これからの80年のために若者が立ち上がる
MICHISHIRUBE代表・鎮西学院大学3年 大澤 新之介

みちしるべメンバーと筆者(右から6番目)
今年、被爆地・長崎は被爆80年を迎えます。この節目の年に、私は長崎で平和活動を続ける若者として、戦争と核兵器の問題、そして未来への課題について考えをつづりたいと思います。 続きを読む
MICHISHIRUBE代表・鎮西学院大学3年 大澤 新之介
みちしるべメンバーと筆者(右から6番目)
今年、被爆地・長崎は被爆80年を迎えます。この節目の年に、私は長崎で平和活動を続ける若者として、戦争と核兵器の問題、そして未来への課題について考えをつづりたいと思います。 続きを読む
広範な国民連合・長崎代表 中村 住代(元日赤長崎原爆病院職員)
「日本被団協」にノーベル平和賞授与を聞いた時「快挙」と思わず口にしていました。そして、仕事や平和活動などで出会った多くの被爆者の皆さんのことが思い出されました。つらい体験を、声を振り絞りながら時には涙を流しながら語ってくださった方々。
授賞理由に「ノーベル賞委員会は今年の平和賞を日本被団協に授与することで、肉体的苦しみやつらい記憶を、平和への希望や取り組みを育むことに生かす選択をした全ての被爆者に敬意を表したい」と述べたくだりがあります。今回の「日本被団協」の受賞は、核廃絶と戦争反対を訴え続けてきた名もなき多くの被爆者の方々を代表しての受賞であることがわかります。
そしてその上で、「全ての被爆者とは?」と考えました。
被爆地ナガサキで私が出会った被爆者の中には、朝鮮半島から強制連行されて海底炭鉱「端島」(通称軍艦島)で強制労働させられ、後に三菱造船所で被爆した韓国人被爆者がいました。彼は、語り部として核廃絶を訴え続けました。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にも国交がないために被爆者援護から完全に見捨てられている被爆者がいます。
中国から炭鉱に強制連行され、食べるものも十分支給されず非人間的な強制労働を強いられたあげく、あらぬ嫌疑をかけられ刑務所(現在の平和公園の場所)に捕らえられ原爆死した32人の犠牲者のことも知っています。ご遺族はいま日中友好の懸け橋となっています。
捕虜収容所で被爆死したオランダ人のことも知っています。
また、アメリカやフランスが、南太平洋諸島で繰り返した原爆・水爆実験により心身に被害を受け、満足な補償もない現地住民は「全ての被爆者」に入るのか?
「全ての被爆者」というのであれば、これらの人びとが当然入っていなければなりません。被爆したのは決して日本人だけではなかったことを記憶にとどめるべきです。そして、何故、こうした被爆者が生じたのか、日本の朝鮮や中国侵略の歴史、強制連行のことについて考えなくてはいけないと考えます。
また、今回の授賞を契機に日本政府に求めなくてはいけないと思います。一つは、日本が唯一の戦争被爆国というのであれば、この機会に「核兵器禁止条約」の批准に一歩踏み出すべきです。
そして、もう一つ、「被爆者」であるのに「被爆者」として認められない「被爆体験者」の救済は待ったなしです。解決の方法は政治決着しかないと思います。
また、アメリカのオバマ氏とバイデン大統領が祝意を表したと報道がなされています。2016年当時大統領だったオバマ氏がヒロシマを訪問。平和公園で演説しましたが、原爆を投下した当事国でありながら、謝罪の言葉はなく、原爆投下の責任を認めない。まるで核兵器廃絶を訴える平和主義者のような振る舞いでした。今回も、祝意の前に、謝罪や反省があってしかるべきと思いますがありません。
祝意とは裏腹に、ヒロシマ・ナガサキに原爆投下後も、度重なる核実験を繰り返し、世界のいたるところで核の脅しをしている最大の核超大国アメリカ。そして現在に至るまで、被爆者から何も学んでいないことを世界にさらし続けています。絶対に許せません!
長崎被爆者 本村 チヨ子
過日10月13日夕刻6時過ぎ、それまで漫然とテレビをつけていた時ニュース速報が流れた。ノーベル平和賞「日本被団協」受賞と。一瞬目を疑ったが間を置かず固定電話・携帯電話が鳴った。友人や知人からのオメデトー・コールであった。
思えば長い道程であった。2008年から09年にかけ被爆者としてピースボートの「被爆者百人乗船」のプロジェクトに参加し地球一周をして始まった。それから今日まで原爆の実相を知る者として、いろいろと国内外で「平和・核兵器廃絶」を訴え原爆放射能が人体に及ぼす影響など繰り返し繰り返して訴えてきた。17年にNGOのICANに同じく平和賞が贈られた時、世界に向け喜びのメッセージを発信したカナダ在住のサーロー節子さんも、一被爆者として参加しており、訪れた国々で平和の目的を訴えてきた同期であった。 続きを読む
石垣市住民投票を求める会
左から原告の川満、金城、宮良さんと大井弁護士(9月6日、東京)
石垣市・中山義隆市長は2015年、陸上自衛隊配備受け入れを表明。「住民投票を求める会」(金城龍太郎代表)は18年10月末、配備計画の賛否を住民投票で問う署名を約1カ月で規定を超えて集め条例制定を請求した。しかし、19年2月、市議会は条例案を否決した。
「求める会」は19年9月、市に住民投票の実施義務付けを請求する訴えを起こしたが那覇地裁は請求を棄却した。「求める会」は直ちに控訴したが福岡高裁も訴えを退け、今回、最高裁上告に踏み切った。
23年3月、住民投票は実施されないまま陸自石垣駐屯地が開設された。 続きを読む
ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会事務局長 新垣 邦雄
8月11日の「戦争準備NO!」集会で司会を務めた新垣邦雄さん(壇上左端)
岸田政権下、「台湾有事」を口実に全国で自衛隊の基地強化・拡大の動きが強まっている。こうしたなか8月、沖縄で「戦争準備NO!」をスローガンに西日本を中心に全国各地から基地強化・拡大に反対する住民団体が一堂に結集した集会が開催された。9月には自衛隊が大規模な「防衛複合拠点」の開設などを計画している広島県呉市で「戦争止めよう西日本連帯交流会」が開かれた。すでに「沖縄・九州・西日本ネットワーク」(仮称)の発足も決まっている。こうした取り組みを中心的に担っている新垣邦雄氏に聞いた。 続きを読む
『日本の進路』編集部
間もなく「敗戦79年」の日を迎える。日本の進路を見直す時にしなくてはならない。
国内で窮地に立つ岸田首相だが、4月に訪米、米国が進める世界的な政治軍事経済の全面にわたる中国包囲網の先頭に立つことを約束し、米国指導層から大歓迎を受けた。その後わが国では、台湾独立を進める新「総統」就任やワシントンNATO首脳会議など対外政治面でも、食料有事立法や国の指令権を明記する地方自治法改正など国内法整備でも、南西諸島軍事強化と大規模演習など軍事面でも、驚くべきテンポで戦争遂行態勢準備が進められている。歴史を知る人びとからは「新たな戦前」との指摘も相次ぐ。 続きを読む
6月8日、「日米地位協定とは何か?を学ぶ講演学習会」が、フリージャーナリストの布施祐仁さんを講師に、横浜市の戸塚区役所多目的スペースで開催された。県内各界からなる実行委員会主催で、会場140人、ウェブ30人の参加で盛り上がり、世論形成への一助となった。 続きを読む
ノーモア沖縄戦・えひめの会 高井 弘之
いま東アジアでは、戦争への危機がかつてなく高まっている。いや、高められている。
日本では、「中国への攻撃・戦争態勢」が急ピッチで構築され、沖縄・奄美を中心に中国軍への攻撃用ミサイル基地が次々と造られた。全国各地で、巨大なミサイル弾薬庫の建設が進められ、民間空港・港湾の軍事拠点化も企てられている。そして、米日両国にNATO主要国などを加えた合同軍事演習が中国の近くで、中国に圧力を加える形で、頻繁に行われている。 続きを読む
京都府の南部、精華町に陸上自衛隊宇治駐屯地祝園分屯地がある。日米戦争開戦前夜の1940年に陸軍の「祝園弾薬庫」として開設された。敗戦後米軍の弾薬庫としても使用されたが、1960年に自衛隊に移管され、現在に至っている。施設は丘陵地の谷間に置かれ、爆発事故が起こっても周辺に被害が及ぶことを極力避けるような立地になっているため、目立たない。設立当初は「東洋一の弾薬庫」と称されていたが、近年では、「祝園弾薬庫」の名前くらいは聞いたが、どこにあるんだ?という感じで、京都の政治課題になることはほとんどなかったのである。
ゼロエミッションラボ沖縄 神谷 美由希
左から神谷美由希さん、平良友里奈さん、山城博治・県民の会事務局長、右端が瑞慶覧長風・南城市議(9月24日、沖縄市でのキックオフ集会で)
私は、9月24日のキックオフ集会で司会を務めさせていただきました。
今、台湾有事の危機があるなかで、私たちは絶対に戦争に反対することを国内、世界中に発信していかなくてはいけない大事な局面にあります。
去年から私はその危機感を強くし、平和活動に力を入れることにしました。
今、私たちは「戦争反対!」と国内外でアピールしないといけないという強い思いでこの活動をしています。
長崎大学多文化社会学部3年 猪原 彩美
ナガサキ・ユース代表団第10期生は、2021年11月に就任し、NPT再検討会議への参加のため、22年8月にアメリカのニューヨークを訪問しました。ナガサキ・ユース代表団とは、長崎県・長崎市・長崎大学の3者で構成された、核兵器廃絶長崎連絡協議会が主催する、人材育成プロジェクトです。13年から、核軍縮・不拡散に関する国際会議への参加と、その事前事後の活動を通じて次世代を担う長崎の若者が最新の国際情勢を学ぶとともに、この分野で活躍する世界の人々と出会い、知識を行動に結びつける力を養うことを目指しています。
東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センターYouFO 平良 友里奈
「争うよりも愛しなさい」、このタイトルは、5月23日に沖縄テレビの夕方のニュースの特集で放送された時に付けられたものだ。私は、沖縄を戦場にさせない「2・26緊急集会」そして「5・21平和集会」の司会を務めさせていただいた。この集会のスローガン「争うよりも愛しなさい」、これを提案したのは、私であった。
南城市議会議員 瑞慶覧 長風
若者の立場からということでごあいさついたします。私は6月までは29歳というのがいちばんの売りだったんですけれども、6月17日で30歳になりました。責任の大きい立場でまたしっかりと頑張っていきたいと思います。
東アジア共同体研究所理事 兼 琉球・沖縄センター長 瑞慶覧 長敏
ずけらん・ちょうびん 1958年生まれ。衆議院議員1期(2009年民主党)、南城市長1期(2018~2022年)を務めた。
「沖縄タイムス」(5月23日付)に「『平和運動に新風』吹く」とのタイトルの社説が掲載された。反戦平和集会の様子が社説にまで取り上げられるのは異例のことだ。