[ウクライナ戦争と日本]東郷 和彦

中長期的視野を忘れた岸田外交

静岡県立大学グローバル地域センター客員教授 元駐オランダ大使
東郷 和彦

ウクライナ停戦を実現するためには

 戦争というのは、太平洋戦争もそうでしたが、一度始めてしまうと終わらせるのは本当に難しい。始めてしまった以上は、自分が完全に負けるということで手を挙げることは、どちらもよほどのことがないとできないし、やらないです。日本も太平洋戦争の時、ミッドウェーから戦況がひっくり返り、最終的に終戦にいくのに3年かかりました。しかもやめる時に、「国体の護持」ができないのだったら最後まで戦って皆死んでもいいと。この時の日本人のメンタリティーは一体何だったのか、非常に重い問いをいまだに抱えています。だから、やめるというのは本当に大変なことだともいえます。
 では戦争をやめさせるためにはどうするかといったときに、プーチンを「悪の権化」でやっつけるしかないというのではなくて、プーチンにはプーチンの論理がある。そこをちゃんと見たうえで、最も早く停戦にもっていくにはどうしたらよいかということを考える。そういう姿勢をとらないと、物事が進まないし、かつ本質がわからないと思います。
 いま戦争を戦っている当事者はもちろんウクライナですが、ウクライナの背後で強烈にウクライナの戦いを支援してきたのが、アメリカのバイデンです。プーチン対バイデン・ゼレンスキーのコンビという組み合わせで戦争が進んでいる。だからプーチンは何を考えていたかということを把握して、そのプーチンをして停戦にもっていかせしめるにはどうしたらよいかということをバイデン・ゼレンスキーが考えるしか、戦争をとめる方法はないと思う。

欧州に受け入れられたいロシア

 ではプーチンは何を考えているのか、プーチンが語った言葉と行動で見ることが絶対必要です。そこはちょっとさかのぼらざるを得ないのですが、プーチンが大統領になったのは1999年12月31日です。その前のロシアはどうだったか。
 冷戦が終了したところで、ゴルバチョフという西側にとって都合のよい人物が出てきた。ゴルバチョフはロシアの指導者としては例外的に権力を維持するというセンスがなく、結局それがソ連邦を解体させた。ゴルバチョフは自らワルシャワ条約機構も解体してしまった。それでNATOもなくなるかと思ったら、東欧諸国がNATOに入れてくれと言い出した。間に立って非常に苦労したのはクリントンです。民主主義と市場原理をめざすロシアをあまり不幸にすることはできないということで、1995年にパートナーシップ・フォア・ピースという、東欧諸国の参加を認めるが、ロシアもそのとき困らないように一緒に考える、ロシアは決して敵ではないシステムをつくっていったわけです。
 ところが2004年に旧東欧の大部分に加え、旧ソ連邦のバルト3国までNATOに入れてしまった。ロシアとしてはNATOが国境に迫ってくるので、ロシアと国境を接するウクライナとグルジアは絶対にNATOに入らないでくれということが第一条件となったのです。
 プーチンは大統領になる2日前に、「千年紀のはざまにおいて」という論文を書いている。ソ連邦解体以来のこの10年で情けない三等国になってしまったロシアを一等国(強くて安定し豊かで風通しの良い国)にすることを自分の使命と書いた。そしてヨーロッパの安全保障秩序の真ん中に尊敬をもったパートナーとして迎え入れてもらう。その後プーチンがやってきたことは、ヨーロッパにどうしたらちゃんと迎えてもらえるのかということでした。一貫していてぶれてない。だからプーチンは、繰り返し1995年にもう一度戻ろうではないかということを言っていたわけです。

背景にあるウクライナの歴史

 ウクライナという国は、悲劇としか言いようがないが二つの頭がある国で、私の目の子でいうと4分の3はロシア語をしゃべり、ロシア正教でロシアと親和的。4分の1あるいは5分の1がポーランドに隣接した西部のガリチア地方。ここはウクライナ語しか使わなくて、親ヨーロッパ的な人々。この二つに分かれている。
 だが最大の悲劇は、ヒトラーがガリチアから攻め込んだ時、ステファン・バンデラというウクライナ独立を唱える強烈なリーダーがいて、彼がヒトラーと協力してソ連赤軍と戦って負けた。バンデラの一派は皆カナダに逃げ、そこで非常に強いウクライナのアイデンティーを持って生活をしていた。1991年にウクライナが独立してから、彼らが大挙してガリチアに戻ってきた。この人たちはヨーロッパに強いあこがれを持つと同時に、ロシアに対する激しい敵意を持って帰ってきたわけです。
 特に東部のクリミア半島とドンバスには、ウクライナ国民であることに満足しているがロシア人とほとんど変わらない人たちがいちばん多く住んでいます。彼らが不幸せにならないようにやってくださいということが、プーチンの必須の第二条件だった。ところが2014年にマイダン革命が起きた。これはガリチア系の人たちが「もうロシアはいやだ。ウクライナの中にいるロシア系ウクライナ人もいやだ」と言って革命を起こしたわけです。それをプーチンは「あ、そうですか」と言うわけにはいかない。そこで反革命を起こし、戦争でクリミアを取ってしまった。プーチンとしてはディフェンシブ(防御的)な行動をとらざるを得なかったが、そこを西側にガツンとやられた。こういう歴史をウクライナがもっていることを知らずして、いまのウクライナ戦争を語ることはできません。

追い詰められたロシア

 それから8年たって次の問題は東部のドンバス。ドンバスをどうするかでずっと対立が続いたのですが、戦争が起きるとはほとんどの人が思っていなかったと思う。それが去年2021年の初めにバイデンが大統領になった時から、2019年から大統領職に就いていたゼレンスキーが急に元気になった。まずクリミア奪還を言い出し、そのための国際会議を開いた。ロシアからすればクリミアは完全にロシアの一部ですから、それを奪還するということは必ず戦争を意味しますね。「NATOに入りたい」と言って回ったり。ドンバスに残っているロシア人をテロリストだと言い始めた。ゼレンスキーの前のポロシェンコ大統領が一生懸命にそれなりにつくった2015年のミンスクⅡ合意も、ドンバスのロシア系ウクライナ人も合意の当事者として認めていましたから、彼らはテロリストだと言い出したら合意が成立する余地は全くなくなるわけです。
 ロシアにとっての絶対必要条件が次々と壊されていった。だから「もう戦うしかない」というところに、結局1年かけて追い詰められたと思う。そこで攻め込んでしまうという決定的な間違いをした。ロシアはそのツケをこれからも払わなくてはいけない。でも追い詰めていったバイデン、ゼレンスキーに責任はないのか。そんなことはないと思います。
 アメリカにはアメリカが絶対的正義をもっていて、それについてこない国は悪で、全部叩き潰すというネオコン思想があります。ブッシュ時代のチェイニー副大統領のネオコンとバイデンのネオコンは完全に同じですね。それを私が学んだのは、昨年に邦訳された『約束してくれないか、父さん』というバイデンが書いた本です。副大統領時代の彼の外交哲学で最も重要なことは、アメリカの正義によってガリチア・ウクライナの正義を実現させるという思想であり、これはアメリカのネオコン思想の根幹の思想でした。冷戦に独り勝ちしたアメリカは、負け犬となったロシアがもう一度ヨーロッパ秩序の中にきちんと受け入れてくれということ自体おこがましいということではないでしょうか。

戦争求めるゼレンスキー

 ウクライナを攻めたことによってプーチンは大失敗してしまった。まずNATOが結束して反プーチンになり、フィンランドからブルガリアに至る「鉄のカーテン」ができてしまった。それからプーチンにとって東方スラブ3兄弟というのはとても大事で、去年の7月にスラブ3兄弟が仲良くやっていくしかないという論文を書いています。しかし、ウクライナに攻め込んでしまったため、ロシアと親和的なウクライナ人まで殺しているわけです。これは本質的な意味でやめなくてはいけないことです。それからロシア兵が死に始めている。お母さんたちの嘆きというのは場合によっては政権の根っこを覆しかねない力がある。この三つの理由だけでもプーチンはもう戦争を続けるメリットがない。ドネツクさえ取ればプーチンはそこで「撃ち方やめ」にしてよいという条件は整うはずでした。
 ところが、ゼレンスキーはそうではない。バイデンは5月くらいからプーチンを刺激しないように発言をトーンダウンしていますが、ゼレンスキーが「絶対に勝つ。武器! 武器!」と言うとアメリカは結局抵抗できない。どちらが戦争を延ばそうとしているかというと、プーチンではなく、ゼレンスキーとそれを制御できなくなってしまったバイデンのように見えます。
 これからの戦争は非常に不思議な形になると思います。武器の活用いかんでは、ゼレンスキーは、クリミア大橋を攻撃する誘惑に勝てないかもしれない。それだけでプーチンは絶対にゼレンスキーを許さない。ドンバスからロシアを追い出すと言ったら、それはロシア兵と戦う以前に、ドンバスに住んでいる親ロシアの人たちを殺し始めるということです。それがどんな殺戮を伴うかについては、情報はおそらくマスコミに出てこない。そういう非常に恐ろしい戦争をゼレンスキーは求めているように見えます。

岸田内閣の外交は最悪

 岸田内閣のもとで日本のとっている外交政策は同盟国である米国とG7と一緒になってプーチンを叩くというものです。基本はそうであっても、それ以外のものが全く見えない。日本は自ら戦うことはしないが、言葉でアメリカの宣伝隊長になって、特にアジア諸国を駆け回り始めている。それが長期的に将来の日本外交にどのような影響を与えるかについての考察がない。日本外交としては最悪だと思っています。
 日本外交の最も大事な守備範囲というのは北東アジアです。北東アジアで戦争が絶対起きないようにする、かつ日本の独立と権益が侵されないようにやらなくてはならない。その次に東南アジア、インド太平洋、そういう舞台が広がっています。そこで日本外交が大いに力を発揮することはエッセンシャルだと思うけれども、しかし、やはり城があってその周りに平野があって、その外に世界があるという本質的な日本の戦略図からいうと日本が絶対に城をもって仕切らなければいけないのは、北東アジアだと思います。
 いま日本は何を注意しなくてはいけないかというと、まず世界を権威主義国と民主主義国、白と黒に完全に分けて、アメリカを白の国のチャンピオンだと考える価値観外交に100%とらわれるのを止めねばならない。大部分はそういうアメリカを支持するので良いが、にもかかわらず、長期的・地政学的観点からそこを若干なりともトーンダウンすることがいま必要です。

引っ越しのできない隣人

 日本は北東アジアで何を考えなくてはいけないか。最大の脅威は中国。日本の外交は中国に対する抑止と対話のバランスをとるということが第一課題です。抑止は必ず対話とセットでいかないと、安全保障のジレンマという沼の中にどんどん入っていってしまう。
 北東アジアには、もちろんアメリカもそこにいるわけですが、それ以外には、ロシアと韓国と北朝鮮しかいない。この3カ国が日本に対して敵対的でないようにする。これが日本外交の力をアップするためには必須です。
 まずロシアです。安倍総理はそれを理解していた。ところが岸田総理の頭からは長期的・戦略的視点が完全に飛んでしまい、ウクライナへの侵略を犯した国への懲罰・批判という観点でしか動いていない。ウクライナ戦争はいつか終わりますが、日ロ関係を普通の関係に戻すのは不可能なところまで、日本はロシアをやりにくい敵にしてしまった。
 そこでよく言われる言葉なんですが、北東アジアにおいて韓国、中国、ロシアは引っ越しのできない隣人です。この言葉を使うことによって、いままで日本外交は北東アジアという場で、中国との関係をなるべく極端に悪くしないように、韓国との関係もやはり妥協しながらやっていくように、ロシアとの関係では冷戦終了後この国を敵化しないように工夫してきた。
 ところがバイデンの「白と黒」でやると、これができなくなる。これは日本外交を弱らせる受け入れがたい政策だと思います。わが後輩を前にして言いたくないが、外交官としての最低限必要な中長期的視野というものが見えてこない。安倍元総理はそこまで見ていた。「ロシアを日本にとって敵対的にしないことが日本外交にとって利益だ」として、日ロを動かそうとしていた。それで暗殺された時、プーチンから心のこもったお悔やみ状が家族に届くわけです。日本は日米同盟という枠から出るわけにはいかないけれども、その枠内において最大限ロシアとの関係を強めることによって日本外交の力を強めようとしていた。この安倍元総理の戦略眼にプーチンは敬意を表しているということだと思うんですね。
 こういう難しい問題が出てきた時に、外交というのは白と黒で100パーセントの線を引くようなことでは国益を守れない。細いマージンを残して、ここまでやってしまうと中長期にどんなマイナスが入ってくるかということについて考えてこそ、外交だと思います。残念なことです。
 しかしそう簡単に決めつけることは適切ではないかもしれない。岸田総理は、国内的には、参議院の勝利を獲得し、コロナ対策と経済のバランスの維持に成功すれば、数年の安定政権を維持する立場に立たれた。
 外務大臣としての経験、総理大臣としての経験が、ウクライナ戦争という歴史に回答のない問題に対してどのように対処すべきかについて、新しい知恵をもった対応を生み出されるかもしれない。歴史は転変する。決めつけることなく、一層の注意をもってフォローしていきたいと思います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする