第2次アジアの平和と未来をひらく若者訪中団に参加して

「国辱を忘れず、平和を大切にする」に考える

東京女子大学3年 梶原 光

 

 今回の訪中を通して、中国の姿が日本で十分に、あるいは正確に伝えられていないことを悔しく感じる場面が何度もあった。現在も、例えば「中国人と比べて日本人は差別されにくい」といった、日本人礼賛の動画が高い再生数を集めている。なぜ日本人は、そのような語りを求めるのだろうか。今回の訪中を通して、私はその背景の一つに、日本人が自国の加害の歴史を十分に知らないことがあるのではないかと考えるようになった。
 撫順平頂山惨案記念館は、私に日本の「侵略」を強く意識させた場所だった。展示を通して虐殺の事実に向き合うと、日本が中国に対して行った侵略と、その中で生じた被害について考えざるを得なかった。これを知ったうえで、なお「日本人はすごい」と無条件に語ることができるのだろうか。
 また、特に印象に残ったのが、「国辱を忘れず、平和を大切にする」という言葉である。この言葉を見たとき、私は「なぜ、侵略された側が『恥』としなければならないのだろうか」と考えた。もちろん、ここでいう「国辱」が被害を受けた側の歴史的記憶としてどのような意味を持つのかを、私自身がさらに学ぶ必要がある。しかし、それでも私は、「恥」と向き合うべきなのは、侵略された側だけなのだろうか。むしろ、侵略した側である日本こそ、自らが何をしたのかを知り、その歴史を恥じ、記憶する必要があるのではないだろうか。

日中間に立ちはだかる壁

 日本の戦争の始まりは真珠湾攻撃、と繰り返し学んできた私は、日中関係が平和を考えるうえでどれほど重要であるのか、全く気づいていなかった。今回の訪中を通して、私は改めて、日本で加害の歴史を学ぶことの難しさを感じた。歴史教科書で扱われる内容だけでなく、日本国内で加害の歴史を伝える場がほとんどないことを考えると、日本人が加害の歴史を知ることは極めて困難である。
 九・一八歴史博物館には、子どもから大人まで多くの中国人が訪れていた。中国では日本の侵略の歴史がさまざまな場所で語られ、学ばれているのに対し、日本人はそのことに気づいていない。加えて学んですらいない。この違いは、両国の歴史認識の隔たりを考えるうえで、無視できないものだと感じた。

これからの日本に
必要なもの

 今回の訪中は、私にとって、中国に対して、そして歴史に対して、日本がどのような態度をとっているのかを知る旅であった。
 九・一八歴史博物館や中国人民抗日戦争記念館を訪れ、立派な建物や充実した展示、そして実際に多くの人が訪れている姿を目にした。私はそこから、中国では戦争の記憶が受け継がれていることを実感した。それは、単に過去の出来事を保存しているということではなく、世代が変わっても平和を守る上で重要だと思う。そして私は、「日本の平和は何を土台としているのだろうか」と改めて考えさせられた。
 私が加害の歴史を学ぶことの困難さを超えることができたのは、ひとえに今回、中国を訪れる機会をいただいたからである。だからこそ、今回の訪中という機会が持つ意味を大切にして、一歩ずつ進んでいきたい。