子どもの貧困問題と後退する社会保障
長崎大学教育学部准教授 小西 祐馬
1.貧困を見ようとしてこなかった日本
先日、大学での講義後、学生から「なぜ厚生労働省は、都道府県ごとの正確な子どもの貧困率を集計し、公表しないのですか。各自治体バラバラの基準・方法で出していてわかりづらいし、まとめづらいです」と質問された。想定していなかった質問に若干焦りつつ、とっさに「政府は都道府県別に貧困率を算出するほどのデータは収集できていないからではないか。そもそも都道府県ごとに貧困率を出すつもりがないのではないか」などと答えた。そして、「日本は国としての貧困率も長年出そうとしてこなかったので」と思い出して付け加えた。日本政府は、本当に長い間、国内の貧困問題を見ようとしてこなかった。
1990年代後半より、新自由主義的な「痛みを伴う構造改革」によって、「格差」「ホームレス」「ワーキングプア」「フリーター」など、さまざまな言葉・形で貧困が可視化・顕在化されてきたが、それでも日本政府が貧困率を公表することはなかった。国民生活基礎調査などさまざまな調査によって世帯所得等のデータは蓄積されており、計算しようと思えば貧困率などすぐに出せたのにもかかわらず。出したくない、隠しておきたい、見たくないという意志を感じた。
世界中の国々が公表し、社会政策を構想するうえで最も基礎的な統計である貧困率を、日本はいつになったら出せるのだろう、貧困問題の解決に社会全体で取り組めるようになる日は来るのだろうか――と思っていた2009年、民主党政権が誕生した直後、厚生労働省はあっさり貧困率を公表した。日本政府が初めて明らかにした相対的貧困率(06年)は、全年齢層では15・7%、子どもに限っては(子どもの貧困率は)14・2%で、予想以上に高い値であった。その後、「子どもの貧困」ブームとも言える状況が訪れ、13年には「子どもの貧困対策に関する法律」が成立するに至った。政治が変われば、やろうと思えば、それなりのことはできるということを実感した体験となった。
2.子どもの貧困率
ちなみに「貧困率」とは、世界共通で使用されることの多い「相対的貧困率」のことで、所得の中央値の50%を基準(貧困線)として用いたものである。厚生労働省による国民生活基礎調査を用いて算出された2021年の貧困線(所得中央値の50%)は127万円(1人世帯)で、2人以上の世帯の貧困線については127万円に世帯人数の平方根を乗じることによって算出され、2人世帯だと180万円、3人世帯だと220万円、4人世帯だと254万円となる。この貧困線未満の所得で生活する子どもの割合が「子どもの貧困率」である。
その最新(21年)の値が先月、公表された(図表1)。21年と言えば、コロナ禍によって、職を失い、所得が減り、家を失う人さえもが現れ、厚生労働省のサイトに大々的に「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずご相談ください」と記載されるほど深刻な状況であったが、子どもの貧困率は11・5%で、18年の14・0%から下がったものだった。ピークであった12年の16・3%からすると、5%近くもの減少である。コロナ禍により経済的に非常に厳しい状況に追いやられた人(子ども)も間違いなくいたが、貧困から抜け出せた人もいた、ということだろう。所得と連動するであろう「生活意識」についても、「生活が苦しい」という回答が減少している。なお、全年齢層の相対的貧困率は15・4%で微減にとどまっている。
子どもの貧困率が減少したことは喜ばしい。しかし、それでも11・5%、「約9人に1人の子どもが貧困」という現実がある。決して少ない値ではない。また、ひとり親家族(母子・父子世帯)の貧困率は44・5%である。これもまた減少傾向にあるが、それでも依然として非常に高い数値であることは間違いない。
なお、この貧困率の減少は、法律を作って政府が進めてきた「子どもの貧困対策」によるものではない。2013年に「子どもの貧困対策に関する法律」が制定され、いくつかの取り組みがなされはしたが、主に行われたのは宣伝・広報であって、貧困率を直接的に減少させるような施策は行われていない。
周囲で実感できなかったとしても、日本のどこかで貧困から抜け出せている子どもたちがいることは事実であり、そのことを希望にしつつ、より具体的にそれぞれの地域において子ども・子育て家族の暮らしや学びがどのような現状にあるのか、注目していく必要があるだろう。
3.「次元の異なる少子化対策」への懸念
2023年4月には「こども家庭庁」が発足し、子どもの人権を守ることが明記された「こども基本法」が制定され、「次元の異なる少子化対策」が実行されようとしている。少なすぎると散々批判されてきた予算規模も3兆円半ばの「スウェーデン並み」になるという。
懸念を2点述べておこう。第1に、このままでは、格差・貧困を放置したままの、貧困対策なき少子化対策になりそうなことである。貧困対策として必要なのは経済的支援である。児童手当の拡充に加え、児童扶養手当の増額やさらなる奨学金制度の充実などが求められるだろう。
もうひとつは、こうした「少子化対策」重視の姿勢は、世代間不公平論と背中合わせであるかもしれないということだ。確かに日本は子ども・子育て世代への支出が少なく、社会保障は高齢者に偏っていた面はあるが、現在、後期高齢者医療制度の窓口負担割合が1割から2割に上げられ、介護保険も『史上最悪の介護保険改定?!』(上野千鶴子・樋口恵子編著、岩波ブックレット)ともいうべき状況に直面しているなど、「全世代型社会保障」という名のもとに、子ども以外の社会保障が後退していくことが危惧される。本当の意味で、すべての人々がカバーされる社会保障の実現に向けて、注視していきたい。