[「東アジア不戦宣言」の提唱を受けて]西澤 清

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「東アジア不戦宣言」の運動の前進のために

広範な国民連合全国代表世話人、元日教組副委員長 西澤 清

 このたび、西原春夫さん(早稲田大学元総長)や瀬戸内寂聴さんなど85歳以上の「長老」20名が、「2022年2月22日22時22分22秒に東アジア全構成国の首脳が」「①あらゆる対立を超えて人類全体の連帯を図り、人類絶滅の危機を回避するよう努力する、②少なくともまず東アジアを戦争の無い地域とする」ことを内容とした、「共同宣言、又は個別同時の宣言を発出すること」を提言した。
 その趣旨と心意気にはまったく賛成である。
 その上に立って、具体的にどう不戦を確実に実現していくかに意見を述べたい。
 現在、東アジアでは、ASEANを巻き込んで南シナ海、台湾、香港で米中対立が激化している。これはアメリカの総体的衰退がその要因になっており、アメリカと同盟関係にある日本もその狭間で同様の危機に見舞われている。
 この時期に改めて、太平洋戦争経験者の長老たちが、「東アジア不戦宣言」を行え、と提起するのは大変意義あることだと思う。
 言うまでもなく戦争は、「『動機』と『武器』の積」で起こる。提言はこの「動機」をゼロにすることによって、戦争を行わない、すなわちゼロにしようというものである。
 現在、「自ら戦争を起こす」と言っている国はないし、今までも戦争は常に「自国の防衛のための戦争」として行われてきた。現在でも、どの国も「『動機』は持っていない」と言うのだ。しかし、戦争の危機は皆が感じている。そこが問題である。
 大切なのは「動機がない」と「言うだけ」では人びとの不安は消えず、したがって不戦の宣言にはならないということである。不戦を宣言したら、その「担保」をとることである。
 その担保は、「動機がない」という場合には、「歴史の総括・反省」を、不戦宣言をした国家あるいは人が、いかなる形で持っているかが重要である。不問に付したら不戦宣言は絵に描いた餅である。
 昨年12月6日、ドイツのメルケル首相が、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪れ、ナチスによる犯罪を「記憶しておくことは……決して終わることのない責任の一つだ。わが国と不可分に結び付いている。この責任を認識することは、国家のアイデンティティーの一部だ」と表明した。
 しかし、辞任した安倍前首相は今年9月18日に靖国神社に参拝した。不戦を担保するのは宣言と行動とが一体になることだ。「『動機』と『武器』の積」の後段の、「武器」の担保は具体的でわかりやすい数であらわされる。「軍事演習の中止」や「戦略・戦術的武器の具体的削減」(軍縮)である。
 今でも街道を車で走ると「不戦宣言都市」などという看板が目立つ。また「多文化共生宣言都市」を標榜している地域もある。しかし、そこではヘイトスピーチが野放しになっているのだ。共通の担保を「超克」で持つことができるかが鍵である。
 私は、「東アジア共同宣言」を実のあるものにするための一歩として、長老20名の統一した「担保を盛り込んだ宣言文」がぜひ必要と思う。人間は統一した概念の中でこそ連帯して行動できる。「長老宣言文」が存在してこそ運動は広がりをもつのだと思う。
 さらに、「長老宣言文」が出来たら、まず国民の多数の意見にするための運動が必要になる。それは、長老を中心とした国民的集会の開催である。長老・賛同者の署名した共同の呼びかけがあって、国民の中に「真の不戦の決意」が形成されていくのであろう。
 今度こそ、今まで数多く出された「言葉だけの宣言」に終わらせないために。

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