全国地方議員交流研修会で訴えたい 鈴木 宣弘

「食料安全保障推進法」に向けて

東京大学大学院教授 鈴木 宣弘

 現行基本法はGATTウルグアイ・ラウンド合意を「過剰優等生」的に受け入れ、「市場原理主義」に立脚して価格政策(政府買い入れ)などを廃止していく流れをつくった。
 その現行基本法の見直しを今やるということは、世界的な食料需給の悪化を踏まえ、「市場原理主義」の限界を認識し、肥料、飼料、燃料などの暴騰にもかかわらず農産物の販売価格は上がらず、農家は赤字にあえぎ、廃業が激増しているなかで、不測の事態にも国民の命を守れるように国内生産への支援を早急に強化し、食料自給率を高める抜本的な政策を打ち出すためだ、と誰もが(少なくとも筆者は)考えたが違っていた。


 驚くべことに、基本法の「中間とりまとめ」では食料自給率という言葉がなく、「基本計画」の項目で「指標の1つ」と位置付けを後退させ、食料自給率向上の抜本的な対策の強化などは言及されていない。何のための見直しなのか?

食料自給率の位置付けを逆に格下げ?

 「指標の1つ」となったことと、審議会関係者の次の発言(主要部分のみ)とは呼応する。①平時の安定供給は重要。安定的な供給が満たされているかどうかは、需要側の直面する環境によって異なるため、一般に安定供給は、需要側で定義されるべきもの。②これまで農業政策においては、自給率という供給側の目線から議論がなされていた〔…〕。③食料安全保障を、自給率という一つの指標で議論するのは、守るべき国益に対して十分な目配りがますますできなくなる可能性。④貧困率や年齢、あるいは地域における食料のアクセス性の違いなど、多面的な側面から議論する必要。
 この論旨は筆者には理解ができない。自給率は供給÷需要であり、供給側の目線であるというのも理解できない。なお、ここでも「平時の安定供給」とある。最近、「平時の食料安全保障」と「有事の食料安全保障」という分け方が強調されているが、分ける意味もよくわからない。以前は、「平時は輸入しておけばよい」という意味で「平時」を使う自由貿易論者もいたが、それも間違いである。「不測の事態でも国民の食料が確保できるように普段から食料自給率を維持することが食料安全保障」と考えると、分ける意味があるのだろうか。
 戦後の米国の占領政策により米国の余剰農産物の処分場として食料自給率を下げていくことを宿命づけられたわが国は、これまでも「基本計画」に基づき自給率目標を5年ごとに定めても、一度もその実現のための行程表も予算も付いたことがなかった。
 2006年に農林水産省は、食生活を和食中心にすることで食料自給率は63%まで上げられるとの試算も示しており、今後の行程表づくりや予算確保の一つの指針となると思われたが、そのレポートは今はネットなどで検索してもアクセスできなくなっている。
 今回の基本法の見直しでは、食料自給率の位置付けを、むしろ「格下げ」し、自給率低下を容認することを、今まで以上に明確にしたとも言える。
 さらに、生産資材の暴騰で倒産も相次ぐ日本の農業危機は深刻さを増しているのに、それを改善するための抜本的な対策が出されないまま、有事には、作目転換も含めて、農家に増産命令を発する法整備をする方向性が示された。現状の苦境を放置したら、日本農業の存続さえ危ぶまれているのに、どうして有事の強制的増産の話だけが先行するのか。
 さらには、防衛予算を大幅に増やして、敵基地攻撃能力を高めて攻めていくことも想定するかのような議論が先行する。まっとうな農業の危機を放置したまま、だから昆虫食や培養肉や人工卵を推進しようとするかの機運さえ醸成されつつある。まともな食料生産をつぶして、トマホークとコオロギで生き延びることができるのか。

早急に実現すべき政策

①食料安全保障確立基礎支払い

 この流れでは、危機的な食料安全保障の崩壊のリスクを軽減することは困難である。欧米諸国が維持している、穀物や酪農などの赤字(販売価格のコスト割れ)を政府が補塡する仕組みが今こそ不可欠である。
 これは、「戸別所得補償制度」のような農家を助けるだけの政策のイメージでなく、国民の命を守る「食料安全保障確立基礎支払い」(食料安全保障を憲法にも明確に位置付けたスイスが各種の農家への直接支払いを再編して、ベースになる「供給保障支払い」を手厚くしたのが参考になる)として位置付け、導入すべきである。
 例えば、現在、わが国においては、コメ1俵1・2万円と9千円との差額を主食米700万トンに補塡するのに3500億円(10a当たり収量を10俵とすると3万円/10a)、全酪農家に生乳kg当たり10円補塡する費用は750億円(1頭当たり乳量を1万kgとすると10万円/1頭)である。
 差額補塡制度は、モラルハザード(意図的な安売り)を招くから結局農家のプラスにならないとの指摘がなされてきた。だからこそ、10a当たりや1頭当たりの支給の形に変換すればよいのである。
 防衛費を5年で43兆円にしてトマホークなどを買うなら、食料にもっと財政出動することこそが安全保障ではないか。しかも、再生エネ電気買取制度による22年度の買取総額は4・2兆円にも上る。これによって日本は面積当たり太陽光導入容量が世界1位になっている。太陽光パネルには大きな問題も指摘されているが、ともかく、お金をかければ大きな成果が上げられることは証明されている。食料とエネルギーは安全保障の2本柱なのに、農水予算は総額でも2・3兆円しかないのは、再エネ予算に比しても格段に少なすぎる。
 国レベルでは、基本法の見直しと並行して、超党派の協同組合議員連盟(森山裕会長、山田敏男幹事長、小山展弘事務局長)などで「食料安全保障確立基礎支払い」を核にした「食料安全保障推進法」(仮称)(注)を議員立法で早急に制定し、財務省の農水予算枠の縛りを打破して、安全保障予算として数兆円規模の予算措置を農林水産業に発動するための法案化への準備が始まった。
 地域からのうねりも始動している。「広範な国民連合」農業部会は、「食料安全保障推進法」の制定などを目指す組織を検討している。山梨県では、県議会で「食料安全保障推進条例」を制定するための準備が超党派で進められている。こうした動きが全国に広がれば、国レベルの立法化への強力な後押しとなることが期待できる。

②在庫を政府が買い上げ、国内外の援助に回す出口対策

 米国も、カナダも、EUも、設定された最低限の価格(「融資単価」、「支持価格」、「介入価格」)で政府が乳製品を買い上げ、国内外の援助に回す仕組みを維持し、生乳需給の最終調整弁を政府の役割と位置付けている。
 つまり、直接支払いの補助金と支持価格での政府買い入れの二本立てである。しばしば、欧米は価格支持から直接支払いに転換したとされる(「価格支持→直接支払い」と表現される)が、実際には、「価格支持+直接支払い」の方が正確だ。
 つまり、価格支持政策と直接支払いとの併用によってそれぞれの利点を活用し、価格支持の水準を引き下げた分を、直接支払いに置き換えているのである。GATTウルグアイ・ラウンド合意を受けた現行基本法の下、価格支持(政府買い入れ)を廃止した「過剰優等生」は日本だけである。「価格支持+直接支払い」の欧米とは真逆に、日本は価格支持をほぼなくし、直接支払いも不十分、という「二重苦」にある。早急に①と②を導入しなくては、日本の将来は危うい。

(注)食料安全保障推進法(仮称)の骨子案

 ・食料安全保障の強化。食料自給率を高め輸入が途絶しても国内生産で国民に食料供給できる体制を確立。
 ・そのために、数兆円規模の農業振興予算を増額し、「食料安全保障確立基礎支払い」として、普段から、耕種作物には、農地10a当たり、畜産には、家畜単位当たりの基礎支払いを行う。ここには生産費上昇や価格低下による赤字幅に応じた伸縮メカニズムを組み込む。その上に減化学肥料・減化学農薬支払い、多面的機能支払い、中山間地支払いなどを加算。
 ・食料需給の最終調整弁は政府の役割とし、下限価格を下回った場合には、穀物や乳製品などの政府買い入れが発動され、国内外の人道支援物資として活用される仕組みを整備。
 ・小中高での子供たちへの食と農と農村の教育を必修にする。