「米国が守ってくれる」と思っていた日本が異常だった
元内閣官房副長官補 柳澤 協二(元防衛省)
米大統領選
「またトラ」の選択
11月5日の米国大統領選ではトランプが勝ち、上下両院選でも共和党が多数を獲得した。バイデン政権とハリスが国民の不満を吸収する言葉を持てなかった結果である。米国経済は、IT・先端技術産業を中心に米国一強というべき活況であった。
だが、経済構造の変化に取り残された中間層の生活が、インフレによって困窮していた。アメリカン・ドリームを支え、享受してきた労働者や自営業者といった中間層が崩壊した。彼らは、「より良い明日」ではなく、「とにかく現状をぶち壊す」ことを理屈抜きに求め、政策エリート集団である民主党を見放し、理屈を無視して変革を訴えるトランプを選択した。
トランプ主義の
背景にある構造変化
トランプは、①輸入品への関税、②化石燃料の増産、③移民への差別、④多国間枠組みの忌避、⑤同盟国に対する防衛の否定、⑥連邦政府の支出削減などを主張してきた。
関税引き上げによる保護政策は、コストを高め健全な競争を阻害してインフレを加速させる。石油・ガスの増産は気候変動を加速し、自然災害を多発させる。移民の強制送還は、国内治安を悪化させる。連邦職員と支出の削減は、国民への行政サービスの低下を招く。これが、トランプを支持した国民の不満解消につながることはない。
気候変動や人権への無関心は、米国の国際的孤立を招く。同盟国に対して「守られたいなら金を出せ」という主張は、米国を盟主としてきた同盟国の信頼を失わせる。関税を梃に特定の国を脅す手法はトランプ外交の真骨頂だが、その脅しが利くのは米国を必要とする同盟国・友好国である。
かつての米国は、冷戦構造の下で、自由主義陣営の国々の復興を支えながら、「自由で開かれた」世界を目指し、世界の経済を主導してきた。それが米国の最大の国益であった。自由という価値観のもとに構築された同盟と基地のネットワークは、米国の政治的・軍事的優位性を支え、米国を「偉大な」覇権国にした。トランプ主義は、その米国からの決別を意味している。それは、トランプの考案というより、米国が世界をリードする力を失った現実の反映である。
米国が価値観を抜きに中国と覇権を争うとすれば、取り巻く国々も「どちらが得か」で大国との距離を判断するだろう。米国の「高関税」と中国の「債務の罠」という究極の選択である。BRICSを中心とする国々は、すでにドルに代わる決済通貨を模索している。
今、トランプを止める者はいない。同時に、トランプの思い通りになる国内的・国際的条件は失われている。トランプ主義は、破綻を約束されている。
トランプは戦争を
止められるか
トランプは、ウクライナ戦争とガザ戦争の終結を公言している。理屈はともあれ、戦争を止めなければならない。だが、トランプに期待していいのだろうか。
1 ウクライナ停戦は
実現するのか?
ウクライナに関するトランプの方針は、停戦に応じなければウクライナへの支援を停止する一方、ロシアに対しては、停戦に応じなければウクライナへの支援を強化するという二枚舌の圧力をかけるというものらしい。ウクライナは、クリミアを含む全土の奪還を目標としてきたが、戦場での決着がつかない状況を踏まえ、NATOの関与を前提とした停戦を受け入れる可能性を示唆している。
いま停戦を実現するには、朝鮮戦争の停戦ラインと同様に、前線を基準として緩衝地帯を設定するやり方が考えられる。ロシアが占領地からの撤退を受け入れないからだ。それは、ウクライナにとってロシアの占領状態を是認することであり、大きな禍根が残る。停戦は、暴力や抑圧からの解放という真の平和を意味しない。他方、寸刻みの土地の奪い合いという「勝利なき戦い」の犠牲者を増やし続けることも、耐え難い。
停戦は必要だが、ロシアによる占領を恒久化・合法化するものであってはならない。それは、武力による国境線の変更を意味するからだ。停戦とは、砲弾で実現できなかったロシア軍の撤退を、交渉と国際的圧力で実現する努力の始まりである。その原則を堅持しながら早期の停戦を実現する国際世論を喚起していくことが必要である。
停戦後ただちに取り組むべき課題としては、無数の地雷が埋設された前線地域の復旧と兵力引き離しのための国際部隊の配備である。占領地へのロシア・ウクライナ双方の住民の帰還と保護、また、戦争犯罪容疑者として訴追されているプーチンやロシア軍高官に関する対応も議論されなければならない。そのプロセスの中で、停戦を恒久的な終戦に至らせる道のりが見えてくる。戦争を終わらせることは、容易なことではないのだ。
2 ガザはどうなるか?
ガザについてトランプは、「大統領就任前に人質の解放をしなければ『地獄の代償』を支払わせる」と言っている。戦闘終結を促すなら、ハマスに対する脅しだけでなく、人質を解放すれば「いかなる報償があるのか」も語らなければならない。
パレスチナ問題には二つの側面がある。一つは、イスラエルが累次の戦争で占領したヨルダン川西岸に入植地を拡大、パレスチナ人を迫害していることだ。占領地への入植は国際法違反である。昨年には、国際司法裁判所が入植を違法とする勧告を行い、国連総会では、イスラエルに対して1年以内に占領を終わらせることを求める決議が、日本を含む124カ国の賛成で可決されている。入植と迫害こそ、パレスチナ問題の根源である。
二つ目に、ハマスの奇襲・人質略取とイスラエルの報復で始まった戦争がある。ハマスの行為は犯罪であり、ガザの人々を保護できないという意味で大きな失態である。一方、イスラエルは、これを戦争と定義し、ハマスの壊滅を目指している。それは、ガザの行政組織とハマスを支持する人々の壊滅と同義であり、国際人道法違反の無差別破壊・殺傷を引き起こしている。昨年、国際刑事裁判所は、ハマス指導部とネタニヤフ首相を戦争犯罪容疑者として逮捕状を出した。
米国は、この二つの側面でイスラエルを支持している。昨年、パレスチナの国連への正式加盟について、日本を含む143カ国が支持したものの、米国は安保理で拒否権を使って反対した。また、一昨年10月の戦争開始以来、米国は、イスラエルの自衛権を支持し、武器の支援を継続している。
その米国が、公正な仲介者としての立場をとることは不可能である。ましてトランプは、前回政権時に、エルサレムをイスラエルの首都と認定し、イスラエルの入植地を容認するパレスチナ国家案を提案している。
イスラエルとハマスの停戦協議が続いている。停戦後のイスラエル軍の残留について、ハマスが態度を軟化させているとの観測もある。ハマスはすでにガザにおける組織的戦闘力を失っているように見える。この条件の下で停戦するならば、軍事的勝利を得たイスラエルはガザの占領を固定化しようとするだろう。無益な破壊と殺害は、止めなければならない。だが、それが「強者の正義・弱者の抑圧」につながるのであれば、それは平和ではない。
3 台湾問題の見通し
台湾についてトランプは、中国が侵攻すれば200%の関税をかけると言っている。同時に、習近平との交渉を通じてそういう事態を回避することにも自信を見せている。200%の関税が中国の武力行使を抑止するとは、誰も考えない。
トランプは、台湾の独立や民主主義の擁護について関心がなく、対中カードの一つという見方をしている、と言われている。前政権時には台湾への大規模な武器売却を再開し、海兵隊数百人を常駐させるなどの変化があったものの、これがトランプ自身の一貫した思想を反映したものとは思えない。
米中関係が対立的に変化したのはオバマ政権末期からで、今や反中は超党派の傾向である。軍は中国との対抗を理由に軍事予算の増額を実現している。中国への高関税などの貿易戦争はすでに進行している。これをトランプが加速させることになるだろうが、行きつく先は、誰も知らない。
これまでのところ米国は、「一つの中国」政策を維持する立場を表明してきた。中国も、批判の矛先を主に台湾に向けている。こうした「常態」が変化すれば、戦争の危機が高まる。
トランプに米中関係の改善を期待できないとしても、戦争の危機を止められるのは、価値観にこだわらないトランプしかいない。習・トランプの対話を早期に実現することが望まれる。
4 金正恩とのディールは?
トランプは、金正恩との平和条約を再度試みるかもしれない。前回これに反対した側近は姿を消した。2018年の合意は、体制保証と引き換えに核放棄を約束するものだった。今日、核保有を主張する北朝鮮が「核放棄」に同意するとは思えない。また、ロシアとの軍事的結束を強化して米国の「善意」に頼らない体制保証を目指している。
この北朝鮮を丸ごと受け入れる前提に立てるのは、トランプしかいない。それは、地域の安定につながると同時に、トランプの持論である在韓米軍の撤退を可能にする。
崩れゆく同盟戦略
22年末に日本政府が決定した国家安全保障戦略は、「専制主義との戦い」「自由で開かれた国際秩序」「法の支配」など、米国と同一の価値観を掲げて防衛力の抜本的強化を宣言した。中国に対しては、武力による現状変更を認めないと警告している。だが、トランプはそういう価値観とは真逆の政治行動をとっている。ウクライナでも、武力による現状変更を積極的に肯定しようとし、同盟国には、GDP比5%の防衛費を要求している。戦略の前提が崩れている。
米国に頼れないとなれば、米国が応じてくれるまで要求を吞むか、米国を見限って自前の核武装をするか、米国から中国に乗り換えるか、という選択肢があるが、いずれも現実的ではない。もともと同盟には利益と不利益があるのであって、それを国益に沿って調整しようということだ。
「自分の国は自分で守れ」というトランの主張が当然で、「米国が守ってくれる」と思っていた日本が異常だったとも言える。そもそも、誰かに頼ることを前提とする政策が「見捨てられるか巻き込まれるか」というジレンマを招く。トランプの発想は、他国の戦争を自国の損得で考えるという意味で、まっとうだ。在日米軍の撤退が提起されるかもしれないが、日本にいる軍事力だけが抑止力を構成するわけでもない。トランプと向き合うには、これまでの同盟像や価値観を離れ、米国とは異なる日本の判断基準や国益を考えて対応しなければならない。
例えば、石破首相が提起した地位協定の改定は、超党派で取り組むべき目標である。これを国会など公開の場で議論し、コンセンサスを得て米国と交渉する。
あるいは、核の傘の是非に関する議論でもよい。オープンな議論を経て、自分なりの国益認識を確立しなければならない。
アジアで対米優位性を
もう一つの外交上の課題は、米国に対する相対的な強みを持つことである。大国が小国を尊重するためには、与える財の量においては大国が優るのだから、小国は、「不可欠性」で優る必要がある。かつてそれは、一部の部品技術であった。
今次トランプ政権には、対中強硬派は目立つが、アジア諸国と対話ができる人材がいない。東アジアは、多様性に富むと同時に、総じて米中対立が戦争になることを望まない。この国々に関する情報では、トランプにとって聞きたくないことであっても、日本が有益な助言をすることが可能で、米国外交における日本の重要性を高めることにつながる。それは、アジアにおける日本の立ち位置をより強めることにもなる。
米国と中国だけに焦点を当て、米中と「その他の国」としてしかアジアやグローバルサウスを見てこなかった日本だが、「その他の国」こそ、世界のなかで重きをなす時代に、改めてアジアの中の日本という発想を外交の中心に据えるべきである。