市民集会場に溢れる怒りの結集
横暴な建設強行を絶対に許さない
うるま市議会議員 国吉 亮
今回の建設計画に対する反対の動きは予測はできた。しかし昨年の12月20日の新聞報道からわずか3カ月余り。このような大きな動きになるとは正直夢にも思っていなかった。今私が感じている思いは私だけではなく、おそらく多くの方が感じているだろう。わずか10日程度の集会案内にもかかわらず収容人数約1000人規模の会館に参加者は溢れ、通路もロビーも満杯の1200人超の方々が集結した。地元紙は、「登壇者から『断念』『白紙撤回』という言葉が出るたびに会場からは大きな拍手が巻き起こり、地鳴りのように響きわたった」と伝えた。
私はこれまで約25年にわたり政治的な集会やさまざまな集会に参加してきた。しかし今回のように保革を超えて市民が一丸となり、本気で一つのことに向かって進んでいく熱気のある集会は人生で初めて経験した。ある方は、「昔の政治集会を思わすような超弩級の集会。定員を250人もオーバーして床や通路、階段に座る人が…石川地区住民の怒りが結集した民意発現の集会でした」と記していた。
保守も革新も超えて
「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」共同代表の伊波常洋氏が開会あいさつした。
「降って湧いたような国の横暴だ。私はこれまで保守として自民党として、市議4期、県議2期を務めた」「翁長雄志元知事は辺野古のことで、保革を超えて闘った。私たちも今、保革を超えて立っている」「12月にいきなり新聞報道で計画が出た。地元の旭区には一言もなかった。それからわずか80日でこのような闘いが展開された」「先日、自民党県連の島袋大幹事長、沖縄3区選出の島尻安伊子衆院議員が木原稔防衛大臣に対して直談判した。事態は非常に動いたが、完全に断念するまで油断せず、力を結集して断念を目指そう」「翁長知事が言ったように『うちなー、うしぇーらってーならんどー』(沖縄を侮ってはならないよ)。お願いします」
集会の壇上に立った中村正人うるま市長も、「計画の白紙撤回へ皆さんと共に力を合わせ最後まで頑張っていく」と述べた。
また玉城デニー知事は集会にメッセージを送り、政府に対して「地元が示している意思を真摯に受け止めて計画を断念すべきだ」として、「県としてもあらゆる機会をとらえて政府に用地取得を含めた計画の白紙撤回を求めていく」と表明した。
東山区民代表の石川さんは、「想定外で、宮森小学校のジェット機墜落事故を彷彿させる衝撃を受けた。市長は先頭を切り市長生命を懸けるくらいの覚悟で住民を守ってほしい」と檄を飛ばした。
老いも若きも市民の総力で
市選出県議団代表として地元石川地区の山内末子県議は「今回一人一人が力強く立ち上がり、これだけ多くの力が結集した。国はわれわれの民意を蔑ろにした。国に対しての勇気ある行動だ。憲法に保障された地方自治は住民自治。自治会はいちばん基本的な自治で、自治会が掲げた決議は重い。自治会の決議が議員、議会を動かし、市長が、知事が断念を求めた。防衛相は『住民の声を重く受け止める』と言う。ならば国はわれわれの心に寄り添い民意を尊重すべきだ」「絶好の生活環境と教育、子育ての環境。その全てを破壊するような計画に、立場を乗り越えてしっかりとノーを突きつける」「住民が一丸となり、断念の2文字を勝ち取る」と力を込めた。
計画が予定されている旭区自治の子ども育成会長は「65年前の宮森小学校の米軍ジェット機墜落の悲劇を忘れてはいけない。私の子ども、孫、地域の子どもたち、未来の旭区を守るため決意した」「子育て世代の私たちが声を大にして訴えたい。住宅街の中に訓練場はいらないと、将来の子どもたちの安全を守るためにも訴えていく」と心が震えるスピーチをした。
「自由と権利守りたい」と高校生代表の小橋川菜乃さん(球陽高校1年、16歳)は次のように訴えた。
「権力の暴走によって、自由と権利という土台が崩れ、十分な対話ができず、それぞれの正義が対立していると感じる」と国と地元の溝を指摘し、「命より大切な正義があるか」と訴えた。「国の在り方を決める権利は国民が持っている」と民主主義の本質を語り、今回の計画が断念されても新たな候補地を生むことになると、「問題の本質的な解決にはならない」と批判した。「住民が(民主主義を)意識することが重要だ」と、声を上げ続けることを聴衆に呼びかけた。
市老連石川支部代表の河野修さんは、「自衛隊の訓練場整備計画について、政治的な立場を乗り越えて一緒になって皆が断念を求めている。その通りだと思う」「年齢を重ねるごとに心身が衰えていくが、身体が悪化してしまう要因には精神的ストレスがある。訓練場の整備計画は、つらく苦しかった戦中、戦後の記憶を土足で踏みにじるような行為であり、精神的な苦痛だ。即刻断念するべきだ」と怒りを込めた。
寝耳に水の報道から3カ月
昨年12月20日、政府防衛省が沖縄県うるま市石川東山のゴルフ場跡地に陸上自衛隊訓練場を新設する方針を固めたとの報道が明らかになった。寝耳に水とはまさにこのことである。地元旭区自治会の区民はもちろん石川地区の市民が強い怒りとさまざまな懸念を覚えたのは当然のことで、今後大きな建設反対運動の流れが起こることは当初から予測できた。それでも3月20日の会場に溢れる怒りの結集は想像を超えた。
地域のこれまでの動きとしては、いち早く地元旭区区民が立ち上がり、この地域に住む者の誇りとして、さらにはこれから続く子どもたちの未来を守るために力強く建設反対の意思を示してくれた。その流れを受けて石川地区の15の自治会長連絡協議会がこれに賛同し、さらにはうるま市全体の63自治会の連絡協議会も建設計画に反対するなど大きな流れに発展した。
一方で政治的な動きとしては、石川地区選出の市議会議員7人が結束し、沖縄防衛局に建設計画に対する反対の意思表示に加え要請書を手交した。保守革新を問わずこのような動きになるのは、うるま市が合併して以降初めてのことである。さらに石川地区では、元石川市議会議員OB会が結成され、26人の元職が反対の活動を支えることを表明した。
沖縄県の玉城デニー知事は、防衛省木原防衛大臣に建設計画のあり方について白紙撤回を求めた。さらには沖縄県自民党県連も白紙撤回を国に求め、沖縄県議会は自衛隊訓練場整備計画の白紙撤回を求める意見書を全会一致で採択した。
これまで賛否を明らかにしていなかった中村正人うるま市長も、ついに3月1日に白紙撤回を表明した。
うるま市議会でも3月19日に、「うるま市石川地域における自衛隊訓練場整備計画を白紙に戻し、これを断念する願意の意見書」を全会一致で採択した。
集会にも参加し発言があったが、隣町金武町の全町を網羅する区長会も反対を決議するなど声は広がった。
「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」結成
「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」が3月10日に結成され、17の団体が加わった。この会の組織的スタンスとしては、自衛隊についての賛否を問わず、うるま市石川東山ゴルフ場跡地への自衛隊訓練場設置計画の断念を求めることを一致点としている。
なぜ、われわれがここまで頑なに計画の断念を訴え、そして訓練場設置計画反対の世論がこれまで大きく形成され市民が力強く立ち上がったのか。
それは閑静な住宅地にあまりにも近すぎるということ。この場所に自衛隊の訓練場が建設されれば、住環境や子どもたちの健全な育成にとって大きな支障をきたすことは明らかである。また隣接している沖縄県立石川青少年の家は年間で4万人の県民が宿泊し研修を行っている。さらに前面には老人施設もある。このような場所に訓練場を建設することは不適切と言わざるを得ない。それに加え、われわれ住民に丁寧な説明も果たさないまま計画を進めている防衛省の不誠実な進め方に憤りを感じる。「地形が訓練場として適している」ということだけで住民を軽視した計画は到底容認することはできない。
何よりも設置計画が持ち上がった石川地区には、忘れることのできない米軍占領下の痛ましい記憶がある。宮森小学校米軍機墜落事故である。
1956年6月30日当時、石川市(現在うるま市)で米空軍ジェット戦闘機が墜落、民家35棟をなぎ倒し宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)を直撃・炎上。小学生11人など死者17人(やけどの後遺症で事故の17年後に1人が23歳で死亡、死者合計は18人)、重軽傷者210人の大事故だった。
市民集会でも何人もがこの悲惨な事故を繰り返してはいけないとの思いを切実に語っていたのは印象的だった。
「台湾有事」が叫ばれ、県民の中には「再び戦場とされるのか」の思いが広がっている。そうした中での突然の訓練場設置計画の浮上である。市民の、とりわけ石川地区の皆さんの思いを想像していただきたい。
これからも力強く
断念に追い込む
防衛省は現在本計画の見直しをしているが、当初の説明では、ヘリコプターの離着訓練、空砲を用いた射撃訓練、夜間訓練を行うとのことであった。そして今後この計画がどのように進んでいくのかは、現在に至っても市民に説明できていない。それに伴い市民の方は不安と怒り、モヤモヤを抱えたまま生活をしている。
今回の自衛隊訓練場設置計画は住民の視点や思いを完全に無視した、あまりにもずさんな計画だ。
木原防衛大臣は「土地取得後の利用の在り方を、住民生活を重視する観点から見直す」と答えた。この言葉の裏を返せば、これまで「住民生活を重視」してこなかったことの表明と捉えることができる。
これだけの多くの民意、思いを蔑ろにしたうえで陸上自衛隊訓練場設置計画は進めてはならない。われわれは本計画を断念させるまで力強く進んでいく。