日中不再戦 ■ 国会前にて7月7日

 「わたしの戦後80年」リレートーク集会

植民地支配としっかり向き合おう

 日本が中国への侵略戦争を本格化するきっかけとなった「盧溝橋事件」は1937年7月7日に起こった。その日から88年たったこの日、国会議事堂正門前で「わたしの戦後80年」リレートーク集会が開かれた。日本青年団協議会やNGOピースボートなどが中心となった実行委員会主催。集会には約200人が参加し、同時にユーチューブで全国に発信された。

以下のURLから録画を見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=6d18ZHstVzM

 冒頭、実行委員会を代表して「広範な国民連合」の大島克彦氏があいさつを行った。大島氏は「ウクライナ戦争、ガザ、イランへのイスラエルとアメリカの不法な爆撃で、戦争が身近に感じられる。アジアにおいても台湾有事が煽られて軍備拡張、避難計画まで立てられている。戦後80年に際して、日本が過去に何をしてきたのか改めて認識し、アジア諸国と再び戦火を交えてはならない、どういう日本をつくるのか問い直し、新しい日本をつくる一歩にしよう」と呼びかけた。
 集会では国籍も年齢も違うさまざまな人びと16人が、「私の戦後80年宣言」を力強く発言した。そして石破首相に加害の歴史と向き合った「戦後80年首相談話」を発表するように求めた。発言の一部を紹介する。

「戦後」は新たな差別の
はじまり

 植民地支配の被害を受けてきた朝鮮や台湾出身の大学生からは、「戦後という言葉は日本人しか使わない。アジアの人びとにとってはちっとも戦後ではない」と、今も続く分断や差別が語られた。
 関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承などに取り組むuhiさんは、「私は在日朝鮮人3世です。私は戦後という言葉がずっと不思議でなりませんでした。1941年の太平洋戦争前を戦前と呼ぶことが理解できない。朝鮮の植民地支配から戦争だと思っていた。朝鮮や台湾に日本は武力で激しい弾圧を繰り返し、関東大震災では朝鮮人を大虐殺した。『戦後』は新たな差別のはじまりにすぎない。日本政府は植民地支配の謝罪をしていない。ヘイトは人を殺します。植民地主義は現在も継続しています」と訴えた。
 朴金優綺さん(在日本朝鮮人人権協会)は、「14歳のときチマ・チョゴリの制服で朝鮮学校に通学していたら、すごい形相でにらむ女性がいた。朝鮮人であることがもしかして悪いことなのかと思った。その後も『朝鮮人を東京湾に沈めるぞ』というヘイトスピーチに強い恐怖をおぼえ、日本社会への怒りと絶望を感じた。日本政府はヘイトを煽り、私たちの誇りを取り戻すための民族教育を迫害している。日本政府は責任があるはずだ。今も朝鮮民主主義人民共和国との国交もないし、植民地支配の謝罪もされていない異常な状態が続いている。日本政府が差別と迫害をやめ、在日朝鮮人のすべての権利を保障し、侵略、植民地支配、戦争に伴うすべての加害についての国際人権基準に沿った謝罪、賠償、真相究明、教育、再発防止などの措置を行うことを強く求めます」と日本政府の責任を問い質した。

戦争は被害も加害も生む残酷なもの

 祖父が「満州」移民事業に協力したくるみざわしんさん(劇作家)は、「日本は1932年に満州国をつくり開拓と称して農民を送り込み、中国農民の土地を略奪し侵略した。村長だった祖父は村から開拓団を送り出したが、敗戦直後に70人が集団自決に追い込まれた。それを知った祖父は責任を感じて自死したが、中国の人に対する謝罪はなかった。なぜ同じ農民として中国の農民を思いやれなかったのか。天皇を仰ぎ見る大日本帝国の一員だという考えが祖父を侵略者にして、植民地主義の甘い汁を吸っていた愚かさ。その危険が今また大きくなっている。ここから脱け出すために、言葉を使って、軍国主義、植民地主義の正体を明らかにし次の戦争を防ぐ。今日の試みもその一つ。私たちはリレートークを続けるしかない」と語った。
 また、沖縄出身の崎浜空音さん(大学生)は、「戦後って何ですか? うちなんちゅに戦後はあったんですか? 6・23慰霊の日の追悼式で『総理、沖縄を戦場にしないと約束しろ』と叫んだ人がいました。沖縄はもしかしたら戦前になる。日本は琉球王国を植民地にして基地を押し付けている。これを植民地主義じゃないと言えるのか。私の曽祖父は戦争中にヤギの餌をとりに行っただけで撃たれて亡くなった。祖父は日本兵として戦場に行った。戦争が被害も加害も生んでしまうことに残酷さを感じる。ベトナム戦争で沖縄は『悪魔の島』と呼ばれた。望んでもいない基地を押し付けられ、私たちは加害者にもなっている。『沖縄は平和だよ、もう戦後だよ。戦争の影は1ミリもないよ』と言える日を願って私は行動していきます。皆さんも行動を続けてください」と訴えた。

世界の植民地主義と闘おう

 畠山澄子さん(ピースボート)は「7月7日は2017年に核兵器禁止条約ができた日でもあります。世界では『核抑止』の声が大きくなっているが、これは恐怖の均衡。軍事力拡大はかつての日本が歩んだ道。アジアの人たちと共に未来を。となりの人とは対話を、となりの国とは外交を」と呼びかけた。
 被爆3世の植松青児さんは、「8・6と8・9をピンポイントで見るのをやめませんか。核兵器は手段であり、問題は無差別大量殺戮にある。そう見ることではじめて核兵器以外で多くの人を殺してきた日本軍と向き合うことができる」と提起した。
 集会ではパレスチナ人虐殺に抗議する若者たちも発言した。「ソムードの集い」メンバーは「イスラエルは自国を守る権利を振りかざして侵略、ジェノサイドをやっている。かつての日本も同じように中国を侵略した。植民地主義は世界で続いている。公正な社会を求めて、それぞれの信じる方法で抵抗を続けていきましょう」と訴えた。
 奥誠之さん(「Free Ryukyu Island」メンバー)は、「イスラエル兵士を見ていて、あれは以前の自分だと思った。人を殺す側、レイプする側。男性たちに自分の行動を見直そうと呼びかけたい。フェミニズムは人間にとって大事なこと。社会には有害な『男らしさ』があふれている。変わるべきは私たち男性だ」と呼びかけた。

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 この集会の呼びかけ文では「日本軍が侵略戦争を引き起こす原因となった植民地支配の歴史ともしっかり向き合う必要があります。清算されない植民地主義は、現在の在日コリアンへの差別や沖縄への基地押し付け、非人道的な入管体制などを生み出してきた。イスラエル軍によるパレスチナ人虐殺・民族浄化も、植民地主義の一環であることを私たちは忘れてはなりません」と指摘している。
 リレートークでは、対話を続け、過去を共有して記憶しておくことの大事さ、平和運動のあり方についても語られた。日本はアジアにおいては過去の植民地支配を清算することなく、戦後80年間アメリカの植民地支配下にある。未来に向けて「過ちは正さなければならない」との思いに満ちた集会となった。