政府は責任をもって遺骨収容・返還に取り組め
戦時下の1942年に山口県宇部市の長生炭鉱で起きた水没事故で、祖国から動員された朝鮮人坑夫136人と日本人合わせて183人が犠牲となった。悲惨な事故から83年たった昨年の8月26日、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の長年の努力によって犠牲者の頭蓋骨を含む遺骨がついに発見・収容された。
しかし、その後も刻む会は外務省、厚労省、警察庁の代表を相手に対政府交渉を何度も繰り返したが、遺骨の身元特定のためのDNA鑑定はそのつど持ち帰り検討すると言うものの、毎回のらりくらりの回答で、進展のなさに刻む会と交渉参加者の怒りは募るばかりだった。
こうしたなか1月13日の日韓首脳会談で、犠牲者の遺骨の発掘と身元特定のためのDNA鑑定を日韓両政府が共同して推進することで一致した。
会談後の共同記者発表で韓国の李在明大統領は「過去の歴史問題で小さいが意味のある進展を成し遂げ、意義深く思う」と語った。刻む会の井上洋子代表は、「政治的決断が下されたことと受け止める」と評価し、「鑑定だけでなく遺骨返還も見えてくる」と喜んだ。
日本政府は、責任をもって遺骨収容・遺族への返還に本腰を入れて取り組まなければならない。
2月に遺骨収容
プロジェクトを実施
刻む会は2月に遺骨収容プロジェクトの実施を計画している。6日に潜水調査・遺骨収容を開始し以降11日まで続けられる。
7日には84周年犠牲者追悼集会を開催。韓国からは犠牲者の遺族15人が出席予定で、去年の追悼集会と同じく韓国政府の代表も参加する。今回は文在寅元大統領が参加するのではという話もある。日本政府ももはや無視することはできない。
首脳会談を受けて日本
政府の対応にも変化?
日韓首脳会談直後の1月20日、刻む会は警察庁と外務省を相手に対政府交渉を行い、国会で記者会見と報告会を開いた。総選挙を目前に控えた6人の国会議員と多数の報道関係者が出席した。
冒頭、刻む会の上田慶司事務局長が対政府交渉の報告をした。
警察庁は、遺骨の身元特定については日韓の協議を進めているが、協議が整っていないので言えることは何もないと述べたが、「効率よく、確実な方法を日韓で探っている」という言葉を初めて発し、終わりに「そう遠くない時期に鑑定はできると思う」と語ったという。
外務省は、DNA鑑定の情報共有についても、韓国側との協議の中身についても、はっきりするまでは言及できないと、目立った発言はなかったようだ。だが、「犠牲者追悼集会への参加については厚労省から一両日中に刻む会に連絡がある」と、これも初めての発言で、水面下での日韓協力が進んでいることをうかがわせた。
上田事務局長は、昨年末には「政府がこのままの態度では、DNA鑑定を刻む会が独自に行う」としていたが、日韓協議を進展させることに重点を移すと報告した。
対政府交渉に参加した国会議員も、日韓首脳会談で明らかになった韓国側の対応の進展が、日本政府の変化を促したことが垣間見えたと口々に語った。
日韓首脳会談に涙が出るほど感動
次いで井上洋子刻む会代表が、概略以下のように発言した。
私は1月13日の日韓首脳会談をテレビで見ていたが、高市首相が「長生炭鉱の遺骨のDNA共同鑑定に向けた協議が進展していることを歓迎する」と口にした。この瞬間は、本当に涙が出るほど私にとっては感動的であり、喜んだ。
日本政府として、たとえDNA鑑定というレベルであっても、共同で関与するということを表明した。その第一歩が今回の首脳会談だったと思っている。
ここに至る過程を振り返ると、刻む会も頑張って、日韓関係の皆さんのところに絶えず伺い、日本の議員連盟が超党派で韓国に出向いて韓国の議員連盟と話をしてきていたが、最も大きいのは韓国政府がこの間の私たちの運動を見て、とりあえず前に進もうと、ここで道を切り開いていこうと、運動のあり方について理解を示してくれたことだと思う。
12月の交渉の時にも本当に進んでいるのかなという不安はあったけれども、韓国政府は非常に粘り強く、諦めずに日本政府と水面下での交渉をされた。そのことが大きな力になったのではないかと、韓国政府には心から感謝したい。
李在明大統領が、歴史問題で小さな一歩だけれどもと、これからの日韓60年に向けての道が開けていけるような評価をされた。
日韓の間には歴史問題で認識の違いがあって、対立を繰り返してきたわけだが、この長生炭鉱のご遺骨問題で日韓が共同で歴史問題解決の一歩を踏み出すことができたと考えている。これからは、その一歩をどう二歩、三歩と前に進めていくのかが当面の課題だ。
日本が犯してきた数々の歴史問題は、もちろんDNA共同鑑定だけで済ませるわけにはいかない。私たちは、日韓共同での遺骨収容・返還事業に向けて具体的に進んでいく情勢がこの一年で始まるだろうと思っている。多くのご遺骨をふるさとにお返しする、こういう過程がこれから進んでいくだろう。
私たちがもうひとつ喜ばしいのは、韓国の尹昊重行政安全相が、刻む会に政府として褒賞を授与する方針を示したというお話をいただいたことだ。19日付の「聯合ニュース」によると、尹大臣は調査に消極的な日本政府に代わって「市民団体とダイバーが遺骨を発見した」と貢献をたたえてくれたそうだ。
日本の歴史問題に関わる本当に小さな団体がこのような褒章を受けることになったと、長年運動を支えてくださった皆さまにお伝えして心から感謝したいと思う。
井上洋子さんの力の源泉
井上さんが長年この運動を続けられている力の源泉はどこにあるのか、気になっていた。
井上さんは長野県下伊那郡天龍村の生まれ。父親は傷痍軍人で片目がつぶれた。恩給は手厚く、朝鮮人の犠牲者には国籍条項にひっかけて恩給はないという理不尽さがあったらしい。
幼稚園の頃、近くの平岡ダムに叔父が遊覧船を出してくれてお花見をしたことがあった。もちろんその頃は何も知らなかった。
しかし、東京の大学に入って友人が貸してくれた『朝鮮人強制連行の記録』(未来社刊)を読んだら、驚いたことに天龍村の文字が出ていた。
1940年に始まった平岡ダムの建設に3000人を超える労働者が朝鮮半島や中国から動員されていた。工事中に亡くなった人員は100人を超えているが、いまだ調査中だという。
自分の育った村がこんな負の歴史を持っていたことを聞いていなかった井上さんには、青天の霹靂というか、故郷のイメージが吹っ飛んだみたいな衝撃があったという。故郷にそれなりの誇りがあった彼女には、朝鮮人、中国人の捕虜を酷使していたと、しかも犠牲者は薪が足らず火葬できなかった遺骨は滝に捨てられたという記述が衝撃だった。
子供の頃にその滝を眺めたこともあったが、こんな悲しい現場だとは知らなかった。
その後、山口県に転居して長生炭鉱のことを知り、故郷も同じだが、遺骨は返せるものなら返したいと、今の長生炭鉱水非常を歴史に刻む会の運動に加わったという。
山口県宇部市出身の広範な国民連合・東京賛同会員 中尾哲則
