロンドン条約に抵触していないか、地下水問題が全く解決していないこと、当面は3月までに提出される来年度の放出計画のチェック、廃炉に向けたロードマップが改訂されていないこと、廃炉政策に影響力を行使できる復興の当事者が協議体に必要なことなど、海洋放出で終わりではなく、廃炉に向けて政府・東電、県民、県と同じ土俵で議論する必要があることがあらためて確認される円卓会議でした。
 海洋放出前、政府や東電が言う「トリチウムは安全」ということしか知らない県民が少なくなかったと思います。処理水の放出に30年以上かかること、地下水問題がいまだ解決しておらず、それが続く限り処理水放出は幾世代にもわたるものになることを知っている人がどれほどいたでしょうか。福島県民であっても海洋放出が迫る時期になって、ようやく事の重大さに気づいた者も少なくないのです。
 ですから今の状況を私たちはもっと知る必要があります。県民だけでなく国民に知らせていく必要があります。これからの長い廃炉に向けてどういう課題があるか一つひとつ洗い出し、専門家の知見も集めて共に解決の手立てを考えることが求められていると思います。専門家にもいろいろいますが、そういう方々に円卓会議に来ていただいて、共に学び合う、一緒に学習すること、ときには公開型で討論会を実施できるとよいと個人的には思っています。ですからまだ始まったばかりだと考えています。
 廃炉に至るまでは長い年月がかかるだろうと思います。ですから、監視の役割を円卓会議が担えればと思います。
 三重県の芦浜原発は建設を止めました。建設を止めるうえで、二世代、三世代と世代をつなぎながら反対運動を続けてきたその力がたいへん大きかったと聞いています。次世代への責任という意味で私たちの果たす役割は大きいと思いますが、次の世代にどうつないでいくのかも大きな課題です。
 (本稿は、インタビューを元に編集部がまとめたもの。見出しを含め文責編集部)