日中平和友好条約45周年 谷野 作太郎(上) 

最近の内外情勢について ――老人の繰り言――(上)

元駐中国、インド大使 谷野 作太郎

一、はじめに

 3年余にわたったコロナ禍がようやく峠を越え、世の中はその面では、落ち着きを取り戻しつつある昨今ですが、気がついてみると、その間、わが「地球村」の破壊、劣化は恐ろしい勢いで進んでしまったという情況です。
 終わりが見えないウクライナ戦争、政治、社会の分断が進み凋落に歯止めがかからない米国、ますます対決を強める米中関係、内向きで猛々しさを増す中国、そしてわが日本も政治の劣化が進み、国際的競争力も落ちていく一方……かくして、ウツウツたる心情で、残り少なくなった余生を送る日々です。


二、終わりが見えない
ウクライナ戦争

 そこで何よりもまず、ウクライナ戦争です。ウクライナをめぐっては、一方において政権内の権力闘争もうわさされ精神的にも不安定、何をしでかすかわからないとうわさされるプーチン大統領。他方において、ひとりよがりで思いつめの心情が深まるゼレンスキー大統領の下、今のところ出口がまったく見えてきません。
 ゼレンスキー大統領は、今や東部諸州はおろかクリミア半島も取り戻すと言い始めている。そうなればプーチン大統領は「戦術核」の使用を検討の俎上に載せるだろう、という観測が専らです。他方、腐敗、汚職はウクライナの長年の宿癖。今でも政権の中枢で同じことが起こっているらしく、さすがにバイデン大統領もこのことを厳しく指摘しているようです。
 そんな情況下、ここは何とか戦争を止めなければいけない。なんの責任もないウクライナの老人、女性たち、子どもたちが、戦火の中で家を焼かれ、逃げまどい、命を落としていく。この点は戦場に駆り立てられるロシアの若い兵士たちとて、同じでしょう。「とにかく、戦争を止めよ」、そんな思いを強くします。
 そういえば朝鮮戦争では、戦況が膠着する中、とにかく戦争を止めるということで、まずは「休戦協定」を先行させ、「平和協定」は後回しにしました。そして平和協定未締結のまま、韓国は今日の繁栄を築き上げました。
 戦争の終結が見通せない中、ここにきてアフリカの首脳たちが「戦争を止めよ」と、プーチン大統領に直談判に及んだという報道がありました。もっとも、これは人道的視点というより、「ウクライナ戦争で、食料、資源などの高騰がたまらぬ、何とかしてくれ!」ということが背景のようですが。
 他方、日本については岸田首相のウクライナ訪問の折、「広島の必勝しゃもじ」を持参し、ゼレンスキー大統領に献上しました。そんなことですから、その後のバイデン大統領との間でも「戦争をいかにして止めるか」ということは、あまり話題になっていないのでしょう。
 そのバイデン大統領ですが、かつて副大統領の頃、何回もウクライナに足を運んでいました。そして令息は、ひと頃ウクライナでどっぷりと利権に浸っていた人。今頃になって、共和党が問題にしはじめていますが、どうなりますか。
 シカゴ大学の国際政治専門のジョン・ミアシャイマー教授(元米空軍軍人)は、「いま起きている戦争の責任は米国とNATOにある」と言い切っています。「ウクライナのNATO入りを絶対許さない」とロシアは明確に警告を発していたにもかかわらず、アメリカとNATOがこれを無視したことが今回の戦争の原因。そして米国とイギリスは、その間、高性能の兵器を大量にウクライナに送り、軍事顧問団も派遣してウクライナを「武装化」していったというわけです。とすれば、プーチン大統領の「1週間でキーウを落とす」という目論見が完全に狂ったのも、むべなるかなと思います。
 他方、ゼレンスキー大統領は、ロシアの進攻直後の3月頃は、「ウクライナのNATO入りはあきらめた。そのかわり、ウクライナ存立確保のための国際的しくみを米国、ヨーロッパ諸国、これにロシアも加わった形でつくり上げてほしい」と言っていたことを思い出します。私は若い頃、モスクワ大使館に勤務していたことがあり、あの辺の事情については若干の土地勘があるつもりですが、私もこれしか道はないと思います。

三、最近の中国と日中関係

① 3期目に入った習近平政権

 中国では昨年秋第20期の党大会が開催され、新しい党中枢の骨格が定められ、習近平氏による第3期目の治世が始まりました。私は党中央の陣立てを見て、日本の政治、経済のことを熟知し、日本と人脈をもった人が一人もいないということを感じた次第です。
 このことで思い出すのは、往時の朱鎔基さん(1998年に国務院総理)とその配下の経済官僚たちと、日本の宮崎勇さん(村山内閣の経済企画庁長官)、大来佐武郎さん(第二次大平内閣で外相)といった方たちとの濃密な関係。これは半端なものではありませんでした。当時の中国は日本からの学習意欲も強く、例えば「三公社五現業」の民営化の経験などを分かち合い、いろいろ議論されていました。この中国の国営企業の改革は、今日なお、中国にとって大きな課題のひとつですが。
 その後、私が北京で勤務していた頃(98年~2001年)、ひとつだけ例を挙げると曽慶紅さん(国家副主席、政治局常務委員ナンバーファイブの大物)とこれまた大物の野中広務さん(自民党幹事長、官房長官などを歴任)との濃密な関係です。お二人は余人を交えず、政治家としての悩みを共有しながらいろいろと話し合われていたのでしょう。そんなこともあって、私も現役時代、曽慶紅さんにはいろいろと力になってもらいました。
 中国が発展をめざすこと自体に私たちは何ら異論がないはずです。ただし、その手法、道筋は、国際社会から支持され祝福されるものであってほしいと思います。ここのところが近年、極めておかしくなってきている。残念ですね。

② 日中関係について

 かつて故周恩来総理は「(両国は)小異を残して、大同に就くべし」という格言をしばしば口にしました。どういうことか。それは、中国と日本は、国柄、国民性、国の統治の仕方も違う。加えて一時期の「歴史」の問題もある。しかし両国関係の将来を考えるならば、それらのことは「小異」として横に置いて、中日の善隣・平和・協力・友好関係という「大同」に就こうということです。
 ところが、日本ではいつの間にか「小異を捨てて、大同に就こう」という言い方で定着してしまった。「小異」はどうしても残る。とくに難しい外交交渉では「小異」を残しつつ、「大同」に就く(交渉の決着)という事例が多々あります。すなわちお互いの70点、80点ぐらいで決着に至るということです。
 とくに日中、日韓の外交史上にはそのような事例が多々あります。要は、そのようにして得られた「決着」のあと、その残された「小異」に気を配り、これをうまく管理していく。少なくとも、ひと頃までの日中、日韓関係はそうでした。
 ところが、この「求同存異」について、近年、日中においても、日韓においても、その「小異」を双方でいたぶり、これにマスメディアも参戦し、国民感情も盛り上がって「大異」の方にもっていくという風潮が見られます。そして肝心の双方の政治も、そうした情況に身をまかせ、あるいは時として一緒になって煽り立てる。残念としか言いようがありません。
 日中はお互いに大国で、一時期の歴史をめぐる問題もある。したがって、学校の成績表でいえば、めざすとしてもBぐらい。しかし、それでもお互いに努力して共通の利益にこそ目を向け、B、C、D……と劣化してゆくことは何としても避けなければいけない(今の日中関係、特に政治、外交関係は残念ながらD)。

四、改善が進む日韓関係

 (1)日韓関係は、自由、民主主義、法の支配といった基本的価値観を共有する間柄。本気になれば、Aの関係にすることも可能であろうに……とひと頃の両国関係を見ながら残念に思っていました。
 そこへユン・ソンニョル政権の出現。情況が大きく好転しつつあることはご存じの通りです。そんな中で気になったのは、日本側の対応。焦点だった「徴用工」の問題についても、日本側は「解決策を持って来い」というばかりで、解決に向け懸命に汗をかくユン政権(舞台裏では双方の外交当局が努力していたのでしょうが)と一緒に汗をかく姿が見えなかったことが大変気になったものです。その後、岸田総理訪韓の段になって、総理ご自身、これまでの言い方から一歩踏み込んで、「多数の方々が苦しい思いをされたことに心が痛む思い」と述べられ、韓国側はこれを大変評価したということがありました。
 (2)ユン大統領が韓日関係改善で前のめりになる背景に何があるのか。彼とて韓国人として根っからの「親日」であるはずがないだろうに……これは誰しも思うことです。東京大学の木宮正史教授によれば、ユン大統領は「自由・平和・繁栄に寄与するグローバル中枢国としての韓国」をめざしている。対日関係改善にリーダーシップを発揮しているのも、その一環としてとらえるべしと述べており、私も納得するところです。いずれにしても、日本としてもそのような大統領の姿勢を奇貨として、そのスピード感に合わせ、日本としても努力すべきところは努力する、少なくともとくに、日本側要路において彼の足をひっぱるような言動は慎むべきものと思います。
 日韓の間には、まだまだ慰安婦問題、福島第一原発事故に関連した処理水の海洋への放出問題、同事故を受けた福島など8県の水産物輸入禁止問題などがあります。徴用工の件も最終的に片付いたわけではありません。そしてその背景には、対日関係では強硬な姿勢に出る野党の存在(韓国の国会は与野党ねじれの情況)、そして厄介な「世論」があります。
 これからの日韓関係の肝はやはり「経済」です。経済関係が深まり、その恩恵が韓国の人たちに感じられるようになってほしいものだと思います。日韓経済関係について思い出すのは徴用工問題をめぐって、日本側が突如とった報復措置(半導体関連の3部材を厳格な輸出管理下においた)です。私が今でも忘れられないのは、本件をめぐっての東京での日韓担当者の交渉シーン。日本側が用意した会議場は、国際協議にふさわしいとはとても思えないひどいところ。日本側の首席交渉官はこれみよがしのエリ巻き姿で……。役人までも世の中の空気におもねるのか!と情けなく思った次第です。しかし、この措置は、日本にとって天につばするもので、その3部材を使った製品(例えば4Kテレビ)の輸入が滞り、日本側も大変困ってしまった。他方、韓国はさるもの。3部材の内製に取り組み、今ではすっかり定着したようです。
 この問題で私が奇妙に思ったのは、日本の経済界(例えば日韓経済協会)が声をあげなかったことです。いずれにせよ、徴用工問題についてのユン政権の対応ぶりを見て、日本側も措置を取り下げました。所詮、その程度のものだったのですね。
 日本側もあまり調子にのらずに改善に向けて着実に……そして、いずれは日韓両国が狭い日韓関係の枠にとどまることなく、東アジアの安定と繁栄のけん引力になってほしいと願うばかりです。
(次号に続く)

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