安全な食料自給。農林漁業を核とする持続可能な地域循環経済へ

日本農業と中小製造業を守れ

JAM会長 安河内 賢弘

 4月27日に2020年農林業センサスが発表されたが、日本農業の衰退がさらに進んでいることが改めて示された。5年前と比較すると農林業経営体は22・2%減少し、なかでも林業経営体は61・1%と壊滅的な減少である。また、年齢階層別に基幹的農業従事者の推移を見ると、5年前と比べ、85歳未満の全ての階層で減少した。
 一方で、農産物販売金額規模別に農業経営体数の増加率を見ると、5年前に比べ3千万円以上の層で農業経営体数が増加したとするものの、3千万円を超える農業経営体は全体の3・82%にすぎず、全体の約7割強が300万円未満の農家である。

図 基幹的農業従事者数(個人経営体)の推移(全国)

 2015年11月25日、TPP大筋合意を受け政府はTPP総合対策本部を設置し、「総合的なTPP関連政策大綱」を取りまとめた。その主な柱は、①中堅・中小企業等の海外展開の支援、②経済再生・地方創生の実現、③農林水産業支援、④その他必要な支援(食の安全・安心、知的財産等)であった。このうち農林水産業については、「攻めの農林水産業への転換(体質強化対策)」と「経営安定・安定供給のための備え(重要5品目関連)」が重点施策として掲げられたが、それから5年を経た2020年の日本農業の衰退は残念ながら加速している。

「農業堅持はどの国も国策」との認識なき労働組合

 TPPに賛成の立場をとった金属労協(JCM全日本金属産業労働組合協議会)は日本農業に対して批判的な立場を続けていた。私は、金属労協はそもそも農業に対しては無知なのだから農業を語るな、としばしば対立してきた。2012年にまとめられた金属労協の政策制度課題には次のように記載されている。

 「わが国農業は就業者の高齢化と激減、耕作放棄地の拡大など、衰退に衰退を重ねてきました。本来、日本の農業の潜在能力は非常に高いにも関わらず、補助金や輸入障壁によって、そうした潜在能力を発揮できないようにしてきたとの指摘があります。TPP参加に伴う国内対策を通じて、真に農業従事者と消費者のための農政に転換し、大規模化・集約化・法人化・複合化による競争力の強化、品質と安全性で世界に評価される日本ブランドの農産品の供給により、高付加価値を追求し、農業経営基盤の強化を図ることが重要」
 この考えは、そもそも農業が市場原理に従えば国際競争力をつけることができると考えている点、あるいは農作物が市場原理に基づいて国際的に流通していると考えている点で、根本的に間違えている。農業は各国にとって国策であり、母国の食と水、健康、景観、文化を守るためにあらゆる政策を導入し農業を守り、そこから出た過剰な農産物が国際的に流通しているにすぎない。バナナやコーヒー、アボカドなどの南国の果実はともかく、主要な農産物を輸入に頼っている日本の農業政策は国際的には異端と言わざるを得ない。
 農業政策には、①価格支持政策と②直接支払い政策の二つの考え方がある。
 ①価格支持政策は、主に関税によって価格を下支えする政策であり、日本の農業政策がこれに当たる。輸入農作物の価格を関税によって引き上げるため、高価な農作物を購入することになる消費者が負担をする政策と言える。高い関税はしばしば国際社会から、(私に言わせれば理不尽な)批判にさらされており、日本政府が必死に防戦しているが、実際にはコメ生産量の7割が赤字であり農家支援策として機能しているとは言えない。また関税は政府予算の中に組み込まれ、必ずしも農家支援に充てられているわけではない。
 ②直接支払い政策は、税金によって農家を直接支援する制度であり、消費者ではなく納税者全体で母国の農業を守る制度と言える。1980年代にEUが結成された当時、EU予算の実に70%が農業予算であり、欧州の人々がいかに農業を大切に守ろうとしていたのかがわかる。しかし、手厚すぎる農業支援策は農作物の過剰生産を招き、EUの財政をさらに圧迫した。その後、86年に交渉が始まるガット・ウルグアイ・ラウンドを経て、EUは92年、2003年の2回の農政改革を行い直接支払い政策へと移行していった。

世界に逆行する日本の農業政策

 政策の違いも大きいが、日本とEUとでは農業に対する国民の理解度が大きく異なる。現在でもEU予算の約40%を占める農業予算についてEU市民の26%が「少なすぎる」、45%が「適切」と考えており、「多すぎる」と答えた人は全体の13%にすぎない。
 農業に多額の予算を計上しているのは米国でも同じである。「食料自給できない国を想像できるか、それは国際的圧力と危険にさらされている国だ」と言うブッシュ(ジュニア)元大統領の言葉に代表されるように、農業は米国にとって安全保障の中核をなしている。日本人の多くは、米国は広大な農地を背景に市場原理を追求しているかのように考えているようだが、実際には米国の農業は補助金なしには成立しない。
 民主党政権下において日本も「戸別所得補償制度」を導入した。この制度は元々自民党の石破茂衆議院議員が当時の内閣にとって鬼門であった農林水産大臣に就任した際に若手の農林水産官僚と共につくり上げた政策の一つであった。石破農水大臣の政策を引き継いだ民主党政権は不十分ながらも直接支払い政策を導入した。しかし、この政策は自民党のバラマキ批判に耐えられず、その後の自民党政権下では「悪夢の民主党政権の遺産」として葬り去られた。
 大規模化が進められた世界の農業は、異常気象、土壌流出、地下水の枯渇、塩類集積によって農業の持続可能性が問われて久しい。世界は地域を支える小規模農家に対する再評価を行っている。2020年農林業センサスで見てきたように農家が衰退を続ける中で、大規模化をひたすらめざしている日本の農政は世界の農政に逆行している。

地方の中小製造業と農業

 地方を車で移動していると、田んぼの真ん中の小高い丘などにポツンと工場が立地しているのを見かける。あるいは地方の住宅地の真ん中にやはりポツンと工場が立地している場合もある。住宅地の中の工場も多くはかつて田んぼに囲まれた場所に建設された工場である。私はJAM井関農機労働組合の出身だが、新潟県三条市に㈱井関新潟製造所がある。江戸時代から鍛冶屋の町として栄えたこの地域は多くの中小製造業が集まる街として知られている。
 しかし、井関新潟製造所が建設された1961年当時、工場建設予定地には広大な水田が広がっていた。三条市に工場建設を計画していた井関農機の担当者は駅で降りて雪の中を進み、これ以上は進めないと思った地に工場を建設した。有名な大企業からの要請にも優良なコメが取れる水田を手放すことを拒んでいた農家だったが、「井関さんには世話になっているから」と快く土地を譲っていただいたという逸話が残っている。田んぼの真ん中にポツンと建てられた工場だったが、今では宅地開発が進み住宅に囲まれて、周囲に気を使いながら操業を続けている。
 あまり威張って言えることではないが、こうした地方の工場では、地元の安い労働力を活用して競争力を保っていた。従業員の多くが地元の兼業農家であり、田植え休暇や稲刈り休暇などが整備されていた。工場との兼業が可能になったのは農業機械の発展に帰するところが大きい。私を含め農業機械に携わる人間は、農業機械の発展が農業従事者を都市部に送り高度経済成長を支えたと考えている。しかし農業機械の発展は農業の省力化には大いに寄与したものの、高価な農業機械は農家の所得を圧迫した。それを支えたのが農外所得の獲得である。
 農業の大規模化によって兼業農家が減少し、こうした地方を支える中小製造業の現場ではコロナ禍においても慢性的な人手不足に陥っている。2021年JAM春季生活闘争は引き続き中小労組が大手労組を上回るベアを獲得しているが、これは慢性的な人手不足を背景にしながら粘り強く交渉を重ねた結果である。

地方にとって農業は重要な基幹産業

 国連は2017年に19~28年を「家族農業の10年」とする決議を行い、18年には「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言(小農宣言)」を採択した。これは家族農業が、「開発途上国、先進国ともに、食料生産によって主要な農業形態(世界の食料生産額の8割以上を占める)となっており、社会経済や環境、文化といった側面で重要な役割を担っている。また、彼らは地域のネットワークや文化の中に組み込まれており、多くの農業・非農業の雇用を創出している」(国連食糧農業機関=FAO)という考えが国際的に共通認識となっているためである。家族農業、日本においては兼業農家が地方経済、文化、環境、食と水の安全、健康を守る鍵を握っているのだが、日本はこの流れに逆行している。農業政策の迷走と地方経済の低迷、あるいは日本のものづくりの衰退、さらには相対的

貧困率の悪化は無関係ではない。

 地方にとって農業は重要な基幹産業であり続けなければならない。そのためには持続可能な農業とは何かを追求しなければならない。日本の製造業の競争力の源泉は、安価で品質の高い中小製造業の存在である。地方に点在する中小製造業は農業との共働のなかで発展してきた。人手不足は外国人技能実習生では根本的な解決には至らない。中小製造業も農業も取引価格の是正による労働条件の改善が不可欠である。
 日本農業の最大の課題は「過剰な水田をどうするのか」ということに尽きる。日本でコメ余りが叫ばれて半世紀が過ぎたが、現状は何ら解決していない。しかし、コロナ禍においてコメさえ買えない貧困が進行しているのは衝撃的である。単純な生産調整や市場原理の導入では解決できないことは明白であり、国民全体を巻き込んだ議論が必要ではないかと考えている。

効率一辺倒見直しの時期

 今、新しい感染症が多くの課題を顕在化させている。私たちはこれまで経済効率を優先し、資本と人口を都市部に集中させ、疲弊する地方経済を置き去りにしてきた。また、非正規労働者や外国人労働者に低賃金労働を強いることで、私たちの安くて便利な生活を成立させ、彼らの困窮から目をそらしてきた。効率を優先した医療の現場は感染拡大以前から逼迫しており、現場の献身的な努力によってのみ支えられていた。さらに、他の先進国と比較してDXの議論は遅々として進まず、いつの間にか、IT分野における競争からは大幅な後退を余儀なくされている。こうした私たちの怠慢ともいえる失策をあざ笑うかのように感染症が蔓延し、私たちの命と健康を脅かしている。今、私たち労働組合が何を発言し、そして行動を起こしていくのかが問われている。
 議論の中からしか運動は生まれない。社会変革をめざして、ともにがんばりましょう。

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