日本は独立国家たりえているか
東京大学大学院教授 鈴木 宣弘
ウクライナ危機で激化する食料争奪戦
ただでさえ食料価格の高騰と日本の国際社会での「買い負け」懸念が高まってきていた矢先に、ウクライナ危機が勃発し、小麦をはじめとする穀物、原油、化学肥料原料などの価格高騰が増幅され、食料やその生産資材調達への不安は深刻の度合いを強めている。シカゴの小麦先物相場は本年3月8日、ついに2008年の「世界食料危機」時の最高値を一度超えてしまった。
東京大学大学院教授 鈴木 宣弘
ただでさえ食料価格の高騰と日本の国際社会での「買い負け」懸念が高まってきていた矢先に、ウクライナ危機が勃発し、小麦をはじめとする穀物、原油、化学肥料原料などの価格高騰が増幅され、食料やその生産資材調達への不安は深刻の度合いを強めている。シカゴの小麦先物相場は本年3月8日、ついに2008年の「世界食料危機」時の最高値を一度超えてしまった。
うるま市 27歳 玉城 愛
「復帰50年」の節目に私が考えていることはいくつかある。沖縄における性差別問題や、沖縄における「復帰運動と天皇制」についてだ。
私が沖縄の「復帰50年」に思うことは、「特別」で「めでたく」、「喜ばしい」ことではないことは確かだ。今日も続く天皇制、第二次世界大戦末期の沖縄戦と日本の敗戦、そして沖縄の米軍政府による統治を、私は、沖縄は、忘れてはいない。「復帰50年」は、日本が沖縄を統治するために、沖縄の「節目」を装った日本政府によるプロパガンダにすぎないからだ。
新しい風・にぬふぁぶし 幹事長/沖縄県議会議員 翁長 雄治
「復帰」と言うと、沖縄県内にも若い世代にはピンとこない人も多くいる。私も1987年、復帰から15年たった年に生まれていて、当たり前に日本国民として生活をしてきた。日本の憲法のもと教育を受け、医療・福祉などの社会保障制度を享受してきた。さらには、日本の安全保障における重要な役割をもつ日米安保の維持のための在日米軍施設についても、「日本国民」として当たり前の負担として、深く考えずその問題に接してきていたと思う。
衆議院議員 新垣 邦男
今年復帰50年を迎えますが、当事、私は高校に入ったころです。復帰前の運動の印象は強烈にありますね。沖縄が日本に復帰するんだということで、大人たちが頑張って運動を進めていましたから。
実は父が教員で、戦前も教員をやっていました。厳しい親でしたが、戦時中の教育に忸怩たる思いがあったのかもしれません。東京で学生運動の影響を受けた兄が帰ってきたときに、若気のいたりでえらそうに父を問い詰めても、父は全然反論もしないし何も言わないんです。でも、なんとなく寂しそうな顔でいたことを覚えています。
琉球新報社取締役編集局長 松元 剛
「沖縄がこれまで歩んできた歴史の一こま一こまをひもとき、終戦以来ひたすらに復帰を願い、必ず実現することを信じ、長く苦しく、そして厳しかったこれまでの日々を思い起こすとき、県民とともに言い知れない感激とひとしおの感慨を覚えるものであります。鉄石のような厚い壁を乗り越え、険しい山をよじ登り、イバラの障害を踏み分けてついに悲願を達成し、復帰にたどりついてここに至りました。
広範な国民連合顧問・元沖縄県教職員組合委員長 石川 元平
沖縄の「日本復帰50年」を検証することは、即、日本の戦後史を検証することにもつながると思うので、勝手ながら持論を述べさせていただく。
はじめに、「昭和天皇メッセージ」がもたらしたものについて検証したい。
1947年9月と48年2月のメッセージはよく知られているが、50年6月26日、米国の国務長官顧問のダレスが朝鮮戦争勃発の翌日、帰米の途中に天皇に会い、そこで発せられた「第3のメッセージ」についてはあまり知られていない(中小企業組合総合研究所発行『提言』2016年5月1日号、「日米安保条約と日本国憲法」参照)。
沖縄で教育者として長く子どもたちを育て、教育長を経て政治の世界で活躍する城間幹子那覇市長に、復帰50年に対する思いを聞いた。聞き手は山内末子沖縄県議。(文責、見出しとも編集部)
城間幹子那覇市長
山内末子沖縄県議(以下、山内) 那覇市も昨年市制100年となり、沖縄県は今年復帰50周年の節目の年を迎えました。復帰当時、城間さんは何をされていたのか、お聞かせください。
編集長 山本 正治
5月15日、沖縄の「日本復帰」50年の日を迎える。本号は、この日を迎えるにあたっての問題提起を沖縄の各方面の方々に伺った。
石川元平さんは、「この国の不幸は、不都合な過去に目を閉ざして、戦後総括をしてこなかったことだと思っている。したがって、沖縄復帰50年を機に、改めてこの国の戦後史を検証してほしいと切望する」と結んだ。
そもそも、「復帰」と言うが、「本土」復帰なのか、「日本」復帰なのか。「復帰」なのか、「施政権返還」か。どう表現するか迷った。表記は、それぞれの筆者のままにした。
復帰50年に際してまず考えるべきは、何故に、50年前に「日本復帰」となったかである。すなわち、それ以前に「日本でない」状況があったわけで、それはいかにして発生したのか。「復帰」で事態は変わったのか。
イエール大学学生 西尾慧吾
大阪では、大阪湾を有害物質を含む産業廃棄物で埋め立てて夢洲という人工島を造り、そこにカジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致する計画が強行されている。3月25日、その是非を問う住民投票請求の署名運動が始まった。
弁護士 指宿昭一さんに聞く
昨年3月6日、スリランカ出身のウィシュマさんが、名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなって1年が経過した。外国人実習生等の人権問題に献身的に取り組む指宿昭一弁護士に聞いた。2月19日談に3月に補足してもらった。(見出しとも文責編集部)
解放新聞社提供
部落解放同盟中央本部は全国水平社創立から100周年を迎えた3月3日、創立大会が開かれた京都市岡崎のロームシアター京都(京都会館)で全国水平社創立100周年記念集会を開催した。約1000人参加の、新型コロナウイルス感染症の影響で規模を縮小しての開催となったが、厳しい部落差別と闘った先人の苦闘を受け継ぎ、部落解放にむけた広範な闘いを前進させることを確認した。
石垣市議会議員 花谷史郎さん
台湾有事を想定した自衛隊ミサイル基地建設が進む石垣島で、農業を営み基地建設に反対し平和な島を守る先頭に立っている石垣市議会議員・花谷史郎さんに話を聞いた。(見出しとも文責編集部)
東アジア不戦推進機構 代表 西原春夫
私たちは77年前、1945年に太平洋戦争、第二次世界大戦に敗れ去った日本の、戦争の時代を直接体験したいわば最後の世代に属する者です。
他国に巨大な損害を与え、自らも大きく傷ついたあの戦争がいかに悲惨なものであったか、いかに愚劣なものであったかを身にしみて感じている者です。戦争は理由のいかんを問わず絶対にしてはならない、そう考えて生きてきました。
そういう私たちから見て、最近の国際情勢の中に大国同士の戦争の危険が含まれていることに大きな危惧の念を抱くようになりました。そのようなとき、「戦争はいけない」と世界に向かって声を上げるのは、戦争の何たるかを知り尽くしている私たち世代の責務ではないかとさえ考えるに至ったのです。それは2019年初夏のころでした。
「東アジア不戦宣言」の呼びかけ人たちによる記者会見が、2022年2月22日午後2時から、日本外国特派員協会(FCCJ)において開催された。会見には、西原春夫(1928年3月13日生)東アジア不戦推進機構代表・元早稲田大学総長、明石康(1931年1月19日生)元国際連合事務次長、谷口誠(1930年3月31日生)元国連大使・元OECD事務次長のほか、この運動に共鳴する方々が出席した。
記者会見する西原春夫代表(中央)、明石康 FCCJ提供動画から (https://www.youtube.com/watch?v=gYEgoZunh2I&t=147s)