自衛隊築城基地(福岡県)
「沖縄の基地が武力攻撃で使用不能になった場合」
にと急ピッチで進む米軍基地化
平和といのちをみつめる会代表 渡辺 ひろ子
築城基地は、太平洋戦争中は海軍の航空隊の基地であり、戦後の一時期は米軍が駐留、その後、航空自衛隊基地になりました。戦時中は米軍の激しい攻撃で多大な被害を受け、戦後の米軍駐留時には米兵による犯罪の犠牲に泣いた人々も多くいます。
しかし、そういう体験をもつ人たちも高齢化し、「米軍は絶対にダメだ!」と語る老人もいなくなりました。
1988年に始まった築城基地での日米共同訓練はその後、「在日米軍再編に伴う訓練移転」という名に変わり、「沖縄の負担軽減のため」という大義名分を得て実施されています。
私たち「平和といのちをみつめる会」は86年に日米共同訓練実施計画が発表された直後に結成し、反戦・反基地の活動を続けてきました。89年4月2日に「築城基地へのF15配備反対・基地包囲人間の鎖」を2500人で行い、その「2日」を反基地行動の日に定めて、以来毎月2日に基地正門前で座り込みをしています。県内外のさまざまな問題に取り組む市民運動の人たちが「根っこは同じ」と参加してくれて、6月2日で397回目になりました。
さて、その築城基地ですが、現在、基地全体を工事車両が毎日走り回って、土ぼこりに包まれています。「在日米軍再編ロードマップ」なるものの中に、「緊急時の使用のための施設整備は普天間飛行場返還の前に必要に応じて行われる」の一文があります。それは米軍が築城基地をいつでも自由に使用できるための施設整備の一切を、米軍の要望の通りに日本の防衛費を使って行うということを意味していたのです。
今、基地内に米軍用宿舎(200人収容可能)、駐機場・燃料庫・弾薬庫などが建設中です。米軍の持つ最重量輸送機の離発着に耐えられるよう滑走路の補強工事も進んでいます。さらに、滑走路の延長(現2400mを2700mに)も予定されています。
防衛省は、「あくまで緊急時の使用であって米軍基地化ではない。緊急時とは、日本が他国の武力攻撃を受け、沖縄の基地が使用不能になった場合」と言い続けており、地元自治体もそれをオウム返しに繰り返します。しかし、米軍岩国基地指令官は「築城基地は岩国基地の第一代替基地である」と公言しており、実際に近年、岩国基地の米軍機が築城基地に「緊急着陸」する事例が頻繁に起きています。米軍が緊急と言えば何でも緊急なのです。
国や自治体が何と言おうが、今、築城基地は米軍基地化に向けて工事が急ピッチで進行しています。自治体は「これでまた多額の交付金が入る」と喜び、住民の多くは無関心もしくはあきらめを抱えて沈黙したままです。
米軍基地化反対を言う私たちの力は決して大きくはないけれど、「2の日座り込み」を中心にできるだけ多くの人と手をつなぎ、できることは何でもやるつもりです。「反対の声がゼロにならない」ことこそ今大事なのだと思うから。