カギは経済構造転換――核は農林漁業
東京大学 鈴木 宣弘
「Go To トラベル」事業の議論の根本的誤りは、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如していることである。「Go To トラベル」は都市部の3密構造をそのままにして、感染を全国に広げて帰ってくるだけで、都市部の3密構造を転換するという視点がない。
危うい観光・外国頼み
「Go To トラベル」はあくまで観光であり、観光に依存した地域振興はそのままである。つまり、根本的には、都市人口集中という3密構造そのものを改め、地域を豊かにし、地域経済が観光や外需に過度に依存しないで地域の中で回る循環構造を強化する必要がある。
地域に働く場をつくり、生産したものを消費に結びつけて循環経済をつくるには、農林水産業が核になるはずである。農林水産業が元気で地域の環境や文化が守られなくては、観光も成り立たない。ましてや、政府が連呼する「輸出5兆円目標」が実現できるわけがない。足元を見ずに、観光だ、インバウンドだ、輸出だ、と騒ぐのは本末転倒だ。
ところが、大手人材派遣会社のT会長はK県で「なぜ、こんなところに人が住むのか。早く引っ越せ。こんなところに無理して住んで農業をするから行政もやらなければならない。これを非効率というのだ。原野に戻せ」と言い、至るところで、そうした発言を繰り返してきた。
コロナ・ショックは、この方向性=地域での暮らしを非効率として放棄し、東京や拠点都市に人口を集中させるのが効率的な社会のあり方として推進する方向性が間違っていたことを改めて認識させた。それなのに、T氏は新内閣の参謀として、さらに影響力を増しているのだから、国の政治に期待するのは無理がある。
中小農家や中小企業つぶしを許さない
農林漁業を核にした循環的な地域経済をつくるには、政府が何に力を入れていくべきかは明らかだ。ところが、家族農業を「淘汰」して、オトモダチの流通大手企業などが虫食い的に儲けられることを意図したような制度改革が推し進められてきた。
特に、中小農家については「つぶれても構わない」「むしろ農地が空けば大企業の農業参入に好都合」と考えてきたかのように思われる。結局は、政権を支えてくれる経済界のため、金儲けを手助けすることしか頭にないのではないか、と疑いたくなる。
そうした中小経営つぶしの方向性は、新政権でも、経済全体で強化されようとしている。T氏とともに2トップで新内閣の参謀となったA氏は中小企業の社長と名乗り、中小経営振興を名目に中小経営淘汰を図ろうとしている。A氏は、労働の買いたたき〈買い手寡占〉が問題と言いながら、その処方箋は大企業への一層の生産集中という、買いたたきが強化される真逆の方向性を主張している。完全な論理矛盾である。
こうした中、地域の実態は厳しさを増している。表1の事例のように、地域の水田をみんなで守る集落営農組織ができていても、平均年齢は70歳前後になり、基幹的作業従事者の年収が200万円程度で後継者がおらず、年齢を+10すれば、10年後の崩壊リスクが高い集落が全国的に激増している。また、農家の1時間当たり所得は平均で961円だ(表2)。これで後継者を確保しろとは酷である。
表3のように、畜産でも、メガ・ギガファームといわれる超大規模経営はそれなりに増えているが、それ以外の廃業が増え、全体の平均規模は拡大しても、やめた農家の減産をカバーしきれず、総生産の減少と地域の限界集落化が止まらない段階に入っている。
飼料の海外依存度を考慮すると、牛肉(豚肉、鶏卵)の自給率は現状でも11%(6%、12%)、このままだと、2035年には2%(1%、2%)、種の海外依存度を考慮すると、野菜の自給率は現状でも8%、2035年には3%と、信じがたい低水準に陥る可能性さえある。さらに付け加えると、鶏のヒナはほぼ100%海外依存なので、それを考慮すると、実は鶏卵の自給率はすでに0%という深刻な事態なのである。
これでは地域コミュニティーが維持できるわけがないし、不測の事態に地域の住民や国民への量的・質的な食料安全保障の確保は到底できない。
予算が迂回して地域の現場に届かない
「Go To イート」や牛肉券も苦肉の策の一つだが、「Go To トラベル」事業と併せて、それらは農家や事業者の所得を直接支えるものではない。つまり、「Go To」事業のもう一つの問題は、経済を回して迂回的に支援する仕組みにある。今は経済は回さずに必要な人に直接所得補償をすべきだ。それが感染抑止になるし、必要な人に支援が届くまでの中間で予算が「雲散霧消」する構造を打破できる。
予算の「雲散霧消」は今に始まったことではない。例えば、2008年のエサ危機には、国は緊急予算を3000~4000億円手当てした。それを、そのまま緊急的な乳価補塡などに使えば、機動的に畜産・酪農所得を支えられたが、乳価補塡には100億程度しか使われなかった。大部分はどこへ行ったのか。なぜ、もっと直接的に農家の所得補塡ができないのかと、食料・農業・農村審議会の畜産部会や農畜産業振興機構の第三者委員会において疑問を呈したのは消費者側委員だった。生産者と消費者は運命共同体だ。今こそ、国の予算もシンプルで現場にダイレクトに届くように構造転換すべきときだ。
再生可能エネルギーを隠れみのにした農林漁業つぶしの排除
地域循環経済を確立するには、食料とともにエネルギーの確保が重要であり、再生可能エネルギーが鍵になる。ところが、今はそこに落とし穴がある。
環境に優しく、地域振興と地域のエネルギー自給に貢献し、農家収入の増加にもつながる再生可能エネルギーは推進されるべきである。ところが、それを大義名分にして、「今だけ、金だけ、自分だけ」のオトモダチ企業の儲けのために、農林漁業と地域・環境・国土を破壊する蛮行が横行しようとしている。
まず、儲けさせたいオトモダチ企業がいて、再生可能エネルギー振興などを大義名分にして、既存の農林漁家が守ってきた資源を取り上げて乱用できるような法改正を規制緩和の名目で進めようとしている構造があることを見抜かなくてはならない。
そもそも、種子法の廃止、農業競争力強化支援法、種苗法改定、漁業法改定、森林の2法などの一連の政策変更の一貫した理念は、間違いなく、「公共政策や共助組織によって維持されてきた農林漁家の営みから企業が自由に利益を追求できる環境に変えること」である。
木質バイオマス発電をして儲けたいオトモダチ企業のために、憲法違反との内閣法制局の制止も聞かずに、人の山、国の山を勝手に伐って利益は自分のものにして、植林もしなくていい(植林は森林環境税で負担する)ような法の制定・改定が強行された。
銚子沖で洋上風力をして儲けたいと言う同じオトモダチ企業のために、海の資源を守ってきた漁家の財産権(漁業権)を強制的に補償もせずに取り上げて、営利企業に付け替えることができるとする、これまた憲法違反の法改悪が行われた。
これらの再生可能エネルギー振興の実態は、「今だけ、金だけ、自分だけ」のオトモダチ企業の儲けを増やすための制度変更なのであり、再生エネルギーという資源・環境に優しいはずの事業でありながら、目先の自己利益追求に走り、資源・環境の破壊につながりかねない。これでは本末転倒である。もちろん、農業生産と両立させる形で農家の副収入の増加につながるケースもある(本来はそうあるべき)ことは認めるが、それをカムフラージュ的に使い、農林漁家から資源利用の権利を剝奪するなら、農林漁家の利益の増加になるわけがない。
「国家私物化特区」でH県Y市の農地を買収したのも同じ企業だが、今度は、企業の農地取得を全国で全面的に認める全面展開を国家戦略特区諮問会議のT氏が要請している。T氏はY市の農地取得に関わった企業の社外取締役である。これを「利益相反」という。露骨な利益相反は慎むべきと筆者が某紙にコメントしたら、「よく言ってくれた。しかし体は大事にした方がいい」という心遣いの電話が立派な方から夜中にあった。
企業の農地取得と農業委員会の任命制は関連している。そうした企業の関係者が全国市町村の儲けられそうなところを選んで農業委員になることを模索しているという。農業委員会は農地転用許可の権限を持っているから、取得して転用して、環境に優しい利用の名目で再生可能エネルギー事業で環境を破壊しつつ、儲けられる間だけの「食い逃げ」的な事業が展開される可能性がある。
「攻めの農業・林業・漁業」の本質は、既存の農林漁家を農地・山・海から引き剝がし、ビジネスとお金を奪い、特定のオトモダチ企業が儲けの道具にするだけだから、仮に、少数の「今だけ、金だけ、自分だけ」の企業が短期的に利益を増やしても、地域も、国民も、資源・環境も、国土も疲弊し、社会は持続できなくなる。これ以上は許容できない。
現場が創る循環経済
われわれは、このような「今だけ、金だけ、自分だけ」の企業による地域の私物化に対抗して、地域に住む人々による地域に住む人々のための真の意味での循環経済を実現しなくてはならない。
安さに飛びついてしまう消費者は考えてもらいたい。本当に「安い」のは、身近で地域の暮らしを支える多様な経営が供給してくれる安全安心な食材だ。国産=安全ではない。例えば、加工型畜産の大型経営だけが伸びても、「3密」のリスクも高くなり、鶏インフルエンザ、豚熱などの蔓延につながりやすい。メガ・ギガファームだけが残っても、地域を支える多様な経営が消えていけば、コミュニティーを維持することも地域住民への食料供給も維持できない。
本当に持続できるのは、人にも牛(豚、鶏)にも環境にも種にも優しい、無理をしない農業、自然の摂理に最大限に従う農業だ。経営効率が低いかのように言われるのは間違いだ。最大の能力は酷使でなく優しさが引き出す。人、生きもの、環境に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高い。不耕起栽培や放牧によるCO2貯溜なども含め、環境への貢献は社会全体の利益だ。
食料については、種苗法の改定で、懸念される事態が完結してしまった。国・県によるコメなどの種子の開発・提供事業をやめさせ(種子法廃止)、その公共種子の知見を海外も含む民間企業に譲渡せよと命じ(農業競争力強化支援法)、ついに、企業が取得した種を買わせるために農家の自家増殖を制限した(種苗法改定)。産地品種銘柄を廃止し、コメの検査を緩和して企業主導のコメ流通を容易にする農産物検査法の改定も加わった。これらがどういう事態を招くか。
食料は命の源であり、その源は種である。種を握ったグローバル種子・農薬企業が種と農薬をセットで買わせ、できた生産物も全量買い取り、販売ルートは確保するという形で、農家を囲い込んでいくことが懸念される。これは農家のみならず、地域の食料生産・流通・消費が巨大企業の支配下におかれることを意味する。農家は買いたたかれ、消費者は高く買わされ、地域の伝統的な種が衰退し、種の多様性も伝統的食文化も壊され、災害にも弱くなる。わが国では表示もなしで野放しにされたゲノム編集も進行することは間違いなく、食の安全もさらに脅かされる。
われわれは、各地域の自分たちの力で、このような流れを食い止める必要がある。食料の源となる種から始める必要がある。地域で育んできた大事な種を守り、改良し、育て、その産物を活用し、地域の安全・安心な食と食文化を守る。育種しても利益にならないならやる人がいなくなる。しかし、農家の負担増大は避けたい。そこで、公共の出番である。育種の努力が阻害されないように、よい育種が進めば、それを公共的に支援して、地域の育種家の利益も確保し、使う農家も自家採種が続けられるよう、育種の努力と使う農家の双方を公共政策が支える。
この取り組みの具体型のヒントは、川田龍平議員グループが提案しているローカルフード保全条例と、その実施のための予算を提供する国レベルのローカルフード保全法の検討に見いだされる。地域の多様な種を守り、活用し、循環させ、食文化の維持と食料の安全保障につなげるために、シードバンク、参加型認証システム、有機給食などの種の保存・利用活動を支え、育種家・種採り農家・栽培農家・消費者が共に繁栄できる地域の構成員の連帯と公共的支援の枠組みができないだろうか。生産から消費までのトレーサビリティーを確立すれば、表示ができなくてもゲノム編集食品などの不安な食品を地域社会から排除できる。
協同組合・共助組織、市民運動と自治体の政治・行政が核となって、各地の生産者、労働者、医療関係者、大学関係者、関連産業、消費者を一体的に結集して、地域を食いものにしようとする人たちをはね返し、安全・安心な食とエネルギーと健康な暮らしを守る市民ネットワークを強化し、徹底的に支え合えば、未来は開ける。改悪された国の法律に対しては、それを覆す県や市町村の条例の制定で現場の人々を守ることができる。今こそ、それぞれの立場から行動を起こそうではないか。
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[…] 「飢餓の危機は日本人には関係ない」は誤っている。2035年時点で、日本は飢餓に直面する薄氷の上にいる(詳細は本誌4月号、鈴木論文)。世界も同様である。 「Go To トラベル」事業の議論の根本的誤りは、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如していることである。都市人口集中という3密構造そのものを改め、地域を豊かにし、農林漁業を核に地域経済の循環構造を確立する必要がある(詳細は本誌2月号、鈴木論文)。 […]