日中時事交流フォーラムでの報告 自衛隊駐屯地開設の石垣島から

このスピード感が
駐屯地を使う日が遠くないことを知らせる

石垣市議会議員 花谷 史郎

 日本政府が進める「南西シフト」と言われる自衛隊配備の最前線に立たされている先島諸島にある石垣島より現地の状況をお話しさせていただきます。
 2015年11月に石垣島の平得大俣へ陸上自衛隊の配備が発表されてから8年近くがたち、今年3月に駐屯地がとうとう開設されてしまいました。
 私は駐屯地が配備された平得大俣地区に畑を持ち、隣接する嵩田地域に生まれ育った当事者として反対運動に参加し、その後市議会議員となり、これまで陸自配備の問題に関わってきています。
 石垣島の現状の話の初めに、駐屯地周辺の住民の話をさせてください。


必死で開墾してつくり上げた故郷に自衛隊基地が

 先の大戦が終わり、地上戦でボロボロになった沖縄にはその後米軍基地が置かれ、戦後の沖縄の人々の生活や文化に大きな影響を与えてきました。
 一方、石垣島では地上戦や米軍基地の配備はなかったものの、日本軍の命令により疎開先でマラリアに罹患したことで多くの死者を出しました。
 そういった歴史的経緯から、石垣島では沖縄島の方々とは少し違う戦争に対してのイメージがあると言えるでしょう。そして、そのマラリアがあったことで石垣島では山深い地域にはほとんど人が住まず、戦後に琉球政府の政策で沖縄島から移民の方々が入植してきました。
 駐屯地の周辺の集落も戦後の移民によってつくられました。移民の中には、米軍の嘉手納基地に土地を接収されたことで、地域を失い移住せざるをえなかった方もいます。
 駐屯地周辺には4つの地域がありますが、そのどれもが戦後に形成された集落であり、いま住んでいる方々が二世代、三世代にわたり自らの手でつくってきた集落なのです。
 戦争のあおりを受けながらも、道路や水道もないなかを必死で開墾してつくり上げた故郷に十分な説明もないままに駐屯地が造られ、環境が破壊されていく住民たちが今もそこで農業をしながら生活しているということをまず知っていてほしいと思います。

住民投票すら機会を
奪われて

 2015年に平得大俣に駐屯地が建設されることが発表されてから、周辺地域の住民と共に、石垣市や防衛省にいくつかの疑問を投げかけました。
 しかし、十分な答えは返ってこず、周辺地域は駐屯地建設に反対することを決め、平和を訴える市民団体と共にこれまで反対運動を展開してきました。
 思いつく限り、さまざまな試みをしました。しかし石垣市長は反対派の言葉に聞く耳を持たず、市民の声は届かないままに今年3月の駐屯地開設を迎えてしまいました。
 反対運動とは別に、若者が先頭に立って行った、陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票運動もありました。島の全有権者の約37%にも及ぶ法定署名を集めながらも、市議会が条例案を否決し、住民投票は実施されませんでした。痛恨なことで民主主義の崩壊を感じさせるものでした。
 住民投票が否決されると、翌月には工事が始まりました。
 工事には4年かかりましたが、駐屯地開設に伴い、短期間のうちに軍事車両やミサイルの搬入、隊員の配置、さまざまな式典や関係イベントが行われました。
 現場では全国の支援者も参加しての抗議活動も行われましたが、それはないもののように扱われ、たんたんと、スピーディーに物事が進んでいきました。
 やはり、現計画の最後の石垣島駐屯地の開設は「南西シフト」のひとつの区切りであったように思えます。近隣住民や石垣市民、そして私自身にとっても、区切りを迎えたように思います。

米国と日本が連動し
周到に準備

 皆さまご存じの通り、石垣島を含む南西諸島への自衛隊配備はアメリカと日本が連動した計画です。
 自衛隊配備計画の具体的な話題が出る以前の2007年、与那国島へ米艦船が寄港し、09年には石垣島へも寄港しました。その際には当時のケビン・メア駐沖縄米国総領事が上陸しています。その後、南西諸島への陸自配備が加速的に進められていくことになります。
 昨年11月には与那国島で日米の共同演習が行われ、9月6日には石垣島でも台風でこれまで延期されていた米艦船の寄港が予定されています。そして10月には日米共同実動訓練が九州、沖縄地方で行われます。石垣島では日米共同の指揮所が設置されるとともに、オスプレイを使用した訓練も行われる予定です。
 駐屯地開設のわずか半年後に、米軍との大規模共同訓練の現場になるということで、改めて米軍ありきの自衛隊配備であったことを思い知らされます。
 そして、このスピード感が、駐屯地を使う日が遠くないことを私たちに知らしめようとしているようにも感じます。

アジアの一員として手をつないで平和を目指す

 しかし、まだできることはあると考えています。
 国と国が対立し、世界を西と東に分断し、人々の不安を煽ることが好きな者たちがいたとしても、国際友好を目指し、平和を愛する人たちも多くいます。
 国と国の関係が厳しくとも、地域と地域、人と人が手をつなぐことで緊張を緩和し、最悪の事態を回避することができると思っています。
 私たち日本人はこれまでアジアの一員として生きてきました。
 これからもアジアの一員として手をつないでいくべきだと思います。
 そうすることで負の歴史も乗り越えることができると考えていますし、その努力をこれからも続けるべきだとも思います。
 また、沖縄県民として中国や中国の地域との長い友好関係の歴史があり、その信頼関係から対話を続けていくことが可能であると確信しています。
 私は最前線に立つ石垣市の住民として、中国をはじめとするアジアの人々と知り合い理解し合うところから始めたいと考えています。
 よくわからない、理解できないところから「恐れ」は生まれるのではないでしょうか。
 不要な恐れを取り除き、世界のためアジアのため、何より自分自身のために正しい判断をするために、多くの人々と相互理解を深めたいと思っています。
 そうすることで、マスコミなどに煽られる不安や恐怖から解放され、よりよい未来を創ることができるのではないでしょうか。
 私のふるさと石垣島が、軍事の最前線ではなく、平和の最前線になることを願います。
(見出しは編集部)