広範な国民連合代表世話人 角田 義一
「群馬の森」(県立公園、高崎市)に建てられていた朝鮮人労働者追悼碑の行政代執行撤去を群馬県は強行、2月2日に完了した。この許されざる暴挙に対して、広範な国民連合代表世話人で碑の建設当初から奮闘努力し、今も「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」共同代表を務める角田義一さんは、次のコメントを発表した。
「無惨にも追悼碑は破壊され、瓦礫の山と化してしまった。このような暴挙は人間性を欠いた非情な仕打ちであり、恨みが残り、決して許されるものではない。強い憤りを覚える。
しかし、諦めることなく、全国の有志の力を結集し、新たに追悼碑の再建に取り組んでいきたい」
群馬の森追悼碑
碑石には「記憶 反省 そして友好」という言葉が日本語・ハングル・英語で書かれている。
裏面碑文 追悼碑建立にあたって
2004年4月24日
『記憶 反省 そして友好』の
追悼碑を建てる会
20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦の最中、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊いいのちを失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えた今、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。
過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちの思いを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。
「代執行令書」に対する声明文
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会は1月23日、山本一太群馬県知事に宛てて、以下の声明文を発表した。
私たちは、1月19日付で、群馬の森追悼碑の撤去を代執行するとの「代執行令書」を受け取りました。司法の判断を錦の御旗にし、行政権力を行使する決断をしたと受け止めています。しかし、県の判断が本当に正しかったのか、誤りだったのかは、10年、20年後の日本の社会のありようが明らかしてくれるでしょう。
山本知事が生まれ育った吾妻地区は、戦時中に朝鮮半島から連れてこられた人たちの労働現場がたくさんあります。知事が利用した吾妻線は多くの朝鮮人によってつくられ、過酷な労働や危険な作業、劣悪な食糧によって多くの朝鮮人が亡くなりました。当事者の証言もありますし、地域の人の証言もあります。「俺んちの庭先に朝鮮人の飯場があったよ」との話も聞いています。異国の地で命を落とした無念の思いを追悼碑という形にし、彼らの生きた証しとして、その事実をきちんと後世に伝え、残したい、そして未来のアジアとの平和友好を築いていくという思いが表現されたものが群馬の森追悼碑です。
知事は「司法の判断にそって粛々と進める」と言っていますが、2022年の県議会で「群馬の森の追悼碑は二度訪れている、碑文は問題ない、日韓・日朝の友好に資する碑である」と答弁しています。本心でそう思うなら、そのまま群馬の森に置いておけばいいのではないでしょうか。
今回の県の行為は、群馬県内だけにとどまらず、日本全体にかかわる重要な内容を含んでいます。2013年当時、第2次安倍政権の時代、全国で歴史修正主義の動きが活発になりました。長野県の松代大本営跡地では銘板にある強制連行という文字が目隠しされたり、奈良の天理・柳本飛行場跡に建てられた朝鮮人の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述の銘板が撤去されたり、日本の植民地時代にあった歴史的事実を消し去ろうとする動きがあったのです。
それと軌を一にして、群馬の森の追悼碑に対して、ヘイト団体「そよ風」が高崎駅前で「碑文が反日的だ、撤去せよ」との街宣をしたり騒ぎを起こしたりしました。しかし、16年には「ヘイトスピーチ解消法」が制定され、自治体によっては罰則付きの条例をつくったところもあります。「そよ風」については19年、東京都の横網町公園での関東大震災慰霊碑前でおこなった集会での言動が東京都の人権尊重条例に基づき「ヘイトスピーチ」と認定されています。10年たった今日において、10年前と同じように撤去ありきの県のかたくなな姿勢は、彼ら、歴史修正主義者と同じ思想であり、彼らの言動を助長することにほかなりません。
全国いたるところに歴史の教訓を後世に伝える碑が存在します。アジアの侵略戦争で偉勲を立てた日清・日露戦争の碑もあります。一度建てた碑が、ある目的をもって撤去されるということはあり得ないことです。群馬の森追悼碑は県議会と県行政が公の地に建てることを認め、建立したものです。
強制代執行する行為は、2001年に県議会において、日朝・日韓の友好に資する、アジアの平和を築くために建立するとした趣旨を全会一致で採択した県議会議員の方々の思い、当時の小寺弘之知事、さらには、1998年に郷土出身の小渕恵三首相と当時の金大中大統領の間で交わした日韓共同宣言で「日本の植民地支配の歴史に痛切な反省と心からのおわび」を明記した約束をも否定することになります。代執行は群馬県行政史に汚点を残すことであり、その行為が暴挙であると刻まれるでしょう。
たとえ県が物理的に撤去しようとしても、戦後50年を機に、県内の朝鮮人強制労働の現場を調査し、記録に残し、後世に教訓として伝えようとした先達の追悼碑建立の思い、精神、思想を押しつぶすことはできません。
私たちはこれからも過去の歴史の事実に学び、日韓・日朝の真の友好、アジアの平和を築くために運動を続けていく決意です。