改定漁業法は根本的に間違っている

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東京大学教授 鈴木 宣弘

最近の法改定は国家私物化の「総仕上げ」

規制改革、自由貿易の名目で、公共的・共助的なルールや組織を破壊し、日米オトモダチ企業に地域を食い物にさせる動きが止まらない。農業での最近の象徴的「事件」はH県Y市の農業特区である。突如、大企業が農地を買うことができるようになった。その企業はO社(M前会長)の関連会社である(民有林・国有林の「盗伐」合法化も木材チップのバイオマス発電を手掛けるO社への支援である)。そしてO社の社外取締役に就任しているのは、人材派遣大手会長T氏とLファームを展開したN氏である。政権と結びついた「利益相反」で地域を食い物にしている「常習犯」の、たいへん有能なMTNの3人だ。あまりにもわかりやすすぎる。
農業委員会が任命制になったが、全国の儲けられそうな市町村の農業委員会には、MTNがセットで名を連ねるとの構想さえ聞こえてきた。農・林・漁、すべてに関わる特定企業もある。国家「私物化」特区で農地買収し、森林「盗伐」によるバイオマス発電も合法化してもらったO社が洋上風力発電で海にも参入する。
漁業において便宜供与の対象たる大企業として、まず念頭に浮かぶのはマグロ養殖企業で、漁協の組合員になって資源管理ルールを守らされるコストを払わずに自由に儲けたいから、もっと簡単にマグロ養殖企業に沿岸海域を明け渡せ、という構図がイメージされるが、もちろん、それだけではない。ノリやカキやホタテも含めた区画・共同漁業権全体に関わるさまざまなビジネスチャンスが想定されていることはM県の震災復興の水産特区でも明らかである。

衝撃的な改定漁業法~海は企業の儲けの道具に差し出せ

2018年初め、安倍総理は「養殖業への新規参入が容易となるよう、海面の利用制度の改革を行う」などと所信表明で述べて漁業「改革」を進めることを宣言した。その後あれよあれよという間に、同年12月、漁業法が改定されてしまった。その内容は――
・これまで各漁場で生業を営む漁家の集合体としての漁協に優先的に免許されてきた漁業権の優先順位の廃止
・定置・区画漁業権を個別付与し、抵当権の設定を可能にする
・漁獲の個別割当(IQ)、譲渡可能個別割当(ITQ)を導入し、漁船のトン数制限を廃止する
――などの衝撃的なものである。

水産庁の苦悩~従来の主張がすべて覆される

水産庁は、さまざまな形で立体的・重複的な「漁場利用の分割不可性」に基づく資源の共同管理の有効性・必要性を指摘していた(農林中金総研田口さつき主任研究員)が、その根幹となる漁業法における、漁家の集合体としての漁協による共同管理を優先する仕組みは、あっけなく崩壊させられた。
長年にわたり、そこに住み、前浜を生業の場とし、資源とコミュニティを持続させてきた地元漁家たちから、「適切かつ有効に」海面を利用して「成長産業化」する=漁家のノリ養殖を企業のマグロ養殖に明け渡せば何倍もの利益が上がる、として、漁業権を剝奪する。資源管理もコミュニティも崩壊する。
また、沖合漁業についても、水産庁は「個別割当方式・譲渡性個別割当方式の概要と我が国における導入の考え方(論点整理)」(平成20年11月7日)で――
①漁獲量の迅速かつ正確な把握のための多数の管理要員など、多大な管理コストを要する(437億円と試算)
②操業が各漁業者の判断に委ねられ、漁業者団体による管理が行われなくなった場合には、価格の高い時期に漁獲が集中し、市場が混乱するおそれ
③特に、譲渡性個別割当方式を導入し、全面的に自由な割当ての移譲を認めた場合、
・各種規制(トン数規制、操業区域、操業期間、操業方法等)の見直し、撤廃に伴い操業秩序が混乱するおそれ
・生産性が高く資本力のある漁業者に割当てが集中し、結果として、漁村地区が崩壊するおそれ、
――を指摘し、欧米型の資源管理には問題点が多く、我が国の漁業形態にも合わないと論陣を張っていた(前出・田口氏)。
ところが、今回は、一転して、漁獲の個別割当から譲渡性個別割当に移行させ、さらに、船のトン数制限も撤廃して、一部企業の漁獲独占を後押しする方向が露骨に示された。漁業権の個別付与も含め、水産庁が「やるべきでない」と主張し続けてきたことを一気に「すべてやる」ことになってしまった。良識ある官僚やそのOBには許容できるはずがない。実は、「水産庁内での議論がないどころか、案文もほとんどの人は知らなかった」との指摘さえある。

生存権・財産権の剝奪~重大な憲法違反

「優先順位の廃止」によって、浜に生まれ、浜で暮らし、生業を営み、昔から営々と浜を守ってきた地元漁民から、浜が企業に取り上げられたら、生活基盤と漁村コミュニティが崩壊する。筆者も、生まれたときからそこに浜があって、長年にわたってそこで生計を立て、毎日、浜を生活の場としてきた一人として強い違和感を覚える。そもそも、地元民には優先的な前浜の使用権が発生しているのであり、先祖代々そこに住み、前浜を使用してきた地元漁民を追い出すことは「生存権」の剝奪である。戦後の漁業法は漁家の生存権を担保するため、漁業権を物権=財産権として確立した。
改定漁業法の下では、特定企業の利益のため、補償もなく、合意もなく、地元漁家の生存権と財産権が剝奪されるというのだから、「強制収用」より悪質である。強制収用も大問題だが、それは空港建設など公共目的のために補償して合意の上で権利を剝奪するものである。改定漁業法は、憲法25条と29条に対する重大な違反であり、根本的に間違っている。
漁家は漁協に集まって、獲りすぎや海の汚れにつながる過密養殖にならぬように、毎年の計画を話し合い、公平性を保つように調整し、年度途中での折々の情勢変化に対応してファインチューニング(微調整)し、浜掃除の出合いも平等にこなすといった資源とコミュニティの持続を保つ、きめ細かな共生システムが絶妙なギリギリのバランスの上にできあがっている。
それに対して、非効率な家族経営体が公共物の浜を勝手に占有しているのはけしからん、そのせいで日本漁業が衰退したのだから、もっと効率的な企業体に権利を付け替えられるようにしたのだ。長年その地に土着して目の前の浜で暮らしてきた我々に対して、突然、漁業権の免許が漁協(多数の家族経営漁家の集合体)から企業に変更されたので、君らの一部は企業が雇ってくれるが、基本的にはみんな浜から出ていけ、というのは、よくまあ、そんな勝手なことが言えるな、というのが実感である。

資源がもたない

「定置・区画漁業権の個別付与」は何を意味するか。入り江の浜には、「貝や海藻などを獲る共同漁業権」(浜全体をカバーしている)、「貝や海藻、魚類などの養殖を営む区画漁業権」と「大型の定置網漁を営む定置漁業権」の3つ(イカ釣りやカツオの一本釣りなどの「許可漁業」は別)があり、漁場にはさまざまな形態の漁業が重層的に共存している。
別の漁業に迷惑をかけることや獲りすぎ、過密養殖を防ぐために、漁協で話し合って共同管理の年間計画をつくり、年度の途中に何度も見直すことで、きめ細かい調整をしてきている。それができるのは、漁民が漁協というまとまりの中で、浜全体を統一的に管理・調整しているからである。そこに、一部を、その管轄外の個別組織(企業)が自由にしてよいことにしてしまったら、浜に虫食い的に共同管理できない箇所ができて浜全体の資源管理・調整が混乱・崩壊するのは目に見えている。
区画、定置、共同漁業権は、海を協調して立体的、複層的に利用している。定置の前で魚を獲ったら定置網は成り立たないし、マグロ養殖のそばを漁船が高速で移動したら中のマグロが暴れて大変なことになる。漁業は、企業間の競争、対立、収奪ではなく、協調の精神、共同体的な論理で成り立ち、貴重な資源を上手に利用している。その根幹が漁協による漁業権管理である。漁協と別の主体にも虫食い的に漁業権が免許されたら、養殖のエサのせいで周りが赤潮になっても知らんぷり、といったようなことが生じて、漁場の資源管理は瞬く間に混乱に陥ることは必定である。
それに、区画漁業権のエリアでは、例えば、40漁業者が80カ所を区割りしてワカメ養殖をしている(鳥羽磯部漁協和具浦支所)が、これを県知事が個別に割り当てて調整・管理することが不可能に近いことは誰の目にも明らかである。

「コモンズ(共用資源)は共同管理」が理論的にも大原則

重要なことは、農地や山や海はコモンズ(共用資源)だということである。「公」と「共」をなくして「私」のみにする、つまり規制撤廃して個々が勝手に自己利益を追求すれば、結果的に社会全体の利益が最大化されるという短絡的経済理論のコモンズへの適用は論外である。
筆者は環境経済学の担当教授で、毎年、学生に、入会牧場や漁場を例に、「コモンズの悲劇」(個々が目先の自己利益の最大化を目指して行動すると資源が枯渇して共倒れする)を講義している。「自然資源の共同管理制度、及び共同管理の対象である資源」(早稲田大学井上真教授)という定義に含意されるように、コモンズは共同管理されることで「悲劇」を回避してきた。それに対して、「コモンズの共同管理をやめるべき」というのは、根本的な間違いといえる。
コモンズには自発的なルールができて悲劇は回避されるから「コモンズの悲劇」は起こらない、と解説しているテキストもあるが、まさに、その「コモンズの悲劇」を回避するために築かれ維持されてきたルール体系を破壊して「コモンズの悲劇」にしてしまう信じられない法改定が行われたことになる。
広く捉えれば地球環境全体も「グローバルコモンズ」であり、個々が自己利益の最大化に邁進したら破壊される。例えば、目先の狭い経済利益を個々が追求した結果、地球環境が悪化してゲリラ豪雨のような異常気象が頻発し、それによる洪水も、山が荒れ、田んぼが荒れて、止めることができない。それを回避するには、農林水産業(農地・森林・海)と他産業も含めた連携による自発的な共同管理、共助・共生システムが極めて有効であり、市場原理主義をふりかざしてはいけない。

地域がもたない

M県知事は「企業側が『海は国民のもので漁協のものではない。漁協がお金を出して買ったものではないはずだ』と思うのは当然です」と述べたが、耳を疑う。
その地に長く暮らしてきた多数の家族経営漁家の集合体が漁協であるから、漁協が本来の姿であるかぎりは、漁協と営利企業は同列ではない。漁業権は多数の漁家の集合体に付与されている。まず、そこに暮らしてきた漁民の生活と地域コミュニティが優先されるのは当然である。企業が参入したいのであれば、地域のルールに従って、漁協の組合員になるべきであり、それは可能なのである。それなのに、これからは、突如、漁業権の免許が漁協から企業に変更されたので、基本的には君らはみんな浜から出ていけ、という理不尽極まりない議論になっている。
かつ、漁業権が企業に付け替えられたのちは、入札などにより譲渡可能にするのがベストだとし、資金力のある企業が地域の漁業権を根こそぎ買い占める狙いが透けて見えていた。また、「知事が漁協を通さずに企業に免許する漁業権は期間を長期化すべし」とも主張し、今いる漁協者からは権利を奪い、自らが握ったら長期使用を認めるよう、まったく虫のいい要求を露骨にしていた。つまり、浜は既存の漁家の既得権益でなく、みんなのものだから、平等にアクセスできるようにしろ、と言って、結局、そう主張した企業が買い占めて既得権益化する(浜のプライベートビーチ化)という詐欺的ストーリーが見えていた。今回の漁業法改定は、それをそのまま実現した。
改定漁業法で「既存の漁業権者が水域を適切かつ有効に活用している場合は、その継続利用を優先する」との考慮事項が既存の漁業者を守る歯止めになるとの解釈は間違いである。そもそも、漁協でなく企業に漁業権を付け替えることを狙って改定しているという前提を忘れてはならない。これは、漁業権を得た「オトモダチ」企業が「長期的な経営判断に基づく投資を促す」ための「考慮事項」だと政府はくしくも回答書に書いている。
「適切かつ有効に」の詳細が法律に明記されなかったので、省令などによる歯止めを期待する声もあるが、畜安法や種子法と同様に、そもそも、「既存漁家(漁協)から参入企業に漁業権を付け替え、その権利を固定化する」ために入れた「お上の意思」は重い。抵当権設定も可能にして、競売で企業が権利を集積していく(浜を買い占めていく)道筋もつけられている。
海と隣接した集落で、非常に多くの中小漁家が生業を営んでいる。これらが根こそぎ買い取られたらどうなるか。ここで暮らしてきた人たちの生活と地域コミュニティは間違いなく崩壊する。長年暮らしてきた人々を追い出し、地域コミュニティを崩壊させる権利が誰にあるというのか。

オトモダチによる漁獲独占化

「漁獲の個別割当(IQ)の導入」などは何をもたらすか。沖合の許可漁業では、資源を持続的に再生産するための漁獲量を定める方法として、「最大持続生産量(MSY)」をベースに、「生物学的漁獲可能量(ABC)」から「総漁獲可能量(TAC)」を算出しているが、その対象魚種を拡大し、かつ順次、漁業者に配分する「個別割当(IQ)」を、さらには、「譲渡可能な個別割当(ITQ)」を導入すること、それとセットで漁船のトン数制限が廃止されることが決まった。あからさまに、家族経営漁家を排除し、オトモダチ企業による漁獲独占を進めようとしていることが明白である。
しかも、ABCを科学的にはじき出すこと自体が難しく、妥当性に疑問がある上に、行政がどうやって個別に妥当な量を算定して割り当て、どうやって管理・監視し、違反者を取り締まるのか。気の遠くなる話で、莫大なコストがかかることは明白である。これは、ノーベル経済学賞を受賞したオストロム教授が、コモンズ(共用資源)を例にしたゲーム理論でも証明済みである。資源を個々人が私有化して管理するのと、中央政府がコントロールするのと、共助システムが機能して役割を果たすのでは、共助システムにゆだねたほうが長期的・総合的に見て、資源管理コストも安く、地域コミュニティの持続にも有効だという結論である。

国土がもたない~「制海権」の喪失

さらには、漁業自体は赤字でも漁業権を取得することで日本の沿岸部を制御下に置くことを国家戦略とする国の意思が働けば、表向きは日本人が代表者になっていても、実質は外国の資本が全国の沿岸部の水産資源と海を、経済的な短期の採算ベースには乗らなくとも買い占めていくことも起こり得る。海岸線のリゾートホテル・マンションなどの所有でも同様の事態が進みつつある。
こうした事態の進行は、日本が実質的に日本でなくなり、植民地化することを意味する。日本が能天気だと思うのは、農林水産業は国土・国境を守っているという感覚が世界では当たり前なのに、我が国ではそういう認識が欠如していることである。ヨーロッパ各国は国境線の山間部にたくさんの農家が持続できるように所得のほぼ100%を税金で賄って支えている。彼らにとって農業振興は最大の安全保障政策である。日本にとっての国境線は海である。沿岸線の海を守るには自国の家族経営漁業の持続に戦略的支援を欧州のように強化するのが本来なのに、「企業参入が重要」、「民間活力の最大限の活用」と言っているうちに、結果的には日本の主権が脅かされていく危機に気付かないのであろうか。

地域の力を結集して悪法を無効化する

所管官庁も苦渋の選択を迫られたが、良識ある官僚とOBは頑張って闘っていることも忘れてはいけない。全国の都道府県の自治体の政治・行政も、現場の漁家も、国民も、漁協も黙ってはいない。理不尽な動きには徹底的に対抗する現場の力が結集できれば、法律が改悪されても、対抗する条例などの制定も通じて、現場が受け入れないことでみんなを守ることはできる。そして、最終的には、根本的に間違った法改定は破棄し、元に戻さなくてはならない。

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