東アジア共同体研究所理事 兼 琉球・沖縄センター長 瑞慶覧 長敏
ずけらん・ちょうびん 1958年生まれ。衆議院議員1期(2009年民主党)、南城市長1期(2018~2022年)を務めた。
「沖縄タイムス」(5月23日付)に「『平和運動に新風』吹く」とのタイトルの社説が掲載された。反戦平和集会の様子が社説にまで取り上げられるのは異例のことだ。
新風とは何か。
これまでの反戦集会は、文字通り「戦争反対!」、「米軍は出ていけ!」のオンパレードだった。しかし、それに対して若者からは、先輩方の努力はリスペクトするが、そのやり方では若者たちを惹きつけることはできないし怖いというイメージしか残らないとの意見が出された。もっと柔らかい言葉が必要だと。
それについては、何度も議論が重ねられ、シニアとヤングがぶつかり合った。それこそ不穏な空気にもなりかけた。しかし、それでも最終的には若者たちの意見をシニアが受け入れるという形に落ち着いていった。
では、何がどう変わったのか。
若者は何を主張したのか。
まず、主張うんぬんの内容の前に、準備会そのものが従来とは異なっていた。若い女性(若い男性も)が最初から数人参加をしていたのだ。それもこれまでにはあまりないことだ。彼女たちは、自分の想いや感じていることなどを、素直に、会議の場で述べた。もっと若者が参加しやすくなるフレーズを入れたいと。
そしてそのフレーズが、「争うよりも愛しなさい」だった。その場のほとんどが既存の運動体出身のシニアメンバーだ。その瞬間、一瞬だが空気が変わった。
当然といえば当然だ。何十年も運動をしてきた方々にとってはそのようなフレーズなど想定もできないし、自分の思考経路にはないものなので戸惑いが広がった。
「愛なんて言っている場合か」、「緊張感が感じられない」と猛烈に反対するシニアもいた。だが若者たちも必死だった。ここで変えなければ自分の子供たちが被ってしまうからと。
スローガンに〝愛〟が入り、集会用のチラシもヤングメンバー中心で作成し、SNSで呼びかけ、まさに新しいスタイルでの運動がスタートしていった。
シニアとヤングが100%合致した形ではなかったが、今年の2月26日に平和集会第1弾が開催された。
1000人規模を想定していた集会は、1600人が集まり、実行委員会の予想をはるかに上回るものになった。司会をしたのは20代30代の若者二人の男女ペアだ。見事にシニア世代をリードしてみせた。
「今までにない新しいスタイルが生まれたね」、「うれしい」、「若者の気持ちが初めて分かった」などの多くの感想が寄せられた。
社説に取り上げられたのは、喫緊に開催された5月21日集会のものだ。
新たなアイデアとして、キッチンカーが取り入れられ、プラカード作りコーナーが設置され、また、ブースとしてミサイル危機写真展が置かれた。
キッチンカーについては、やはり一部のシニアから懸念の声が出てはいた。
「祭りじゃないぞ」と。
しかしそこでも明確な反対はなく、むしろ新しい動きに委ねた方がいいんじゃないかという何か空気感みたいなものが支配していき、自然の流れでキッチンカー導入へとなっていった。少なくとも、運営委員の一人としてかかわってきた私にはそう見えた。
結果は、新風として社説が取り上げたように注目を集める集会となった。
今後、秋に向けさらなる大規模集会に取り組んでいく。
シニアとヤングのタッグは始まったばっかりだ。平和などすぐに来るものでもない。しかし、それでもこの沖縄に新しい風が吹き始めていることだけは確かだ。
5・21集会で若者代表の一人が言い放った。
「私たち若者を信じてください」と。
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沖縄タイムズ5月23日[社説]
平和運動に新風 戦争への懸念を前面に
会場の空気は柔らかく、主張も分かりやすい。真っ先に掲げた集会スローガンはずばり「争うよりも愛しなさい」だった。
プラカードの中には「ミサイルよりおむすび」というのもあった。
路上生活者の食料支援に取り組んできた「夜回りチーム結」メンバーのプラカードである。説得力があって、しかも切実だ。
広島市で開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の最終日、北谷町では南西諸島の軍備強化に反対する「5・21平和集会」(主催・同実行委員会)が開かれた。
集会の名称を「平和集会」とするなど、平和を強調し、世代を超えて多くの人たちが参加しやすい雰囲気をつくった。
玉城デニー知事は、知事になる前、記者のインタビューに答え「平和運動なのに、なんで闘うぞ闘うぞ、というのかねえ」と語ったことがある。
これと似たような感性が集会全体に満ちあふれていた。大会宣言の中にこんな一節がある。
「私たちの願いは一つです。これからの子どもたちのためにも、戦争のない平和な世界を残すことです」
台所から、茶の間から、戦争反対の声を上げるとすれば、生活の中で普通に使われている平易な言葉を使うのが一番である。
新しい質を備えたこの取り組みは「島々を戦場にしないで!」という、今最も切実な訴えを前面に掲げている点でも従来にない動きだ。
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米国が戦後、軍事上の必要性を優先して統治してきた沖縄の戦後史は「島ぐるみ闘争」といい「反戦闘争」といい、闘いの連続だった。
沖縄戦体験や、人権擁護・自治権拡大のスローガンを掲げた闘いを通して、沖縄の人々の中に独自の反戦平和意識が形成された。
だが、復帰後の急速な社会の変化と世代交代で、米軍統治下の反戦運動を経験した世代の言葉は、次第に若い人たちに届きにくくなった。
本土と沖縄の意識のズレが表面化しただけでなく、沖縄の中でも世代間のギャップが目立つようになったのである。
中国の海洋進出や不透明な軍備増強、人権問題への対応は、中国に対する国民感情を急速に悪化させ、県内でも悪い印象を抱く人が増えた。
このような社会状況の中で「台湾有事」が取り沙汰され、沖縄の戦場化が危惧されているのである。
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G7サミットの首脳声明に対し、ロシアは「中国とロシアを封じ込める目的」だと反発、中国も「中国の顔に泥を塗り、内政干渉を行った」と日本側に強く抗議した。
国民レベルでも政府レベルでも、双方に不信感が広がっている。台湾に近い与那国島では自衛隊のミサイル配備計画も明らかになった。
事態は悪化するばかりで、戦争が起こる懸念はかつてないほど高まっている。
地上戦を経験した沖縄の中から、戦争に反対する幅広い市民運動が起きたことを高く評価したい。