労働運動の社会的役割を改めて考える

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水道は地域自治の問題であり生命の問題である

辻谷貴文(全日本水道労働組合書記次長)

日本の水道は「いま」

 「日本の水道は世界一」と、国内外からの呼び声が高い日本の水道。水ビジネスに興味津々の企業家や経済界は、「日本の水道の技術を世界へ」と、2025年には110兆円規模といわれる水ビジネス市場に打って出ようと躍起になっている。いまや石油ではなく「水」に起因して戦争が起こる時代であり、水(Water)=金(Gold) という構図が彼らの頭の中にあるようだ。
 一方、いま日本各地の地域の水道は、将来計画性の乏しい業務の委託拡大や大幅な人員削減、さらには技術力ある職員の退職などによって人的資産はもはや危機的な状況にある。過去30年間で減らされた地方公務員の実数割合は、一般の地方公務員の15%減に対して水道職員は30%減にも及ぶ。地域の水道職員は理不尽なぐらい削減され続けてきたのである。
 他方、高度成長期などに建設された多くの施設や設備は老朽化による更新期を迎え、併せて近い将来に必ず来る大規模な地震災害に備えた管路の耐震化の必要もあり、ハード面での対策は急務である。にもかかわらず行政は全般的に「普及すればそれでよし」とされるようで、国・地方の予算配分の考え方は変わっていない。今後避けられない事態を想定すれば、いかに水道が軽々に扱われているかがよく分かる。
 さらに資金面では、人口減少や節水機能の進歩による使用量・料金収入の減少、さらには公営企業としての持続のために必要な料金値上げに踏み切れない首長のマインドや議会状況など、持続可能な将来の水道事業を展望すれば、背筋が寒くなる実態である。日本各地の水道はいわば「人」「物」「金」の三重苦にある実態である。

全日本水道労働組合(全水道)では

 私たち水道現場で働く者の労働組合は、これまで約70年の歴史を歩んできた。設立当初の「水道事業を住民の手に」というスローガンは、当時の独立採算制を背景とした水資源確保の長期投資の実現や、質の高い水質基準による水質検査の実現など、社会的に意義深い施策の実現のため、政府に対する補助金などの予算支出を求めるものであった。また、水質公害から住民の生命を守る水道法改正闘争など、常に住民と事業の間に立って「蛇口の向こう側」を知ってもらう取り組みを展開してきた。先輩たちから引き継いだ「理論と実践の全水道」の精神のもと組織基盤を強固なものにしながら、たえず政治・経済・社会情勢の変化を踏まえながら、時々に直面する重要な課題を真正面から受け止め、ひるむことなく前進してきたと自負している。
 いま水ビジネスの拡大が喧伝され、「公共サービス、資産の民間開放」「民営化で経済発展」という新自由主義的な思想が拡散される政治・経済状況にあって、「市民の生命を守る」という私たち労働組合の使命と役割は、ますますその必要性が増していると考える。水はすべての人々にとって重要な問題である。全水道の基本的な運動方針としての「公営原則」「民営化反対」という基本軸は変わることはない。

アウトソーシングされた業務を担う民間の水関連企業労働者の組織化を

 公務労働は、全国各地で「合理化」と称する徹底した人員削減攻撃や職場の縮小攻撃を受け、全国一律的な退職不補充や採用停止が行われた。これまで公務員労働者が主に担っていた領域に民間企業が参画し、行政の予算書の中では人件費が物件費と書き換えられて「効率化した」と喧伝されてきた。民間水関連企業参入が増大した。しかしこれは、それらの業務において賃金・労働条件の低下を招く結果となっている。
 事業を受託した業者に雇用される労働者に対し、地方自治体が指定した賃金の支払いを確保させることを規定するなどの公契約制度は整備されていない。その結果、「安かろう悪かろう」が進行している。それは公務災害増加の一つを見ても一目瞭然である。
 同一労働同一賃金とともに、官・公・協・民いずれの雇用形態であっても働く者の生命の重さは同一である。私たち労働組合の「委託反対」という反合理化闘争の敗北の上にある「業務委託」の結果について、その現実を重く受け止めなければならない。
 その取り組みは「労働組合の社会的意義」を実践することでもあり、水関連民間企業労働者を組織化、いわば「全水道労働組合の傘によって、水関連企業で働く者に降りかかる不便や心配事から守る」取り組みが急務だと考える。言い換えれば、まともに働ける環境があってこそ、市民の生命の水を守ることに専心できるのである。

地域の水道、これから何が起こるか

 上述したように、日本各地の水道がいわば「人」「物」「金」の三重苦にさいなまれているなかで、事業の持続可能性を見据えてダウンサイジングに着手するか、総括原価方式に基づいて大幅な料金値上げに踏み切るかなど、それぞれの地域で苦渋の判断を迫られる日もそう遠くはないと考える。
 巨大な装置産業ともいうべき水道インフラを、いまのままの姿で維持していくことは、現実に多くの課題があり、その解決策として明確な方向は国も地方自治体もいまだ持ち合わせてはいない。これまで当たり前であった水道の供給が突如として立ち行かなくなる可能性は、もはやゼロではないという構えが必要である。
 地域によっては、老朽化する施設・設備の故障や不具合が現状のマンパワーでかろうじて維持されている実態があることも押さえておかなければならない。また併せてひとたび災害が起こった場合の対応や復旧などの体制についての検証を、再度深めなければならない。地域によっては、「綱渡り」のような環境下で事業運営がされているかもしれないという、市民の危機意識と議会の冷静なチェックが必要である。
 また、閣議決定された水道法一部改正法案が次の臨時国会に継続審議となっている。その法案には「運営権の設定」、いわゆるコンセッション方式と言われる長期にわたる運営権の譲渡・売却などの方策が盛り込まれている。法案内容を熟読すれば、導入は「容易ではない」と理解することができるものの、運営権の設定を盛り込んだ法改正で、早計に「わが市も運営権の譲渡(売却)を!」と走る首長や地方議会への懸念は膨らむばかりである。

水道のあるべき姿

 いま一度、市民生活の根幹や産業(経済)活動の基盤という「水道」について、すべての国民で考えてほしいと訴えたい。こう問題を提起することは、私たち労働組合の責任でもあると考えている。
 地方自治体運営の原則をもつ水道事業は、それぞれの地域の水事情などを含んだ事情や特性などに大きく影響されるものであり、「かくあるべき」と画一的に表現できるものではない。いわばその地域の水の問題は「自治の問題」であり、水をどう取り扱うかはその地域の民主主義による手法を駆使した決定が望ましいものである。
 しかし、いまの「公共サービス・資産の民間開放」政策は水道事業などのライフラインの領域にも例外なく適用(浸食)されようとしている。公営企業の効率性は民営のそれに劣ると決めつけ、公共の価値を無視して生命の価値を、数字上の効率化に換算してしまっている残念な事態である。
 国に迫られて一部の地方自治体では、水道事業の将来的な悪化を恐れて、十分な検討と住民合意なしに民営化ないし民営化に等しい方策を模索している。しかし、本当に水道事業が民間企業による運営で成立するのか「そもそも論」で再考してほしい。
 水道事業は歴史的に見て収益性に乏しく、民間企業が参入しにくかったからこその公営企業である。もうからなくとも人々が必要とする事業として存在しているのである。その意味を度外視して「民営化すれば解決(もうかる)」となっているのは、このロジックに何らかの落とし穴(トラップ)があると考える方が合理的ではないか。
 海外で、早くから水道民営化を経験した多くの地域では、民営化を反省して、「再公営化」に舵を切り直し、いまや公営水道は世界の潮流、グローバルスタンダードである。そうした反省事例が数多ある現実の中で、「日本の水道に限っては環境・文化・制度などが優れて民営化が可能」とする人々にはどのような経済的、政治的な背景があるのか。そこを見抜く力を、一人ひとりがもたなければ、私たち自身の生命が削られると同義の意味を帯びるというものである。
 水道事業の役割は、生存権に立脚してすべての人々の暮らしを支えるべく存在する根本的な意味をもつと同時に、その地域の産業(経済)活動を支えるものである。こうした点を踏まえれば、日常の「平時」ばかりを論点に検討するのでは不十分であり、いざという時の備えについても十分な検討がされるべきである。災害時などを想定すれば「民間企業に任せればいい」という思考で済ますことはできない。決して民間企業の参入を阻むものではないが、「最終責任」は民間企業では解消できず行政が負うべきであるからである。

社会の中で正常に機能する労働組合をめざして

 ひと昔前、大阪市で地方公務員の仕事実態に焦点を当てて、大きな公務員バッシングが巻き起こった時期があった。「地方自治」という枠組みが揺らぐほどの大きな事態であった。そういった状況においても労働組合は自浄作用を発揮してステレオタイプの「公務員はけしからん」といったプロパガンダに対して真正面から対峙してきた。市民に求められる労働組合の姿は、「社会の中で正常に機能する集団」であると確信している。
 社会の多くの人々が、労働によって日々の暮らしを成立させている状況を鑑みれば、働く者の集まりである労働組合が果たすべき役割などはおのずと決まっていると言える。「水道の労働者だから水道のことだけ」というような企業内意識に埋没した思考では、社会的に認められないだろう。
 大阪市では、市民との共同のもとで水道民営化案を廃案とすることができた。私たち全水道は、上述した民間水関連労働者の組織化という基本的な使命もさることながら、地域コミュニティの市民グループや活動家と言われている人々に対しても積極的にアクセスし、共有や連帯の成果を「成功体験」として確認している。
 ひとたび「水道を民営化しよう」という道筋をつけた地方行政に対して、当該の労働者らだけが反対と意思を表明したところで、その意見が反映される範囲は極めて狭い。他方、市民社会の中で「どうあるべきか」を問う運動の展開は、全体的な「見える化」や「自分ごと化」を促進し、その獲得目標に近道ともいえる効果を発揮する。したがって労働組合運動が社会に合意され得る取り組みは、自らの要求実現と「よい社会づくり」に役に立つものである。
 労働組合は、自分たちの賃金・労働条件や、自分たちが属する生産活動の領域における運動だけでなく、平和と民主主義に象徴されるような社会全体の問題に取り組み関わることが不可欠だと考える。
 平和が脅かされる事態になれば、働く者は分断され政治も経済も、人々の暮らしすべてが破壊される。労働組合の存在どころか労働の尊厳すら放棄させられる。労働組合も、日常より社会全体の問題に立脚した姿が必要であると考えている。

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