社会保障 ■ 地域のケアをどう支えるか?

岐路に立つ日本の社会保障と介護保険

鹿児島大学法文学部教授 伊藤 周平

いとう・しゅうへい 1960年生まれ。専攻は社会保障法。東京大学大学院修了。法政大学、九州大学助教授を経て、2017年より現職。著書に『社会保障入門』(ちくま新書)、『岐路に立つ日本の社会保障―ポスト・コロナに向けての法と政策』(日本評論社)など多数

【1】社会保障の基本は公的責任

 日本国憲法25条は、国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(「生存権」といわれる)を明記し(25条1項)、同条2項で「国は、すべての生活部門について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定し、生存権を保障する義務を国(自治体も含む)に課している。
 私たちは病気で働けなくなったり、障害を負ったり、突然会社が倒産して仕事を失ったりと、個人の努力ではどうしようもない場面にしばしば遭遇する。そうした場合でも、健康で文化的な最低限度の生活が維持できるように、すなわち生存権を保障するために、国(自治体も含む)の責任で生活を保障する仕組みが「社会保障」といわれるものである。
 しかし、現在の政権は「自助・共助・公助」を掲げつつ、「自助」を重視(強要)し、国の役割を最小限にとどめることを政策の基本にすえ、社会保障の歳出削減を進めている。困ったときは公(国・自治体)が助けてあげるという恩恵的な意味あいの強い「公助」ではなく、国・自治体の公的責任で、社会保障を整備し国民の生活を保障することが憲法25条の規範的要請である。
 ここでは社会保障の中で現在、危機的状況に陥っている介護保険をとりあげ、その現状と課題を探り、地域のケアをどう支えていくべきかの問題提起を行いたい。

伊藤教授が問題提起した第20回全国地方議員交流研修会「岐路に立つ日本の社会保障―地域のケアをどう支えるか」分科会

【2】制度崩壊に
直面する介護保険

 介護保険は介護を社会全体で支える(「介護の社会化」の実現)として、従来の高齢者福祉を再編して2000年から実施された。しかし、実施から四半世紀を経過して深刻な担い手不足、施設不足にみまわれている。
 現在の国の対応策は、公費投入はなるべく回避しつつ、処遇改善加算や人員配置基準の緩和など小手先の対応策に終始し、基本報酬は引き下げ、よくて微増といった施策を続けている。このままでは、早晩、介護保険は制度崩壊の危機に直面するだろう(すでに直面しているともいえる)。
 制度危機に直面している介護保険制度が、地域包括ケアシステムの中心、つまりは医療提供体制の改革による病床削減、その帰結としての退院患者(とくに高齢者)の受け皿になりえないことは明らかであろう。介護保険以外の受け皿として想定されているのが、ボランティアや地域の絆という実態のあいまいな互助であるが、互助が機能しない場合には(多くは機能しないと考えられる)、家族による介護・支援に依存せざるをえない状況となる。
 制度から排除され、介護サービスが利用できない高齢者がとくに低所得層で増え、家族介護の負担が増大し、介護殺人など悲惨な事件が増大している。いま介護現場は、家族介護者のみならず施設などの介護職員の献身的努力によって、なんとか支えられているのが現状だ。

【3】介護保険の本質と課題

 そもそも介護保険はなぜ導入されたのか。その本質は何かについて改めて検討しておこう。「介護の社会化」が達成されると称してスタートした介護保険制度であったが、制度導入の最大の目的は、医療費(とくに高齢者医療費)の抑制と介護による医療の下請け化、医療の安上がり代替にあったといえる。
①高齢者医療費抑制の制度
 介護保険法1条にもあるように、介護保険の給付対象者は介護のみならず「その他医療を必要とする者」であり、「保健医療サービス」に係る給付を行うとされている。老人保健施設や介護療養型医療施設(現在は介護医療院)が介護保険施設とされ、訪問看護も介護保険サービスの対象とされた。
 つまり、介護保険は、従来は医療保険の給付で行っていた保健医療サービスの一部を介護保険サービスとして、介護保険の給付で行うことにより、増え続ける医療費、とくに高齢者医療費を抑制するために構想された制度であった。その後、高齢化の進展などにより、再び高齢者医療費が増大に転じたので、2008年から介護保険の財政構造をモデルとした後期高齢者医療制度が導入されたのである。
②介護労働による医療の
下請け化
 同時に介護保険導入には、介護労働による医療の下請け化、医療の安上がり代替という狙いもあった。介護保険制度は、本来は「看護」と同じケア労働に属する「介護」を「看護」から意識的に分離することで、医療における看護師とは異なって、専門性や労働条件の面でより低い水準の「介護労働者」概念を作り出し、それを前提とした制度設計となっている。
 介護労働者の給与の原資となる介護報酬は、診療報酬より低位に据え置かれ、介護職は安上がりな労働力として位置付けられた。それにより、介護職による医療の(安上がりな)下請け労働が可能になったともいえる。また、医師が必要と判断した治療には原則すべて保険がきく医療保険の給付と異なり、介護保険の給付には保険がきく上限(支給限度額)が存在するため、給付費を抑制することができる。
 こうした目的に沿って2011年に、社会福祉士及び介護福祉士法が改正され、介護福祉士も痰の吸引などの一部の医療行為を業務として行うことが可能となった。ただ、省令で定めるため、法改正なしに医療行為の範囲が際限なく拡大されていくおそれがある。
 介護保険による医療の安上がり代替は、医療費抑制政策の一環としてとられたが、医師や看護師が不在でも、介護職に一定の医療行為を認めることで、介護現場では医療従事者が手薄となり、医療から切り離されていくこととなった。
 同時に、それは、高齢者施設等での要介護者の医療を受ける権利が制約されることを意味し、新型コロナのパンデミックにより、多くの高齢者が施設に留め置かれ、必要な医療が受けられないまま亡くなるという事態(「留め置き死」)を招いたのである。
③公的責任の縮小と
介護の商品化
 介護保険のもうひとつの目的は、従来の自治体責任によるサービス提供の仕組みを個人給付・直接契約方式に転換し、公的責任を縮小し、公費を抑制するとともに、在宅事業への企業参入を促し、供給量の拡大を図る点にあった。
 「措置から契約へ」の理念のもと、1990年代後半から、社会福祉分野では、社会福祉基礎構造改革と称して、自治体の責任でサービスを提供(現物給付)する措置制度の解体が進められた。介護保険法は、その先駆けと位置付けられ、措置制度のもとでの高齢者福祉における自治体による直接的なサービス給付(現物給付)から、要介護認定により給付資格を認められた要介護者へのサービス費用の助成給付(現金給付)へ(個人給付方式)、さらに、要介護者(利用者)が事業者と契約を締結してサービスを利用する仕組みに転換された(直接契約方式)。
 認定を受けた要介護者に支給される給付金を事業者・施設が代理受領することで、従来の補助金のような使途制限がなくなり、在宅事業への株式会社などの参入を促し、いわば企業参入により供給量の拡大を図ることを意図した制度でもあった(介護の市場化、もしくは介護の商品化)。
 確かに介護保険導入以降、在宅事業には多くの株式会社が参入し、供給量の増大が図られた。しかし、介護職員の人件費に配分されるべき介護報酬が、株式会社であればまずは株主の配当などに優先的に配分されるため、企業参入に依存した供給拡大を図る介護保険のもとでは、介護報酬の低位据え置きと相まって、とくに企業の介護職員の労働条件は急速に悪化した。
 株式会社のみならず、社会福祉法人などの非営利法人も、介護保険法のもとでは、介護報酬と利用者の利用料で運営していくことが基本となり、介護報酬の引き下げが続く状況では、事業の効率化とコスト削減を迫られる。介護事業は事業支出の大半を人件費が占めるため、それは必然的に人件費の抑制、つまり介護職員の労働条件の悪化をもたらす。介護保険のもとで介護職員の劣悪な労働条件と人材不足は、まさに制度的にもたらされたものなのである。
 介護保険施設については、株式会社の運営が認められていないので、在宅事業のような供給量の増大はみられない。とくに需要の大きい特別養護老人ホームは、国が建設の国庫補助を廃止して一般財源化し増設を抑制してきたこともあり、不足が顕著である。また、介護報酬の引き上げが加算中心のため、現在の物価高の中、特別養護老人ホームの運営も厳しくなっている。入所待機者は全国で32万人を超える一方で、サービス付き高齢者向け住宅や有料老人ホームなどは増加しているものの、結果として低所得の要介護高齢者の行き場が失われている。

【4】介護保険の当面の抜本改革

 以下では、介護保険の抜本改革案と介護保険法の廃止を含めた課題を提示する。
①低所得者は介護保険料免除を
 まず社会保険方式(すなわち介護保険方式)を維持するのであれば、介護保険料を所得に応じた定率負担にし、賦課上限を撤廃するなどの抜本改革が不可欠となる。そのうえで、住民税非課税の被保険者については介護保険料を免除とすべきである。そもそも、住民税も課税されないような低所得の人から保険料を徴収すべきではない。実際、ドイツの介護保険では、保険料は所得の2%程度の定率負担になっている。
②要介護認定の抜本的見直し
 現在のコンピューター判定と身体的自立度に偏向した要介護認定を廃止し、医師や介護職を構成員とする判定会議による認定の仕組みに改める必要がある。
 ドイツでは、認知症高齢者の増大に伴い、介護保険の要介護認定の抜本的見直しを行い、認知症高齢者の独自の基準を設定している。認知症高齢者の増大が続いている日本でも、要介護認定の見直しが検討されてしかるべきであろう。
③ヘルパーの公務員化
 介護人材の確保については、人員配置基準を引き上げたうえで、介護報酬とは別枠で、介護職員だけでなく看護職員や事務職員も対象とした公費負担による処遇改善交付金を創設すべきと考える。なかでも在宅介護の要であるホームヘルパー(訪問介護員)は人材不足が深刻となっており、訪問介護部門を介護報酬の仕組みから切り離し、介護保険制度創設前のように、市町村の直営・委託で行う方式にして、公務員化するべきである。
④施設建設費の国庫補助
 施設建設費補助への国庫補助を復活させ、不足している特別養護老人ホームの増設を進めるべきと考える。
⑤実効的な家族介護者支援
 家族介護者に対する現金給付を介護保険の給付として制度化すべきである。日本の介護保険はサービスを利用したときの給付しかないが、ドイツでは現金給付が制度化されており、現金給付とサービス給付とは選択でき、併用することも可能である。さらに、家族介護を社会的に評価し、家族介護者と要介護者との間に就労関係を認め、自治体が介護者の労災保険料を全額負担することで、介護者が介護に基づく傷病に遭遇した場合には、労災の給付対象とする仕組みが導入されている。
 日本では、家族などの介護者に対する支援は、地域支援事業の中に位置づけられているが、任意事業のため、自治体によってばらつきがあり、内容も介護者交流会の開催や相談などにとどまり、家族介護慰労金のように事業として存在していても、要件が厳格なためほとんど利用者がいないなど、さまざまな問題点が指摘されている。実効的な介護者支援は皆無といっても過言ではない。
 ドイツのような現金給付を導入すれば、家族介護者の労働の権利を保障することができるし、介護者の支援にもなる。それに伴う介護保険料の引き上げについては、前述したような定率保険料の導入のような抜本改革で対応すべきである。

【5】介護保険を廃止し介護保障制度を

 とはいえ、すでに介護保険そのものが「保険料あって介護なし」の状態に陥り、「国家的詐欺」と称されるまで制度としての信頼を失っている。
 社会保険方式で介護保障を行うことの限界は明らかで、将来的には介護保険の給付のうち、訪問看護や老人保健の給付などは医療の給付に戻したうえで介護保険法は廃止し、高齢者の福祉サービスの提供は自治体の責任で公費(税)により行う方式にすべきと考える。これにより特別養護老人ホームや老人保健施設の入所者への診療の制約もなくなり、福祉サービスと同時に必要な医療を受けることができるようになる。また、介護保険による医療の安上がり代替も防げる。
 さらに、個人給付・直接契約方式ではなく、市町村と高齢者・障害者との契約という形で、市町村が直接的な福祉サービス提供の責任を負う方式にする必要がある。これにより私立の社会福祉事業は、給付費を代理受領するのではなく、委託費を受けて運営することになり、運営の安定性を確保できる。委託費(公費)を増額していけば、職員の基本給の底上げなど労働条件の改善も可能となる。その財源は消費税増税ではなく、所得税や法人税の累進性を強化して確保すべきである。
 しかし、こうした所得税や法人税の累進性の強化などの税制改革の実現可能性は、財界や富裕層から献金を受けている現在の自民党政権が続く限り、ゼロといっていい。財界や自公政権は、社会保障の増大を経済成長の足かせのように認識しているようだが、実際には、例えば年金給付は、高齢化が進む地方経済において大きなウエートを占めている。島根県(高齢化率33・6%)の県民所得に公的年金給付が占める割合は18・2%にも及ぶ。年金の減額は消費の低迷を招き、地方経済を衰退させる。安心できる年金制度の確立は、高齢者のみならず現役世代の老後の安心を拡大し、消費拡大と地方経済を含めた日本経済全体の活性化という好循環を生み出すはずである。
 さらに医療や福祉の充実は、公共事業よりも雇用創出効果が高いことが実証されており、若者が地方に戻ってくる契機となる。社会保障の充実のために思い切った公費投入を行うべきである。
 介護保険法の廃止と公費方式の介護保障制度への転換は法改正が必要となるが、自治体レベルでも介護職員への公費による独自の賃金補助(処遇改善)を行うこと、市町村が訪問介護事業者の指定をとり、ヘルパーを公務員として雇用することを求めていくことはできる。
 地方議員の皆さんの奮闘を期待したい。

伊藤教授が問題提起した第20回全国地方議員交流研修会「岐路に立つ日本の社会保障―地域のケアをどう支えるか」分科会