COP26で感じた日欧の違い
Fridays for Future Osaka 小林 誠道
■プロフィル
1999年生まれ。関西大学大学院生、Fridays for Future Osakaユースコアメンバー。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、これまでに6つの評価報告書などにおいて、人為起源の温室効果ガス排出による地球温暖化、いわゆる気候変動問題に関して、科学的根拠をもとに警告を発信してきた。
世界が気候変動問題に対して具体的な気温上昇幅を定め、対策行動をとることを合意した「パリ協定」以降、対策強化を求める運動は多くの世代に広がった。なかでも、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの活動がきっかけで始まった「Fridays for Future(FFF)/未来のための金曜日」は、若者世代を中心に共感を広げ、地域名に「FFF」を冠した団体・活動を世界中に生み出した。私は、2019年からこの活動を大阪府で運営し、多様なアプローチで気候変動問題を「我が事」として考えてもらい、対策強化を促す活動を行っている。昨年は縁あってイギリス、グラスゴーで開催された第26回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)を訪問することができ、現地で開催された気候アクションにも参加した。今回は、日本で運営してきた気候市民運動と欧州での運動との違いを体感した経験と得た示唆をまとめる。
私が気候変動問題に関心を持ったのは、幼少期にさかのぼる。小学校で学んだ四大公害病などは、他の学習内容とは異なり現在進行形の問題で、「知識」であると同時に私たちに与えられた「課題」だと感じたことが、現在の活動につながる「きっかけ」になった。以降、地球の問題を自分事として考えて「少し環境意識の高いくらし」を続けていた。大学入学後、ある環境NGOにインターンシップに行った際、たまたま同時期にそのNGOに関わっていた学生と、京都で欧州と同じ気候アクションを行おうと計画した。その後、現在に至るまで活動を運営する立場として参加することになる。
日本では19年以降、欧州のFFFやグレタ・トゥーンベリの活動をまねる形でアクションが企画された。新型コロナウイルスの影響などにも対応しつつ、日本国内のFFFは「脱炭素」「気候正義(環境正義)」「社会システムの変革」を訴える運動として発展していく。しかしその一方で、参加人数が欧州と比べて圧倒的に少なく、また年齢層も多様ながらある種の偏りがある状況に私は違和感を持っていた。欧州では19年から一都市で数万人単位の運動を継続して行い、参加者はまちに暮らす若者から若年層の社会人に見えた。しかし日本は最大でも日本全体で5000人の動員、企画者は若者でも、参加する社会人層は高齢に偏っている場合もあった。こうした運動の広がりが鈍化するのを感じつつ、海外での社会運動をこの目で見て参考にしたいという思いが募っていた。
21年、活動の中で懇意にさせていただいている環境NGOより、COP26の参加枠を譲り受けることとなった。そこで、海外の運動の様子を見て、今後の活動の在り方を考えることを目的に、COPと会場周辺のアクションに参加することを決めた。11月上旬から中旬にかけ、現地でのアクションに参加したり、他の日本人参加者とアクションを開催したりした。
COPではアクションをコーディネートする団体があり、毎日何かしらの行動を計画している。COP26前半会期の金曜日、土曜日に現地で開催されたアクション(デモ活動)は2日間で18万人を動員。写真のように、幅10mほどの道路を何キロにもわたって人が埋め尽くしている状態だった。
初日はその熱量と迫力に圧倒され続けていたが、冷静に周囲を見渡すと、日本とは異なる「ムーブメント」としての在り方を知ることができた。
まず、参加者層はやはり若い世代が圧倒的に多い。初日は金曜日の昼にアクションが開催されていたが、現役で仕事をしていると考えられる人々の参加も多く見られた。学生だけ、もしくはリタイアした世代の人が多いという日本での「運動」の印象とは大きく異なる。そして、参加者共通の素地は「気候危機への対策を強化してほしい」という問題意識のみで、具体的な解決手法や参加者が大切にする価値観はバラバラと言っていいほど差があった。国内のFFFメンバーや活動に参加する層に話を聞けば、一様の答えが返ってくるような質問でも個々で考え方に違いがあると感じさせるような「多様性」がそこにはあった。
そして、価値観が違うからこそ参加者が声をそろえて叫ぶ言葉は「団結」「社会を変える」「市民には力がある」といった広い概念が多い(写真の横断幕には「団結した市民は決して負けない」とある)。参加者のスピーチも「気候変動問題は命にかかわる問題だから活動に取り組んでいる」というものが多く、脱炭素社会の実現や石炭火力の廃止といった「個別課題」が活動の軸になっている参加者はあまり見られなかった。
日本の「運動」は欧州と比較して規模が小さいと言われがちだが、その原因は扱う話題の広さにあるのではないか。エネルギー問題や政策にアプローチする国内の気候運動は、ある種、気候変動に関する「学習」が必須だ。そして、日本において「気候の危機」を感じるきっかけも、やはり自身にとって「学習したこと」である場合も多いのではないか(メディア発信が契機でも「学び」には変わりない)。つまり、気候運動に参加するために「勉強」が必須なのがいまの日本の運動だと言える。真に「ムーブメント」となるためには「学習せずとも参加できる」土壌も必要だと考えられる。
これは、単に参加難度が下がることを意味しない。より多くの人が「(直感的に)取り組まないと」と感じる訴えかけがなければ、「環境オタク」による独善的な運動で終わるのではないかという危惧も含む。街頭での活動をしない日本人の国民性を原因に挙げることは容易だが、運動の結果は政策など現実の取り組みで測られるべきであり、運動の参加人数は指標の一つでしかない。欧州のムーブメントのように、大きな目標の下の、小さな考え方の違いを包みこむ寛容さも持つ「うねり」をつくることが求められるのではないか。
「人々よ、団結せよ!」と叫び歩いたグラスゴーの熱気は、日本で再現できないかもしれない。しかし、日本には日本の「ムーブメント」があり得ると感じた。現地の活動を移植し、直訳した「運動」ではなく、より多くの人に共感と納得をもって、社会をより良い方向に変える「ムーブメント」を行う必要があると考える。
COP26参加以降、私はこれまで対話したことがなかった企業の中堅層の方々と頻繁に意見交換を行っている。意見や認識が違っても、それを超えて協働できる可能性を模索してきた。こうした輪を広げることに今後は注力していきたい。また、同時に気候変動問題は喫緊の課題であり、どのような社会変化をもって立ち向かうか、早急に決める必要がある。その国民的議論を喚起することにも挑戦したい。行動の先に変化を目指し、実現の形を模索し続け日本の「ムーブメント」を追求したい。