食料安全保障の確立へ

農業基本法改正の現在地

東京大学大学院教授 鈴木 宣弘

やっと「食料自給率向上」が追加されたが

 基本法の見直しを今やるということは、世界的な食料需給情勢の悪化を踏まえ、「市場原理主義」の限界を認識し、肥料、飼料、燃料などの暴騰にもかかわらず農産物の販売価格は上がらず、農家は赤字にあえぎ、廃業が激増している中で、不測の事態にも国民の命を守れるように国内生産への支援を早急に強化し、食料自給率を高める抜本的な政策を打ち出すためだ、と考えた。
 しかし、新基本法の原案には食料自給率という言葉がなく、「基本計画」の項目で「指標の1つ」と位置づけを後退させ、食料自給率向上の抜本的な対策の強化などには言及されていない。自民党からの要請を受けて、やっと「食料自給率向上」という文言を加えるという修正は行われることになったが、そのための抜本的な政策について何も言及されていないのはそのままだ。


 審議会関係者の中では、「食料安全保障を自給率という一つの指標で議論するのは、守るべき国益に対して十分な目配りがますますできなくなる可能性がある」とさえ指摘していたというのだから、理解に苦しむ。
 戦後の米国の占領政策により米国の余剰農産物の処分場として食料自給率を下げていくことを宿命づけられたわが国は、これまでも「基本計画」に基づき自給率目標を5年ごとに定めても、一度もその実現のための工程表も予算も付いたことがなかった。
 今回の基本法の見直しでは、一言だけ追加されたとはいえ、食料自給率低下を容認することを、今まで以上に明確にしようとしているように思われる。

有事立法だけ強化

 「平時」と「有事」の食料安全保障という分け方が強調されるが、「不測の事態でも国民の食料が確保できるように普段から食料自給率を維持することが食料安全保障」と考えると、分ける意味はあるのだろうか。
 平時からしっかりと自給率が向上できるようにするための政策は提示されないまま、平時は輸入先との関係強化に努めることが強調されているが、いくら関係強化しても不測の事態にはまず自国民が優先だからあてにはならない。
 一方で、有事のために「花からイモへ」に象徴されるような増産命令と供出を義務づけ、従わないと罰金を科すような有事立法はつくると言うが、平時は輸入に頼り、国内生産を支えずして、有事は強制増産させるというのは理解に苦しむ。できるわけがない。

多様な農業経営体の
位置づけ

 自給率向上を書きたくなかった理由には、「自給率向上を目標に掲げると非効率な経営まで残ってしまう」という視点もあったと思われる。
 2020年「基本計画」で示された、半農半Xを含む「多様な農業経営体」重視が「中間とりまとめ」では消え、15年基本計画に逆戻りし、再び「多様な農業経営体」を否定し、「効率的経営」のみを施策の対象とする色合いが濃くなっている。

田んぼつぶしに
750億円

 コメ需要が減少しているとして、水田の畑地化も推進しようとしているが、加工用米や飼料米も含めて、水田を水田として維持することが、有事の食料安全保障の要であり、洪水防止機能や伝統文化、コミュニティーの維持などの大きな多面的機能もある。水田の短絡的な畑地化推進は極めて危険である。
 中国は今、戦争に備えて14億人の人口が1年半食べられるだけの穀物を備蓄すると世界中から買い占め始めた。こうなると事態がよくなる見込みがない。片や日本の備蓄はどれだけあるのか。コメを中心にせいぜい1・5カ月。頑張っても2カ月分くらいしか無理だということで、全くレベルが違う。
 日本は国内のコメの生産力も十分あるんだから、もうちょっと増産して備蓄すればいいはずだ。そうすればみんなが困ったときに食料を国内でちゃんと確保することができる。コメは今800万トンしか作っていないが、日本の水田をフル活用すれば1200万トン作れる。そうすれば1年半とは言わなくても、日本人がしっかりとしばらく食べられるだけの備蓄はコメを中心にできる。
 そんなカネがどこにあると財務省が言えばおしまいになるが、これこそよく考えてほしい。トマホークを買うのに43兆円も使うおカネがあるというなら、まず命を守る食料をしっかりと国内で確保するために、仮に何兆円使ってでもそっちの方が先だ。田んぼつぶしに750億円(5年度補正予算)使っている場合ではない。

腰砕けの価格転嫁誘導策

 コスト上昇を流通段階でスライドして上乗せしていくのを政府が誘導する制度の検討が目玉とされているが、参考にしたフランスでも実効性には疑問も呈されているし、小売主導の強い日本ではなおさらである、と筆者は最初から指摘してきた。
 やはり、政府もこれは無理だとわかったので、目玉として掲げてしまった価格転嫁誘導策の旗をどう降ろしてお茶を濁すか、という段階に来ている。業界の皆さんを集めた協議会をやって何かやった感を出しておしまいになりそうである。そもそも、消費者負担にも限界があるから、それを埋めることこそが政策の役割と思うが、それはやらずに、あくまで民間に委ねようとする姿勢である。
 欧米は「価格支持+直接支払い」を堅持しているのに、日本だけ「丸裸」だ。欧米並みの直接支払いによる所得維持と政府買い上げによる需要創出政策を早急に導入すべきではないか。

相変わらずの規模拡大、輸出、スマート農業

 「市場原理主義」(貿易停止時に命を守る安全保障コストが勘案されていない)では、いざというときの国民の命は守れないことも明白になったのではないか。コロナ禍でも反省したのではなかったか。このままでは、逆の流れが加速しかねない。
 ビル・ゲイツ氏などのIT大手企業らが描くような無人の巨大なデジタル農業がポツリと残ったとしても、日本の多くの農山漁村が原野に戻り、地域社会と文化も消え、食料自給率はさらに低下し、不測の事態には超過密化した拠点都市で疫病が蔓延し、餓死者が続出するような歪な国に突き進むのか。
 そして、コスト高に苦しむ農家の所得を支える抜本的仕組みは提案されないまま、相変わらずの、「規模拡大によるコストダウン、輸出拡大、スマート農業」が連呼される現状に違和感を覚える。本当に農村現場を見ているとは思えない。今が正念場である。今後の議論に期待したい。