[追悼] 金子兜太氏の平和への思い

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インタビュー(2017年8月3日 熊谷市のご自宅にて)

 2月20日金子兜太氏逝去への追悼として、前年の「日本の進路」9月号のインタビュー記事をここに掲載する。

 現代俳句の重鎮、金子兜太氏は「アベ政治を許さない」という文字を揮毫して、安倍政権と闘う全国の人々にエールを送った。同氏の平和への思いを伺った。(談 文責・編集部)

 私は1918年、大正8年生まれで97歳になります。
 神戸港のある町で日銀に勤めていた頃の句ですが、

朝はじまる海へ突っ込むかもめの死

 私は戦時中、日本銀行に勤めていましたが、海軍主計科士官・中尉としてトラック島に赴任し、そこで敗戦を迎えました。神戸港で海に突っ込む鴎とトラック島沖で海に突っ込む零戦闘機の姿が重なって、この句を作りました。

 敗戦後、日銀に復帰し、アメリカの銃剣で押しつぶされた2・1ゼネストの頃は日銀従業員組合の書記長として「これからは労働組合の時代」という職場の女性の声に励まされ、組合運動の先頭に立っていました。
 当時、妥協的だった日銀の労組で賃上げ交渉も徹底して闘い、職場集会をやり、満額回答を勝ち取るなど、かつてない成果を上げました。しかし、2・1ゼネストの時期でしたのでアメリカの占領政策のもと私も「レッドパージ」され、福島、神戸、長崎と約10年間、本店の土は踏まされず、人事部からは組合活動は一切やらせないという監視下に置かれました。
 いくら「レッドパージ」と言っても組合運動を理由に首にはできない。しかし、官側の圧力を抑えるためにどうしても本店から追放することが必要と人事部は判断したようです。
 しかし、このおかげで地方を回り日銀の仕事はほとんどやらず、句作に励むことができました。
 当時は、日銀から染み出す清水のようなものをすすって生き延びて、銀行に行けば普通のサラリーマンとして勤務しながら、家に帰ると闘争心を磨くという毎日でした。
 当時はあまり考えが及びませんでしたが、以降、日本は対米従属のもとで、トランプ政権登場後もアメリカに追従している安倍政権につながります。
 いつまでもアメリカに従うだけでなく、中国やアジアに目を向けた日本の生き方が求められると思います。このままでは戦争に再び向かうのではないかという危機感から、「アベ政治を許さない」という文字を揮毫しました。
 東京新聞でいとうせいこうさんと共に「平和の俳句」を選者としてやっています。
 私がこれまで作った句で一番印象に残っている句は

水脈みおの果て、炎天の墓碑を置きて去る

です。
 この句は、トラクック島を去るとき、駆逐艦の船尾から眺めながら作った句です。
 島を去る直前に、墓碑を建てることを依頼してきましたが、どうもそれは現在も確認できていません。
 トラック島で敗戦の中での食料も尽きた極限状態を生き延び、私はやっと日本に帰ることができましたが、多くの死者たちを残してきた。
 戦争の悲惨さを思い、二度と戦争をしてはならない。その思いが私の原点ともいえます。

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