京都・祝園弾薬庫増設反対

5月11日、300人余で大学集会開催

 京都府の南部、精華町に陸上自衛隊宇治駐屯地祝園分屯地がある。日米戦争開戦前夜の1940年に陸軍の「祝園弾薬庫」として開設された。敗戦後米軍の弾薬庫としても使用されたが、1960年に自衛隊に移管され、現在に至っている。施設は丘陵地の谷間に置かれ、爆発事故が起こっても周辺に被害が及ぶことを極力避けるような立地になっているため、目立たない。設立当初は「東洋一の弾薬庫」と称されていたが、近年では、「祝園弾薬庫」の名前くらいは聞いたが、どこにあるんだ?という感じで、京都の政治課題になることはほとんどなかったのである。


 だが、けいはんな学研都市(関西文化学術研究都市)概略図を見て分かるように、現在この弾薬庫は文化学術研究都市のど真ん中にある。今、弾薬庫を新設するとすれば、到底考えられない立地と言えよう。近接する市町村の人口は130万人を超える。正確な推計ではないが、半径5㎞圏に10~20万人が住む住宅都市が広がっている。
 岸田政権が推し進めた安保3文書の改定により、自衛隊の敵基地攻撃能力、継戦能力の強化が急速に図られることになった。そして国内4カ所に大型弾薬庫が造られることになった。そのうちで突出しているのが祝園である。102億円かけて、現在10棟ある弾薬庫に8棟追加する計画。
 当然、地元では懸念の声が噴出。3月20日には「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」が設立された。4月には住民に対する説明会を開くように防衛省に申し入れを行った。
 そして5月11日、広く近隣住民に呼びかけて大学習会の開催となった。当日は会場のむくのきセンター周辺を右翼の街宣車が走り回っていたが、300人以上の参加者で予想を超える盛り上がりとなった。
 基調講演は元沖縄国際大学の平和学の講師、西岡信之氏で「ガザ・沖縄、そして祝園」というテーマであったが、特に、紛争時において非戦闘員を守るために「軍民分離」の考え方が重要であり、市街地の弾薬庫など許されない、と力説された。
 その後の討論では、周辺自治体からの参加者の発言が相次ぐ中、共通していたのは、「もっと広く知らせなければ」という意見だった。
 また、防衛省への説明会開催を求める中でクローズアップされたのが、1960年の自衛隊移管に際して、精華町長と防衛庁大阪建設部長、陸上自衛隊中部方面幕僚長との間に交わされた確認書の存在である。この確認書では23項目が合意されていたが、特に「これ以上の拡大はしない」「核兵器は貯蔵しない」「貯蔵量を増加させるときには事前協議する」となっている。
 この合意が守られていないことに対する防衛省への批判が出されたが、会場参加者の弁護士さんから「3者の公印が押された文書の有効性は明らかであると思われるので調べてみる」との発言もあった。
 現在、ネットワークとしては公開説明会を開かせることを共通目標としているので、この点は大きな争点となるだろう。ただ、5月17日の国会衆議院外務委員会でのやり取りの中でも防衛副大臣は、「あの文書は当時の確認であって、契約ではない」の逃げの答弁に終始していた。住民への説明会はやりたくない、ということのようである。
 弾薬庫増設阻止の機運を広め、岸田政権が推し進める危ない道に反対して、ブレーキをかける運動に発展させたいものである。
(広範な国民連合・京都会員Y)