『マンガで伝える沖縄戦』に込めた思い

琉球新報社編集局デザイングループ 仲本 文子

仲本文子作、琉球新報社刊、定価各1600円+税

 恥ずかしながら私は新聞社に勤めているにもかかわらず、昔から活字が苦手です。琉球新報では沖縄戦や政治、経済、文化的な記事が日々掲載されます。どれも私たち沖縄県民にとって重要な内容ですが、私のような活字嫌い人間にとって、漢字や専門用語が並んだ新聞記事を全て読み込むのは大変な作業でもあります。「マンガ」という手法で沖縄戦を表現したのは「私のような活字嫌いな人や、まだ漢字の読めない子どもにも沖縄戦を伝えたい」と思ったからです。


 実は連載の前にも、単発で沖縄戦や戦後の体験者のマンガを「りゅうPON!」に掲載したことがあります。子どもたちから好評だったようで「次はいつ描けますか?」と担当に催促されたこともありました。

 所属する編集局編成センターデザイン部では、通常の一般記事のグラフや図解、記事下の広告までを業務として手がけており、それらとマンガ執筆を同時進行させる作業はとても大変だとは分かっていましたが、戦後75年の節目として1年間、マンガで連載をやってみようと奮起しました。

 マンガを描く際は、なるべく難しい表現は避けるようにしています。沖縄戦当時に使われていた言葉は漢字が多く、子どもがイメージしづらいのではと考えました。例えば新聞では常用されている「米軍」という言葉も「アメリカ軍」と表現しています。文字数は多くなってしまいますが、「米」よりも「アメリカ」と表記した方が読者がイメージしやすいだろうと思ったからです。

沖縄戦体験者の想い

 なかにはすでに亡くなってしまった方もいらっしゃいましたが、沖縄戦体験者はなるべく直接お会いして取材しています。過去に紙面で記事として掲載した話もありましたが、直接お会いしてご本人の話し方や表情、戦時中の衣服や情景など、細かいディテールを表現したかったからです。

 マンガで描きたかったのは戦争そのものもそうですが、その後の彼らの人生にどのような影響を与えたかです。例えば「対馬丸」の糸数裕子さんは、那覇国民学校の引率教師として「対馬丸」に乗船し、米軍の魚雷攻撃を受けました。引率していた子どもたちは助からず、沖縄へ帰還した後も亡くなった子どもの保護者が自宅へ訪ねてくる出来事があったそうです。生き残ったことに対して負い目があり、人前に出ることを避けていたといいます。また「震える少女」の賀数末子さんは戦後結婚した夫が米軍所属の通訳だったため、2017年までご自身の戦争体験を語りませんでした。「話をすれば夫に迷惑がかかる」と思っていたそうです。

 彼らが戦争で失ったものは計り知れません。家や財産、家族や友達など大切な人の命はもちろん、戦争が終わってからも想像を絶する苦痛や悲しみ、犠牲を強いられたのです。

「自分ごと」の沖縄戦

 沖縄戦に関心をもつきっかけとなった出来事があります。本書上巻の最終話「作者の感じた沖縄戦」に収録している話です。高校生でサーフィンにはまり、糸満市米須海岸に通っていたある日「魂魄の塔」で献花用の花を売っていたおばあさんに話しかけます。おばあさんは見ず知らずの私に、自身が小さい頃にその海岸の崖から人々が飛び降り自ら命を絶ったこと、母と生き延びたことなどを話してくれました。米須海岸は、今となっては県内サーフィンのメッカとなっていますが、サーファーの間では通称「スーサイド」(英語で自殺の意味)と呼ばれています。

 思い返してみれば沖縄で生まれ育った私は、小さい頃から戦争の「あと」を感じることが多々ありました。私が生まれた那覇市の首里という街は沖縄戦当時は激戦地だったそうです。首里城のお膝元である龍潭という人工池でよく学校帰りに遊んでいましたが、不発弾と思われる薬きょうがその辺に転がっていたり、なぜそこにあるかわからない茶碗のかけらがあったり、薄気味悪い洞窟(第32軍壕の一部であるトーチカ)があったり……。

 沖縄戦について調べるにつれて、自分の親族はどうだったんだろう、祖父母はどういう体験をしたんだろうと考えるようになりました。しかし、時すでに遅し。父方の祖父は戦後すぐに病死し、祖母は私が小学2年の頃に他界しており、母方の祖父母もすでに亡くなっていました。

 母方の祖父母はテニアン(南洋群島)で戦争に遭い、命からがら沖縄に引き揚げてきたと聞きました。父方の祖父母は一家で九州に疎開しましたが、父の姉(伯母)は対馬丸のすぐ後を航行していた船に乗っていたそうです。父は疎開先の九州で生まれ、母は戦後の生まれであったため戦争そのものの話はできません。

未来に託す、これからの沖縄

 今年で39歳になる私はこの春、男の子を出産しました。上の娘は4歳になり、毎日大変ですが二人とも可愛い盛りです。

 一方で、いま世界中で紛争が起こっています。日々のニュースでは目を覆いたくなるような悲惨な映像が流れる日も少なくありません。日本は現在とても平和で、もちろん私も戦争を経験したことはありません。ですが、過去に沖縄でも同じことが起こっていたのも事実です。私の愛するこの島で、たくさんの人の血が流れ、尊い命が失われていったのです。

 本書で取り上げた沖縄戦体験者は戦争当時0歳から20歳前後です。もし私がその時代に生きていたら、子どもを抱えて戦火を逃げ回ることになったら、子どもが沖縄戦のような悲惨な場面に巻き込まれてしまったら……。想像するだけで怖くてたまりません。

 取材を受けてくださった沖縄戦体験者の方はみんな同じことを語ります。「戦争は二度と起こしてはいけない。命は宝だよ」。二度とこの島で悲劇を繰り返さないために、自分にとって大切な人たちを守るために。語り、つないでいくことが何よりも重要だと感じています。

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