日韓条約60年と植民地主義を問う
北東アジアの平和のために日韓の有志が集会
日韓条約締結(1965年6月22日、東京で調印)から60年に際して6月21日東京で、これからの日韓関係をつくるために条約の意味を再度問い直す集会が開かれた。主催は日本の日韓連帯運動、日朝友好運動を担ってきた十数団体による実行委員会で、広範な国民連合も第1回会議から出席している。
会場いっぱいの250人が参加した。韓国からは、正義記憶連帯、日帝強制動員市民の会、民族問題研究所、民主労総など13人がこの集会のために来日し、発言した。
日本側からも関東大震災虐殺、日朝国交正常化、在日社会への影響、朝鮮学校差別、日系進出企業などの問題について発言があった。いずれも日韓条約で問題を隠蔽され今日も解決していない問題である。
日韓条約の問題点は何か
太田修教授が講演
集会は太田・同志社大学教授の基調的講演から開始された。日韓条約は基本条約と4つの協定で構成されるが、太田教授は主に、その一つである「請求権協定」について話した。請求権とはいわゆる「慰安婦」、徴用工に対する未払い賃金など日本の植民地時代に与えた損害の賠償請求権である。
太田教授が第一に問題としたのは、「植民地支配・戦争責任を不問にした点」である。基本条約第2条で日本の朝鮮支配は「もはや無効である」として、日韓両政府がそれぞれ都合よく解釈する余地が残された。日本側が最後まで譲らなかった点である。日本政府はこうして、1948年の大韓民国樹立までは日本の朝鮮植民地支配、すなわち『韓国併合ニ関スル条約』(1910年)は「有効」だったとし、植民地支配・戦争責任を不問にする根拠としてきた。また植民地支配は朝鮮の近代化に貢献したという「近代化」論の温床ともなった。
二つ目の問題として、両国と国民の財産、権利および利益、請求権が「完全かつ最終的に解決」されたとし、しかも植民地支配の賠償を「経済協力」という形にすり替えたことである。これは英国、仏などの旧植民地への「独立+経済協力」と同じ意味を持っている。「経済協力」は(西側の)冷戦戦略、植民地支配処理の一環として推進され、戦争被害の責任追及・賠償は覆い隠された。
しかも現在の問題としても日本政府や加害企業が請求権協定で「解決済み」と主張している。
しかし、運動で条約を作り直すことは可能だ、今日の集会もその一環であると、この集会の意義を評価された。
若者たちの取り組みも
太田教授の講演を受けて、一橋大学の日本人院生、早稲田大学の韓国人院生、東京大学の在日二世院生の3人によるパネルディスカッションが行われた。
続けて川崎出身のラッパーFUNIさんが登場。在日の両親のもとに川崎で生まれ、いまパートナーは13歳の時から日本にいるフィリピン出身女性だという。
条約でゆがめられた課題
基本条約第3条で大韓民国政府が「朝鮮にある唯一の合法的な政府」であるとされ、朝鮮民主主義人民共和国は無視、敵視された。そうした中で今日の東アジア情勢が形成されている。民主労総からの参加者は次のように課題を語った。
「韓国と日本が米国の対中戦争基地であることは戦略配置を通して表れている。米国は中国を唯一の戦略脅威と規定し、台湾や朝鮮半島の有事の際に日米韓の同盟は朝鮮半島攻撃を容認するでしょう」
日韓の市民が北東アジアの平和のために先頭に立つことが共有された集会となった。