旧日本軍の目線で沖縄戦を語らせてはならない
沖縄大学非常勤講師 親川 志奈子
故翁長雄志氏の著書『戦う民意』の中に、2015年5月、辺野古新基地建設をめぐる翁長前知事との非公開協議のエピソードが紹介されていた。当時官房長官であった菅義偉氏が「私は戦後生まれのものですから、歴史を持ち出されたら困ります」と述べたという。「過去を引き受けない」という菅氏の態度表明は沖縄の私たちから見ると極めて不気味なものだった。
今年3月、文部科学省が2020年度の教科書検定結果を公表すると、沖縄戦に関する記述はどうなっているのかが話題となり沖縄の地元2紙が1面で報じた。今回は高校教科書が対象だったが、去年400以上もの検定意見がつき不合格になっていた「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を出版する自由社は、中学歴史教科書を再申請、沖縄戦を指して「この戦いで沖縄県民にも多数の犠牲者が出ました。日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しましたが、沖縄戦は6月23日に、日本軍の敗北で終結しました」と記した。
この短いフレーズの中に誤りはいくつも存在する。まず、「沖縄県民にも多数の犠牲が」とあるが、沖縄戦で亡くなった人数は米国1万2520人、日本兵6万5908人、そして軍人軍属一般住民合わせた沖縄県民12万2000人以上となっており、圧倒的な非対称性であるにもかかわらずそれが見えてこない。
そして6月23日に沖縄戦は終結していない。日本軍のトップであった牛島司令官が自決したことで「旧日本軍の組織的な戦闘が終結した」とされているが、彼が最期に残した「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」、つまり「降伏ではなく死ぬまで戦い続けろ」のメッセージからも分かるように、6月23日以降も戦は続き、南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日になってからだ。
学徒を戦場に動員する法的根拠がないにもかかわらず、戦前沖縄にあった21の中等学校すべての男女生徒たちが戦場に駆り出され戦の最前線で軍隊と行動を共にさせられ、「軍官民共生共死」との指導方針で米軍への投降も許さず、集団強制死に追いやり、日本軍による食糧強奪や壕追い出しがあり、沖縄語を話す者をスパイ容疑で処刑するという軍命を出し、実際に住民虐殺も起きているにもかかわらず「沖縄住民もよく協力しました」という言葉でその事実を覆い隠している。
また、明成社の高校「歴史総合」では、鉄血勤皇隊として戦場に動員された県立第一中学校の生徒を慰霊する「一中健児之塔」を「顕彰碑」と記述し、沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒で編成した「ひめゆり学徒隊」を「ひめゆり部隊」記していた。顕彰とは隠れた功績を世間に知らせほめたたえることであり、部隊とは軍隊の一組織を示す言葉である。どちらも明らかな誤りであり、これまで使われてきた用語をあえて修正し本来の歴史的事実を改ざんする行為は歴史修正主義そのものではないか。
4人に1人が命を落とした沖縄戦をかろうじて生き延び、米軍統治下の沖縄を生き延びた当事者たちは、思い出すのも口にするのもつらい過去を「次世代の人々に沖縄戦の実態を伝え二度と戦争を起こさないために」と声を振り絞り出し、必死に記録し、沖縄戦とはなんであったのかを事細かに検証してきた。そして沖縄戦サバイバーの子や孫にあたる私たちウチナーンチュは「軍隊は住民を守らなかった」という沖縄戦最大の教訓をしかと胸に刻んでいる。
その経験を無視し、旧日本軍の目線で沖縄戦を語り、子どもたちに殉国美談を伝えるのを国が「よし」としていることになる。年々戦争体験者が少なくなっている中、「戦後生まれですから」と戦争の歴史を軽んじ都合のよい解釈で伝えていく行為は到底許されることではない。誤った記述は一刻も早く改められるべきだ。