食料・農業・農村基本法改正 小山 展弘

対米従属・輸出企業偏重を見直し、自給率向上を

衆議院議員 小山 展弘

総括をして抜本的転換を

 今回の法改正は、食料安全保障への認識を高め、消費者の役割を加筆し、新自由主義的政策の修正を図るような賛同できる点もあるものの、食料自給率目標が達成されなかったことなど、これまでの基本法への評価や総括はなく、環境変化への分析もなく、短期間の審議で、一部を修正するものでした。戦争や気候変動など、世界的な食料危機が懸念されています。日本経済の相対的地位の低下、円の価値の低下、中国などのアジア諸国の食料需要の急増を考えれば、食料を輸入に頼るリスクは大きくなっています。自給率向上へ向けて、農業予算を増額し、国内生産を支援する政策を強化することこそ、基本法改正で本来議論されるべきテーマだったと思います。

農業予算に見る農業軽視

 安全保障も食料安全保障も国民の命を守ることですが、予算額を比較すると、食料安全保障は軽視されていると言わざるを得ません。総予算に占める農水予算の比率は1970年の11%から2023年度は2・2%に低下しました。民主党政権時代の農水予算比率は3%でしたから、安倍政権以降、さらに低下しました。岸田総理は「農業政策を抜本的に見直す」と施政方針演説で述べましたが、掛け声倒れであることを、予算額が物語っています。
 農家の皆さまの危機的状況に対応する新たな政策を実行していくためには、農水予算の増額が必要です。生産コストの上昇を政府が補塡する直接支払いや、農地を守る交付金などを含む戸別所得補償制度は、諸外国では当然の制度で、バラマキと批判されるものではありませんでした。
 民主党政権時代の戸別所得補償制度は一定の効果がありましたが、農水予算総額を増額できず、土地改良予算等を削減したため、水利施設軽視との批判を受けてしまったのです。

対米従属と輸出製造業偏重

 食料自給率が低下した要因に食生活の変化が挙げられます。今年の予算委員会で、三食を和食中心の献立にした場合の食料自給率について質問したところ、坂本農水大臣は「66%になる」と答弁しました。
 食料自給率の低下は、農業や農家、あるいは農水省の政策だけの責任ではありません。農産物は適地適作が原則です。湿潤な日本では小麦などを生産できる農地は限られます。米を中心とした国内農産物中心の食生活から、小麦などの輸入農産物の食生活に変化したことは自給率低下の要因です。
 戦後の、わずか70~80年の短期間で、食生活がこれほど変化した国民はありません。東大の鈴木宣弘教授は、米国の余剰農産物の捌け口として日本が位置付けられた占領政策などが要因の一つと分析しています。当時の一部の識者やマスコミは「米を食べると能力が落ちる」「和食で戦争に負けた」などの誤った認識を広め、脱脂粉乳やパンなどの給食や洋食普及運動の影響もあったとも指摘しています。
 また、「大手製造業が輸出で稼いで食料は輸入すればいい」という「国際分業論」も自給率低下の要因の一つです。貿易交渉では、輸出産業のために農業は犠牲になってきたと言えるでしょう。日本の農業は、実際には、農家の所得に占める補助金の割合が国際的にも最も少ないレベルであるにもかかわらず、経済系マスコミは日本の農業と国内の他の産業を比較して「補助金漬け」との批判を展開してきました。
 このようなメディアのスポンサーには製造業や輸出産業の大手企業が名を連ねています。たしかに、産業の衰退に伴って廃業された方々がこのような主張をなさるならば、そのお気持ちが分からないわけではありません。しかし、産業ごとに競争のあり方は違うこと、農業は食料安全保障・食糧生産という国民の命にかかわる産業であること、多面的機能をもつ環境面でも公益的機能を果たしている産業であることについて、国民的理解の深化が大事です。戦争など不測の事態で輸入が途絶したとき、日本国民はどうなるのか。食料問題は国民全体で考えなければならない問題です。欧米などでは当たり前に実施されている所得補償、生産資材の高騰で苦しむ酪農家の生乳を買い取る制度、農業が果たしている多面的な機能を評価して農地などに直接支払う制度などを構築し、日本の農家の皆さまが経営を続けていける、生活を維持できる政策を行う必要があります。

ミニマムアクセス米の
見直しを

 米国の軍事的・経済的な地位は少なくとも相対的に低下し、中国やロシア、グローバルサウスなどが存在感を増しています。
 『トゥキディデスの罠』を書いたアメリカの政治学者グレアム・アリソン教授は、それぞれの勢力圏を認め合っていかなければ、紛争が起こり、世界大戦になりかねないと警告しています。アリソン教授の主張を敷衍してみると、自由貿易という経済システムや国際分業論は、普遍的で恒久的なルールではなく、冷戦後のアメリカの一極覇権のもとでのアメリカン・スタンダードであったと解釈すべきではないでしょうか。
 中国とアメリカが鉄鋼関税を掛け合う貿易戦争が起こり、また、経済安全保障の名のもとに自由貿易が制限され、自由貿易万能論やWTO体制が理想とした世界経済とは乖離が生じています。この時代の変化を日本も受け入れるべきです。
 ガット・ウルグアイラウンド妥結当時と同様に、いまだに毎年70万トンのミニマムアクセス米(MA米)を輸入しています。当時の米の消費量に基づいて数量は70万トンに決まりましたが、現在、国内の米の消費量は当時より大きく減少しています。70万トンは新潟県のコメ生産量より多い数量で大変な負担です。
 そもそもMA米は、名前の通り、最低限の市場アクセスを与える枠のことであり、全量輸入を確約したものではありません。2025年から5年間かけて43兆円もの巨額な防衛費を投じ、そのうちの7兆円は米国からの防衛装備の購入に充てる見込みです。これらを勘案すればMA米の削減交渉もしないのはアメリカに遠慮しすぎではないでしょうか。

国内生産・国内消費、
自給率向上こそ

 日本維新の会の議員などが農水委員会で「自給率なんか関係ない! 食料は同盟国から輸入すればいい。同盟国からの輸入は途絶えることはない」と発言しています。とんでもない暴論です。
 気候変動によって世界の農業生産は大きな影響を受けており、今後、世界同時不作のような危機も懸念されます。自国民を犠牲にして日本に食料を輸出する国はありません。
 また、防衛面で同盟国であっても経済的には競争相手であることも忘れてはいけません。日本の半導体産業が衰退した原因の一つは、日米半導体協定によって日本の半導体生産に制約がかけられたことだと、経済産業委員会で斎藤経産大臣も答弁しています。
 加えて、中国などが経済力をつけ、日本の経済力は相対的に低下しています。日本経済のファンダメンタルの弱体化やアベノミクスによる金融緩和は円安をもたらしました。各国の物価上昇率も加味した「実質実効為替レート」では、円の購買力は田中角栄政権時代よりも低くなっています。
 今後、ますます、食料の「買い負け」現象が起きる可能性が高くなりました。やはり、国内生産の維持・拡大、食料自給率の向上こそが食料安全保障の確保の基本です。
 また食の安全という面でも輸入依存は危険です。食料輸出など遠距離で農産物を輸送する際には、添加物やポストハーベストという収穫後の農薬を使うケースが多いのです。国内農業の低農薬・低化学肥料生産、あるいは有機栽培を奨励し、国民の健康を守る政策も必要です。
 さらにフードマイレージ(食料の輸送量×輸送距離)という考え方によれば、大量の食料を長距離輸送して輸入する日本は、輸入農産品の量の移動の分だけ地球環境に負荷をかけています。CO2排出削減等の観点からも国内生産・国内消費を奨励すべきです。
 国内においても、地産地消や、できるだけ小さな自給圏で生産と消費を行うことを志向すべきです。なお、気候変動による世界同時不作のことを思えば、食料の備蓄を強化することも必要でしょう。そして、タネの自給を確保することも必要です。

日本のあり方を見直す時期

 人口減少や環境問題の発生などの世界の「近代」の変容と軌を一にしつつ、明治維新以来の近代日本も大きな変革期に来ていると思います。明治時代から近代化が始まり(実際は幕末にその萌芽は存在したが)、「日本だけがアジアで近代化に成功した」と言われ、モノづくりによる自由貿易・加工貿易で世界第2位のGDPを誇る経済大国になりました。
 しかし、現在はアジアの諸外国も(政治体制はともかくも)産業化・近代化を成功させ、著しく経済発展しました。日本製品の価格面の優位性は徐々に崩れ、情報化によってその技術的優位性も低下しました。一方で製造業の成功体験が著しかったこともあり、GAFAと肩を並べるような情報・知識産業は発展せず、情報通信機器製造も、徐々に国際的競争力を失ってきました。
 日本は、成長と発展の時代から、成熟と衰退の時代に入りつつあります。深刻な人手不足と円の購買力の低下は、今後も中長期的に物価が上昇することを暗示しています。そして、製造業の製品を輸出して外貨を稼ぎ、安易に食料品を輸入するという時代は終わりつつあると思います。
 ところで、明治時代以前の江戸時代は循環型でエコな社会であったと言われ、SDGsを実現するヒントがあると主張する人もいます。あらゆるものを国産化し、日本化した時代でもありました。日本には綿織物はなかったのですが、江戸時代に見事に国産化に成功しました。文化は花開き、260年間の泰平の時代でもありました。
 これからの日本は、明治以来の「富国強兵」路線から転換し、明治以来の産業化・近代化を継承しつつも、その修正を図り、明治と江戸を調和した新しい文明を構築していくべきです。私はそれを「富国有徳」の日本と申し上げています。これは川勝平太教授が考案し、小渕恵三総理もスローガンとした言葉です。
 「富国有徳」の日本は、貧困の撲滅、豊かな国をつくることは引き続き目標としつつも、文化や研究開発に力を入れ、地球環境とも調和した、「足るを知った」品格ある日本、「徳」のある日本を目指します。それは「大日本主義」的な考えから「小日本主義」的な考えに変わることでもあると考えます。
 戦前は軍事的大日本主義を目指してアジアに侵略し、それは第2次世界大戦で敗れて破綻しましたが、戦後は経済的な大日本主義を目指すかのように、アジアをはじめ世界に日本製品を輸出し、経済大国を目指してきました。しかし、このような経済的な大国主義、経済的な大日本主義的発想も見直す時期に来ています。経済的な面においても、身の丈に合った国づくりにすべきです。食料生産については、できるだけ国内で生産し、国内で消費することを基本にすべきと考えます。
 基本法は理念法です。全国の農家が直面している苦境を救うには、理念に終わることなく、現場の現実に対応する政策が必要です。
 今後、基本法に基づく基本計画の策定が極めて重要になってきます。どのような基本計画を策定するのか、今後も政府の姿勢を十分に注視していきたいと思います。
 またその一方で、与野党の議員が参加する「協同組合振興研究議員連盟」などで、農家の皆さまの現実に対応するべく、所得補償、生産資材の高騰で苦しむ酪農家の生乳を買い取る制度、農業が果たしている多面的な機能に合わせてそれを支えている農家への支払い制度などを定めた議員立法を目指しています。
 現在、その原案ができた段階です。どこの党の手柄とか、メンツとかではなく、与野党の枠を超えて、超党派で農家の皆さまのお役に立つ政策を行っていきたいと考えています。もし、与党の皆さまの理解が得られなかったら、野党の政策として訴えていきたいと考えています。
 (本稿は、インタビューを基にしたもの。見出しも含めて文責編集部)

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