心を大切に沖縄の未来切り開く
南城市議会議員 瑞慶覧 長風
若者の立場からということでごあいさついたします。私は6月までは29歳というのがいちばんの売りだったんですけれども、6月17日で30歳になりました。責任の大きい立場でまたしっかりと頑張っていきたいと思います。
先ほど平良ゆりなさんから沖縄の新しい平和運動のあり方、新しい平和集会のあり方ということをご説明いただきました。私もその中心に入って、若い皆さんとシニア世代とをつなげる調整役というような形で水面下で働かせていただいています。
実は私は24歳まで東京でプロキックボクサーをしておりました。父親が瑞慶覧長敏ですが、南城市長選挙に出馬することになって、そのときに私も沖縄に戻ってきて沖縄の政治に携わることになりました。そこで目の当たりにしたのは、選挙という闘いであったり、あるいは沖縄が琉球併合からずっと続く不条理の中で先人たちが闘いながら少しずつ沖縄の、ウチナーンチュの自由や権利を勝ち取ってきたりしたということでした。このような歴史に学んで、私もこの沖縄の力の一つになりたいとそういう思いで、リングを降りて政治の場で闘うことを決めて、いま活動させていただいております。
私は議員になってまだ1年もたってない、新米政治家の立場でひとことごあいさつしたいと思います。沖縄の不条理はまだまだ続いております。沖縄の象徴的なものが辺野古の問題でありますけれども、現在は中国脅威論があおられて琉球弧の島々が軍事要塞化されています。つまり自衛隊がどんどん入って、急速に強化されております。沖縄本島だけではなくて、宮古、石垣、与那国まで美しい島々が本当に軍事要塞の島に変貌しつつあります。
そこに私も危機感を覚えております。ひとつ例を挙げますと、与那国島は台湾と交流をしていこうという発展のための交流ビジョンもあったんですけれども、当時の外間町長はそれをホゴにして自衛隊誘致に踏み切ってしまった。そのときはすごく甘い考えだったと思うんですけれども、今その自衛隊が「飛躍」してミサイル基地にまでなった。「台湾有事」が叫ばれ、戦車が町の公道を堂々と走り、軍事演習も行われる。
与那国の住民がこの島に住めるのかという危機感をもつ状況にまでなってきてしまっています。つまり、経済の観点からも、交流をないがしろにして、「軍隊をもって経済発展なす」という、日本の非常に貧しい考えが現れているのではないかと思います。また日本全体で見ると今、軍事の武器輸出を成長産業にしていこうという思惑も見て取れます。そのような流れになってしまっては沖縄はまた再び捨て石にされる、利用される、戦場化してしまう。その危険性があると私は思っております。
ですが、照屋義実副知事が先般韓国の済州島に行って、県の地域外交をキックオフしました。かつての「万国津梁」という琉球の戦略も引き継ぎながら、沖縄という島が羽ばたいて、世界との交流をつなぎ、平和と安定を実現し、発展をしていくんだということで地域外交がスタートしました。今まさにそのようなことが大切だと思っております。そのなかでまた沖縄の経済発展だったりとそういうものも見えてくると、私は思っております。
実は私の母親が済州島の出身でありまして、私の半分は韓国の済州島の血が入っていて、半分は沖縄の南城市の血が入っております。ですから照屋副知事がキックオフとして済州島との縁を結んだことに対して、私もとてもうれしく思いますし、また自らもそういう役割を果たしていけるような、成長していくように頑張っていきたいなと思っております。
最後ですが、先ほど上里賢一先生から名護親方の話がありました。祖父が琉歌が大好きで、私もナゴユタカの琉歌で大切にしているものがあります。一つ紹介します。「雲や風頼て 天の果て行つい 人や肝しちど 浮世渡る」。これは雲は風の力を頼りにどこまでもいく、人は心の力を頼りに人生の道を歩んでいくものだという琉歌です。
私は政治家においても心がいちばん大事だと思いますし、琉球の時代からもいちばん大切なのは心だというふうに思っております。戦争も人災、人々が、政治家が起こしてしまうものなので、沖縄の若い政治家も絶対に戦争を起こさせない、そのような意識をしっかりもって、心を大切にこの沖縄の未来を切り開いていくことが大事だと思っています。
私も先輩方に見習いながら全身全霊で頑張ってまいりますので、どうか皆さん、ご指導よろしくお願いします。
(本稿は、6月22日那覇市での広範な国民連合交流会での発言を編集部の責任でまとめたもの)