不当極まりない東京高裁判決を糾弾する
群馬の森追悼碑裁判弁護団長 広範な国民連合代表世話人 角田 義一
二度と過ちを繰り返さない誓い
東京高等裁判所民事第10部高橋譲裁判長は8月26日、群馬の森追悼碑裁判で極めて不当な判決を下した。一審の前橋地裁は、群馬県の不許可処分を取り消す判決を下していた。ところが、東京高裁の高橋裁判長は原告の請求を棄却した逆転判決を下した。
まず追悼碑に刻まれた文章をご一読いただきたい。
「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先に大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する」
群馬県・議会も合意した「碑」建立
日中戦争開戦(1937年)頃から第二次世界大戦が終わる(1945年)までの間、群馬県内には中島飛行場地下建設工事をはじめ、利根郡の鉱山、吾妻郡の鉄道敷設工事など、数千人の朝鮮人労働者が強制連行で働かされ、過酷な労働条件を強いられ非業の死を遂げた人々も少なからずいた。その人たちを悼む追悼碑を建立しようという市民運動が盛り上がり、県内外1000人近くの人々から貴重な募金740万円ほどが集まり、2004年4月に群馬県立公園群馬の森の中に碑が建立された。
建立に至るまで市民団体は群馬県知事に要望書を提出し、県有地内に用地提供を求める請願書も提出、碑文の内容を含め、群馬県は中央官庁と連絡を取り、市民団体とも数度の協議を経て、「強制連行」という言葉は使わず、「労務動員」という言葉を使用し、碑文の成文を得ることになった。
当時の県議会はこの請願を受け入れ、県知事が最終的決断を下し、群馬の森の中に碑が建立されることが決定された。爾来、毎年碑の前で厳かに追悼式典が挙行された。
地裁は『県は裁量権逸脱』処分撤回
しかるに2012年頃から排外的な団体が「追悼碑は自虐に基づくもの」と称し、県や県議会に撤去を求める請願を提出し、若干の抗議行動などで警察沙汰になったこともある。
市民団体は、県の要望で碑の前での式典をやめ、別の場所で式典を行うなど、県の要望に協力する態度を示してきた。
10年の期限到来で、市民団体はさらに10年の更新を県に求めたところ、県側は更新を認めず、撤去を通知した。しかし市民団体はこれを認めず、あくまで存続を要求し交渉を進めてきた。私は、その交渉にあたった一人である。
しかるに県側はわれわれの要望を聞き入れず、撤去通知を発した。これに対し、われわれ市民団体側は、追悼碑が都市公園法の「都市公園の効用を全うするため当該都市公園に設けられる施設」(2条2項)に当たり、集会での発言により追悼碑の更新を認めないのは表現の自由を奪うものであり、憲法21条に反するなどとして、不許可処分の撤回を求めて前橋地裁に提訴した。
前橋地裁は2018年2月、県の不許可処分は裁量権逸脱で違法であるとし、撤去処分を取り消した。それに対し、県側は控訴し、控訴審での審議を経て今回の判決に至った。
『言論の自由』否定の憲法違反明白
しかし、高裁の今回の裁判長は一度だけ弁論更新しただけで審理には一切関わってはいない。
高橋裁判長は本判決を言い渡すためだけに着任したものと推定せざるを得ない。なぜなら、高橋裁判長は大阪高裁時代に、大阪地裁の「朝鮮学校の無償化対象外処分は違法である」との判決をひっくり返した、歴史修正主義の風潮に屈服するような判決を書いた人物であるからである。
東京高裁の判決文の内容の理由の中で、看過できない理由が述べられている。最大の理由のひとつは、追悼式において、主催者や来賓が「強制連行」という用語を使い発言したことにより式が政治的行事に該当すると認定し、よって設置した条件が政治的行事を行わないとなっていることに違反しているとした点である。二つ目は、主催者が3回の追悼式で「強制連行」やその趣旨が含まれる発言をしているといって、この政治的発言によって追悼碑が、政治的争点に係る一方の主義主張と密接に関係する存在と見られるようになり、中立的な性格を失うに至ったと決めつけた。三つ目は中立的な性格を失うとともに、政治的に争点に係る一方の主義主張と密接に関係する存在となり、追悼碑をめぐる街宣活動が活発化したことから、追悼碑が公園の効用を全うする機能を喪失し、公園施設に該当しなくなったと断定。かような恐るべき理由をつけて控訴を棄却したのである。
反論の論点はいくつかあるが、第一に憲法で保障された言論の自由を全く理解していない違憲判決である。追悼碑の前で主催者、来賓がいかなる発言をしようが規制すること自体憲法で保障されている言論の自由を認めないことになるのである。憲法で保障されている言論の自由を確立したい。
第二に、碑前で発言したことが政治的行為になるとするならば、発言者は事前に県当局の許可を得なければ発言できなくなるということになりかねない。これは憲法で禁止されている検閲に当たることになるので許されてよいはずがない。
第三に碑前でいかなる発言があろうとも碑は群馬の森の中に静かに横たわっている。碑そのものの価値は発言とは全く関係なく存続している。碑の存続自体は公園の効用を害するものではない。その碑を撤去するのは非常識である。
だから一審では県が更新を認めなかったことは裁量権を逸脱し、違法であると判断し、県の決定を認めなかった常識ある判断である。高裁判決は世間の常識を全く無視し、独特の理由付けによる歴史修正主義に屈服する論理展開をするものである。
最高裁での闘いに全国から支援を
われわれは最高裁に対する上告理由書の中で高裁判決を完膚なきまでに論破するつもりである。この追悼碑を守る裁判の本来の目的は歴史修正主義との闘いである。
今、中学校の教科書から「強制連行」の言葉を抹殺しようという文科省の考えがある。侵略戦争、植民地支配の事実を抹殺する企みは多くの国民の反撃を受けることであろう。
最高裁での闘いは、その闘いの一環として位置づけられるものである。
高裁の判決に対して多くの市民からさまざまな声が寄せられております。その声を結集して最高裁で闘い抜く所存でありますので、よろしくお願い申し上げます。