社会学者 大澤 真幸さんは語る [1]

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資本主義の限界露呈の下での米中激突
戦争の危険を遠ざける長期策と当面の策

 

構成
(前文)
 真に信じなければいけないことがある
コロナが突きつけた資本主義の本当のこと
 経済が急停止し地獄を見た
「裸の王様」
「2種類の資本主義」
 生き延びるとしたら「中国型」を不安がる米国
基本的な仕組みを全体的に再構想する(本号ここまで)
米中戦争をさしあたって避ける
 どっちつかずの日本は不可能
 拒否できない日本でよいか

 ちょっと変な話からですが、普通、人は予想していなかったことや知らなかったこと、未知のものとかが起こったりすると驚くわけです。それは当たり前です。しかし最近僕は、人はあらかじめ予想していたりある程度知っていたりしたことが起きても驚くことがあるということに改めて気がついた。
 それを最初に思ったのは、コロナの前に3・11の原発事故が起きた時です。日本中だけでなく世界中びっくりしたわけですが、よく考えてみると原発事故が起こり得ることは予想されていたというか、知っていたことですよね。そういうことを警告する人はいっぱいいたわけですし、考えてみれば極めて危険な場所に原発が建てられていたわけですから、本当は予想されたことが起きているわけです。それでもみんなは非常に驚くんですね。
 今回のコロナについても、原発事故ほどではないけれども、同じことが言えます。もちろん、新型コロナウイルスの細かい性質はいまだに完全には分からないことがあったりするくらいですから、未知のウイルスであることは確かです。けれども、人間社会にこの種のウイルスが侵入しやすくなっているということは、気象学者などがずっと主張してきたことで、そうした認識はあったんですね。コロナウイルス系だけでも、21世紀になってからSARSがあってMERSがあって、そして今回の新型コロナですから、7~8年に一遍の率でコロナ系ウイルスが流行しているわけです。予兆というか予告というかは十分あったわけです。けれどもコロナが世界的な大流行になってみんな心底びっくりするわけです。
 そうすると僕は、人はある程度知っていること、予想していることでも実際に起こるとなぜ驚くんだろうかと思ったわけです。その理由は、人間というのは、何かを「知っている」ということと、何かを「信じている」ということとの間に乖離があるということにあります。
 普通、知っていることと信じていることには単純に整合性があると思っているんですね。例えば誰かが亡くなったということを知っていれば、その人が生きていてほしいとか、その人の生存を信じるということは不可能になります。その場合、知っていることと信じることに何の矛盾もないと思っているんです。けれども、実は人間はそうではないということですね。知っていることと矛盾することを信じるということはあるんだということを思ったわけです。
 つまり私たちは原発事故が起き得ることはよく知っていた、知識としてはね。だから日本列島に50個も原発があれば、原発事故がいつ起きても不思議でないということを理論上は知っている。しかし、本当に現実に事故が起きるということを全然信じていなかった。危機的な状況にあるということは繰り返し言われてきた。それなのに多くの人は本当には信じていないんですね。だから災害が何か現に起きてしまったときにびっくりするわけです。

真に信じなければいけないことがある

 ですから僕が今思っていることは、信ずるべきことというか、単に知っていることだけでなく真に信じなければならないということです。知っていることを、さらに信じなくてはならない。
 どういうことかというと、今SDGsなどが言われる。とくに環境問題、気象問題が世界的に大問題になっています。今回のコロナウイルスも単独で見るのではなく、大きく見れば地球規模で起きている環境変動の一部ですよね。地球環境の問題も同じで、今の人間社会が存立する地球環境がいろいろな意味で激変期にあって、危機的な方向にある。人間と自然環境との間に変化が起きてしまって、人間社会がウイルスの侵入に対して非常に脆弱になっている。これも大きな気象変動の一部として起きているわけです。非常に危険なことで破局的なことが起きるかもしれないということで、たくさんの人が繰り返し警告しているわけですが、ほとんどの人は、本当には信じていないと思うんですね。
 例えば何十年か後に、例えばどこかの島が水没してしまったとか、とてつもない現象が本当に起きて人々がそこで暮らせなくなったりする。本当に起きたときに、そういうことを何十年も前から予想していたのに、実際に起きたときにやっぱり人類はびっくりするんですね。
 それを避けるためには、本当にそういうことが起こり得るんだということをまず信じなきゃいけないと思うんですね。はっきりと信じるからこそ、それを避けようという行動になる。ところが、いくら危ないぞと言われていても人は本当には信じていない、信じていないから断固たる行動ができない。まず本当にそういう時が来るんだ、このままだと来ると。単に「知る」だけでなく、真に「信じる」ときに思い切ったことができると思います。

コロナが突きつけた資本主義の本当のこと

 そんな中でとくに重要だと思うこと。みんなが本当はうすうす知っているけれども、真面目には受け止めていないでなんとか回避しようとしていることの最大のことは資本主義の問題ですね。
 僕は、今年の初めに、『新世紀のコミュニズムへ――資本主義の内からの脱出』(NHK出版新書)というコロナ禍で考えたことを書いたものを一冊にまとめて出しました。その中でも書いたんですが、今ずっとコロナ感染症の広がりがあって、失業者が増えたり、収入が下がったり、人と会うこともままならない、実際にGDPも下がっているし、経済的に危機であることは確かです。
 ところが、みんな気がついたわけですが、「意外」だったのは株価が下がるどころか逆に上がった。株も含めて大きな資産を持っている裕福な人や大企業は大丈夫だという雰囲気になっているわけです。だから最近よく言われるのは「K字回復」していると。K字回復は、所得が上向く人もおれば、多くは下向くという経済回復で、格差が開くわけで問題なわけです。ところが、みんなが内心で思っていることは、経済が全部下がるよりは株は下がらなくてよかったと、ひそかにそう思っている節があるんです。
 経済が悪いのになぜ株価は下がらないのか、エコノミストや経済学者はもっともらしい説明をします。大規模な金融緩和がなされて、どうしたとか。あるいはこういう状況の中でインターネット関連の産業は儲かるだとか。あの手この手で説明しますが、いくら説明しても経済全体が低下していることは確かなんですね、本当は。それなのに株価だけが上がっていくというのは基本的におかしい。
 今まで人類は、何度かクライシスというか恐慌を経験してきて、もちろん一番有名なのは百年近く前の1929年の大恐慌ですが、主として株式市場の大暴落が出発点ですよね。暴落した株式市場は簡単には戻ってきません。直近のリーマン・ショックだって、株式市場、金融関係の市場でクライシスが起きていて、株価がそれなりに戻るのには時間がかかった。
 だから普通は経済が全体に低調になったときには当然株価は戻ってこないのに、今回は何事もなかったように進んでいる。よく見れば一瞬大暴落しているんですね。昨年3月には、最大の下げ幅だった。しかし、すぐにそれこそ文字通りV字回復した。これは少しよかったことではなくて、ここに僕はとてつもなく不吉なものを感じるんです。どういうことかというと、精神分析の用語でいうと「否認」です。精神分析では、はっきりと「分かっている」のに「そうではない」と言い張るのを「否認」といいます。人間は時に、そういう場合があります。一方では、そうだと分かっているのに、しかし、絶対に認めたがらないのが否認のメカニズムです。

経済が急停止し地獄を見た

 この株価現象も一種の「否認」だと思います。つまり本当はコロナが蔓延したときに、一瞬、みんなが目の当たりにしたのは、経済全体が、すなわち資本主義が死ぬことがあり得るということです。資本主義の死を垣間見たわけです。経済が急停止し地獄を見た。だから株価も一瞬大暴落したわけです。
 その後、資本主義の中心にいる人たちといいますか、富裕層といいますか、そういう人たちは逆に暗黙のうちに合意したんですね。何を合意したかというと、「否認する」ことに決めたんです。つまり本当は大変なことが起きているけど知らんふりしてやっていこうと。もともと株式自身がある程度バーチャルなものですから、その価格はみんなが上がると思えば上がるんです。本当は目の前で大変なことが起きていて、経済がストップしていて、大都市がロックダウンしたりしているんだけれど、それを見ないことにしましょうと、全く平気であるかのように振る舞っていく。
 株式市場は何事もなかったかのように日々の取引を続けるわけです。そうすると株価はだんだん上がっていくわけです。これはよいことではない。これは純粋なバブルで、経済の実質は破綻しているわけですが、それを見ないことにすればある程度は何事もなかったように進む。

「裸の王様」

 僕はふざけて、「トムとジェリー」という漫画に例えています。アメリカの有名な子ども向けの、トムというネコとジェリーというネズミの出てくる漫画です。トムとジェリーがケンカしているのか遊んでいるのか分からないような内容ですが、その中で間抜けなトムはしばしば、ブルドッグに追いかけられる。トムは夢中になって逃げているうちに、崖を通り過ぎる、空中を駆けている。下を見て地面がないことに気がついて初めて落ちるわけです。言い換えれば、地面がないことに気がつかなければ走り続けられたはずです。
 崖を通り過ぎて地面がないのに、つまり資本主義は破綻しているのに、人々はトムのように地面がないのに走り抜けようとしている。みんなで気付かないことにしようよという、僕はこれについて、半分冗談ですが、半分本気で、富裕層による「無意識の陰謀」と考えています。
 裕福な人たち、主に資産で生きている人たち、大企業もそうでしょうが、そういう人たちはここでひどい目をみたわけですから、それにみんなが気付いているはずです。「裸の王様」と一緒です。王様が本当は裸なのをみんなは知っているのに、みんなでそれを言わないことにしようと。みんな知っているけれど声に出して言わない、黙っているわけです。すると王様は裸であるという現実を無視してしばらくは生きていくことができるわけです。資本主義はちょうどそういう状況にあると思います。
 コロナになっていろんなことが言われています。しかし、本当は、コロナがなくてもとてつもない格差が生じてしまって、しかも同時に、とてつもない環境破壊を伴っている資本主義。いくら頑張っても全員が裕福になるわけでもなく、一握りの裕福な人は一人で何十億人もの資産を持つような状況、他方、そうでない人はますます貧乏になる。今では第三世界、途上国の人たちだけが貧乏になるのではなくて、先進国というか裕福な資本主義国の中にも、自分たちは裕福でないと思う人たちが大量にいる、増えているわけです。
 ですからどう考えても資本主義のシステムに基本的な問題があることは多くの人たちがうすうすというか、かなり気付いているんですね。コロナは一種の突発事故的な、ある種の緊急事態です。僕は驚いたんですが、感染症になって人間が何カ月間か動かなければ資本主義の息の根が本当に止まるんだなと思った。それだけにかえって(資本主義の)死を否認して生きようという人たちが出てくる。でもこれは永遠には続かない、いつかはトムとジェリーのように地面の上を走っていないことに気付かされる。墜落する。
 もはや資本主義というものが永遠のものではないと乾いた知識として言うだけでなく、自分たちがはっきりと実証し得る事実を引き受け、信じることをしないといけない。そうすると初めて抜本的な手が打てるわけです。
 原発の事故だってそうだったのです。本当に原発事故が起き得ると強く信じていれば、事故が起きる前に、早く原発を廃炉にするとか、原発に代わるエネルギー源を見つけることをしていたはずです。事故が起こり得るということを知っていながら抜本的な手を打ってこなかった。
 原発も資本主義のツールの一部にすぎませんから。今われわれのシステム自身がそういう状況になっているということを、はっきりと認識するところから始める必要があると思います。

「2種類の資本主義」

 それとの関係で、僕は、資本主義の将来に対して人々がひそかに感じていることは、二重底になっていると思う。最も基礎の部分では、今述べてきたように、本質的には資本主義は持続可能ではないのではないかという不安がある。資本主義を続けていくと人類と自然が破綻の運命を共にしなければならなくなると思っている。
 ただもう少し細かく見ると、資本主義は一種類ではない。二つのタイプがある。ブランコ・ミラノヴィッチという人が『資本主義だけが残った』で論じていますが、「2種類の資本主義が残った」と言っています。一つは普通の資本主義、アメリカに代表されるようなリベラリズム、リベラルで能力主義的になっている普通の資本主義。もう一つは、政治的資本主義と訳されていますが、特徴をはっきりさせるには権威主義的資本主義の方がいいかと思います。中国です。アメリカタイプと中国タイプの2種類が残っていると書いてあります。
 何が言いたいか。資本主義そのものは生き延びない可能性が高いんですが、万が一資本主義が生き延びるとしたらアメリカ型ではなくて中国型ではあるまいか、と。人々は、とりわけエリート層は、そういう不安、予感を抱いているのではないかと思います。つまり二つの資本主義が対等に生き延びるのではなくて、もしかしたら権威主義的資本主義だけが生き延びるのではないかと。中国以上にアメリカがそう思っているという気がしてならないのです。

生き延びるとしたら「中国型」を不安がる米国

 21世紀になって順調なのが中国なんですよね。他の国はアメリカも含めていろんな問題を抱えている。
 中国も問題を抱えてはいるのですが。中国は、いずれ天安門事件のような事件が起きて体制が転覆して共産党支配が終わると一時期はみんながひそかに思っていた。経済成長が進むと一党独裁に耐えられなくなって政治的な混乱を迎える、だから中国の体制は長続きしないと思っていた。ところが長続きしそうな状況になっている。例えば香港で動乱が起きる、香港と同じような動乱が中国国内で次々頻発するかといえばそうではない。香港は完全に孤立してしまっている。西側諸国の人々から見ると、とんでもなく非民主的で、新疆ウイグル自治区ではとんでもないこともやっていると思いながらも、中国は総体としてはうまくいっている。さらにコロナは中国からなんだけれども、感染症対策では中国はアメリカやヨーロッパよりずっと上手にやった。
 コロナが象徴的ですが、ヨーロッパやアメリカは世界をリードしてきた顔をしていたはずなのに、コロナ危機に対してずいぶんとあたふたした。中国はいざとなったら効率的に対応できることが証明されました。これはこれから人間社会に起きることの先取り、予告編になっていて、中国が生き延びるというシナリオを欧米諸国の人たちはひそかに恐れていると思います。
 アメリカの価値観からすれば中国のやり方はけしからんと。それは昨日今日始まったことではありません。ずっと前からそうなんですが、アメリカをはじめ西側諸国は、長い間黙認してきたんです。長い意味で見れば一党独裁は終わるんだからと言って、付き合ってきたわけです。ところが倒れるどころか気がついたら中国システムが勝ってしまうかもしれない状況になってきた。その不安の表明として、アメリカが中国に対して強く当たるということが起きていると思います。

基本的な仕組みを全体的に再構想する

 その上で、日本として、あるいは日本だけでなく人類としてと言っていいかもしれませんが、本当に考えるべきことはもっと別のところにあると思います。ベースにあるのは、資本主義自体が生き延びるかどうか分からない、ということです。万が一生き延びるとしたら旧来のアメリカ型ではなく、20世紀終わりに発明された中国型の資本主義の方が生き延びる。
 生き延びるとしたら中国型しかないという資本主義は根本的な問題があるわけです。中国かアメリカかという選択肢ではない選択肢を積極的に考えていく時期が来つつある。それは単に二つの間の中立を保つということではなくて、中国型資本主義でもないアメリカ型資本主義でもない、われわれの社会、経済のあり方、基本的な仕組みを全体的に再構想するということを考えていく。そのことが中国型かアメリカ型かの選択肢を超えた世界を開くわけです。
 例えばSDGsの気象問題に対してどう関わるかという問題と、中国とアメリカの問題は一見異なって見えますが、資本主義の枠の中で生きていけば中国かアメリカかの選択肢に迫られてしまいます。この対立を超えるためには、究極的には、一朝一夕にできることではありませんが、資本主義がもっている基本的前提を否定する、そういう新しいシステム、考え方をつくっていく、そういう方向性で考えるしかないと思います。
 一番の基本は、どこを考えればいいかということですが、昔から考えられているコミュニズムの考えと同じですが、資本主義の一番のベースにあるのは所有、私的な所有という問題ですよね。極端な格差、現代のような格差が生じるというのは、どう考えても所有制度に問題があるわけですよ。
 明らかに「あなたのもの」とは言えないものを私的に所有している人たちがたくさんいるということです。逆に言えば「自分のもの」になっていいはずのものが、自分のものにならないという人たちが何十億人もいるわけです。これは所有制度に根本的な問題があるわけです。所有というのは資本主義の命の中の命です。

(次回に続く)

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