世界の歴史的な変化の中で

平和と繁栄へ東アジア共同体をめざす

元内閣総理大臣 鳩山 由紀夫

 鳩山由紀夫元内閣総理大臣は4月28日、香港大学The School of Governance and Policyの開設に際して最初の講演を行った。「世界が歴史的な変化を経験している今、この新しい組織が誕生した意義はいくら強調しても足りません」と話を始めている。本稿はその講演要旨である。(編集部)

世界秩序の危機

 81年前、第二次世界大戦が終わった。米ソ冷戦の下、国際連合、IMF、GATT(現在のWTO)等のさまざまな制度が構築された。1989年ごろに米ソ冷戦が終わると、米国の一極時代が来たと考えられた。当時、多くの人は、第二次世界大戦後の世界秩序、それに裏打ちされた平和と繁栄が永続するものと信じた。
 だが、世界秩序の性質は本来的に静的ではなく、動的なものだ。21世紀に入り、中国が急速に国力を増すと中米間でいわゆる「トゥキディデスの罠」が働くようになり、中米対立が激化し始めた。ロシアによるウクライナ侵攻もあり、西側では「権威主義国家陣営が既存の世界秩序に挑戦し、民主主義国家陣営がそれを守ろうとしている」というナラティブが広く語られるようになった。
 私に言わせれば、この単純な二分法は真実から程遠い。とは言え、米国、日本、欧州で多くの人々が世界秩序の動揺をいわゆる権威主義国家群と結び付けて理解していることは事実だ。
 正気に戻ろう。今日われわれが世界秩序について語る時、最も深刻な脅威は、トランプのアメリカだ。ハーバード大学のスティーヴン・ウォルト教授は現在の米国を「ならず者国家」と呼ぶが、私も同意せざるを得ない。トランプが世界秩序に甚大な打撃を与えた例は数えきれない。最近の、国際法違反のイラン攻撃を指摘すれば十分だろう。「法の支配」についてトランプは「私に国際法は必要ない」とうそぶく。
 米国は軍事的にも経済的にも世界最大のパワーを持っている。それが破壊的な方向に使われたら、世界秩序に与える打撃は計り知れない。トランプの任期はまだ2年半以上ある。
 さらに悪いことに、この「身勝手な米国」は「米国の分断」と「民主主義の変質」を背景にしている。そのため、トランプの後も米国は、程度の差はあっても世界秩序を壊し続ける可能性が高い。
 要するに、世界秩序は今、第二次世界大戦以降最大の危機を迎えているのだ。

東アジアの平和と安定を守れ

 われわれの住む東アジアも世界秩序の動揺から無縁ではいられない。最も直近の例では、米国とイスラエルがイランを攻撃してホルムズ海峡が事実上閉鎖されると、日本でもガソリンなどの値上がりと石油製品の供給不足で人々の暮らしは直撃を受けている。
 東アジアは中米対立の最前線と言われる。トランプ政権下では幾分トーンダウンしているが、「一つの中国」という大原則があるにもかかわらず、台湾問題は中米対立のシンボルであり続けている。大変残念なことだが、日本政府は近年、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と述べ、防衛力を質量ともに急速に増強している。後にも触れるように、高市早苗総理は台湾をめぐって日中が戦う可能性に言及した。この地域の安定と繁栄の礎であった従来の約束事が曖昧になりつつあることは、大きな懸念事項である。
 だが、にもかかわらず、冷静に観察すれば、東アジアの秩序はまだ保たれていると言うこともできる。ミャンマーの内戦やタイ・カンボジアの国境紛争はあるものの、中東や東ヨーロッパで見られるような大規模な高烈度紛争は起きていない。実際問題としては、台湾をめぐって武力紛争が起きる可能性は極めて低い。個人的にはゼロに近いと思う。この地域では2020年にRCEPという広域の自由貿易協定が締結され、米国のように関税を一方的に引き上げる国は存在しない。何よりも、中国はロシアでも米国でもない。そのことが東アジアの秩序を崩壊から救っていることは間違いない。
 もちろん、安心はできない。世界秩序に生じた大きなひび割れが東アジアに極力及ばないようにするためには、われわれの不断の努力が必要だ。でき得れば、われわれは東アジアの秩序を守ることを通じて世界秩序の崩壊を食い止めるべきである。その鍵を握っているのは、日本と中国だ。両国には、東アジアの平和と安定を守る責務がある。私の講演では、この視点から日中関係の展望を述べる。

日中関係の回顧

 私が初めて国会議員になったのは1986年である。当時日本は堂々たる経済大国だった。日本国民の大多数は日中友好を正しい道と信じて疑わなかった。戦後50年に当たる1995年には村山総理が談話を発表し、日本が過去に行った侵略と植民地支配に反省と謝罪の意を表明した。
 思えば、日本は経済強国であるがゆえに謙虚になる余裕があった。その後、中国の驚異的な発展と日本の長期的停滞が重なり、日中の力関係は劇的に変わった。中国のGDPは2010年に日本のそれを逆転し、あっという間に差を広げた。2025年には格差が4~5倍になったと思われる。
 先ほど、米中間に「トゥキディデスの罠」が働いていると述べたが、それと似た力学は日中間にも作用してきた。そう考えない限り、日本国内における中国脅威論の蔓延ぶりは説明がつかない。誤解のないように言っておくが、日本が中国とのパワーバランス上不利な位置に立たされたからと言って、過去の歴史に目を背けたり、必要以上に中国を脅威とみなしたりすることが正当化されるわけではない。
 日中間に働く「疑似トゥキディデスの罠」によって、日中の政治関係は浮き沈みを繰り返しながら趨勢的には緊張を増すようになった。2010年代前半に大きく落ち込んだ後、安倍晋三政権の後期には小康状態を取り戻す。その後、岸田文雄政権下で再び悪化したが、24年10月に発足した石破茂政権の下で日中関係がかなり改善したことを皆さんも覚えているだろう。
 だが石破は去り、昨年10月、右翼的保守主義を売り物にし、親台湾で知られる高市早苗氏が総理に就任した。ほどなく彼女は「台湾有事は存立危機事態になりえる」と国会で述べた。この発言は、台湾有事に米国が軍事介入した場合、日本が米国と共に中国と戦う可能性を示唆したものと解釈されても仕方がない。日本政府はその解釈を否定しているが、米国家情報長官室が発表した報告書も、高市総理の発言は「日本の現職首相としては重大な方針転換を意味する」と指摘している。台湾の独立派はこれに驚喜した一方で、日中関係は一気に冷却化した。
 高市総理は一度発した言葉を取り消すことは弱さを見せることだと考え、意地でも発言を取り消さない。しかも、今年2月に行われた総選挙で自民党は圧勝し、彼女は自らの強硬路線にますます自信を深めている。支持率もとても高い水準を維持している。
 一方で、台湾問題は中国の死活的な原則に関わる問題であり、中国側は高市総理の見解を無視できない。かくして、日中関係は袋小路に入ったまま打開の兆しも見えないのが現状である。

日中関係の展望
  ~ 二つのシナリオ

 これから日中関係はどうなるか? 日中関係は今日、岐路に立っている。
 一つの道は、近年の緊張関係の延長線上を進むもの。日本は中米対立や台湾情勢を利用し、米国の力を利用して中国を抑えつけようとする。この道は最悪の場合、衝突コースとなり得る。
 もう一つの道は、日中が米国の横暴をとどめることに共通利益を見いだし、二国間関係の制御に取り組むもの。高市内閣は現在、トランプ政権に擦り寄ることにより、日本が米国のイジメに遭わないことを最優先の方針としている。だが、トランプの米国に擦り寄ることは、あまりにもコストパフォーマンスが悪い。
 私は、日中は第2の道を進むべきだと主張する。

トランプの米国を制御する

 カナダのカーニー首相は、今年1月のダボス会議で重要な演説を行った。カナダがトランプ大統領から「51番目の州になるべきだ」と侮辱され、恣意的な関税引き上げに直面したことは周知の事実だ。そこでカーニー首相が提唱したのが、中堅国連合である。彼の戦略眼は敬服に値する。彼は中堅国という言葉を強調したが、彼のしたたかなところは、カナダがG7という西側クラブの一員でありながら、価値観を超えた連携をひそかに進めようとしていることだ。
 カーニー首相は1月16日に北京で習近平主席と会談し、新たな戦略的パートナーシップを締結した。
 私は、日本と中国は共同して「身勝手な米国」に向き合い、世界秩序の崩壊を食い止めるべきだと主張したい。その際、さまざまな同志国とイシューごとに連合を拡大すれば、米国に対する交渉力は増す。
 想像してみよう。日中韓がASEAN諸国と共に緊急会議を開き、米国とイスラエルに対し、イラン攻撃の即時停止を求める共同声明を採択することを。米国もイスラエルも耳を貸さないかもしれない。だが、両国に大きな圧力となり、両国が事態をエスカレートさせにくくなることは確かである。一国ではできないこと、効果がないことも、声を合わせれば、できるようになる。
 われわれは米国と同じ道を行く愚を犯してはならない。今は踏みとどまるべき時だ。踏みとどまることは何もしないことではない。米国が引き起こしている濁流に錨を投げ込まなければならない。そのために、われわれは団結する必要がある。価値観の違いにこだわって分断を許すなど、とんでもないことだ。
 米国政府は今年1月に気候変動に関するパリ協定から正式に離脱した。それは2度目だ。だが、われわれにとって温暖化と闘うレジームを維持・強化することは死活的に重要だ。
 米国が自由貿易に背を向けても、われわれは共に自由貿易体制を守る。日中はRCEPの拡大・深化を進めるべきだ。

高市発言の始末

 日中が第2の道を進むためには、日中関係の「第2の正常化」が必要になる。喫緊の課題としては、台湾にまつわる高市総理の存立危機事態発言を処理しなければならない。本来なら、彼女は自らの言葉を取り消すべきだ。彼女がそうすれば、私は高市総理に称賛を惜しまないだろう。だが残念なことに、その可能性は極めて低い。日本政府はせめて「台湾の独立を支持しない」ことを明確に再確認すべきだ。
 私の知る限り、日本政府は2005年ごろまでは「台湾独立を支持しない」と国会で答弁していたが、最近はより曖昧な言い方にとどめている。日本政府は今年の年末にも改定する予定の国家安全保障戦略に「台湾独立を支持しない」と明記したらよい。それも難しいと言うのなら、「日中共同声明第三項の立場を堅持している」という表現も選択肢になるかもしれない。
 現行の国家安全保障戦略の記述は「台湾との関係については、1972年の日中共同声明を踏まえ、非政府間の実務関係として維持してきており、台湾に関する基本的な立場に変更はない」となっている。共同声明第三項はポツダム宣言第八項に言及しており、台湾の独立不支持につながるロジックを含んでいる。それで中国が矛を収めるかはわからない。だが、こうしたことを含め、セカンドトラックを含め、水面下で日中関係改善に向けた協議が行われることを望みたい。

民間交流の促進

 日中関係においては、先に見たような政治関係の上下動は今後も繰り返されるであろう。だが、両国関係を語る時、政府間関係にのみ注意を払うと大局を見誤る。
 例えば、日本政府は4月10日に公表した外交青書で、中国について「最も重要な二国間関係」から「重要な隣国」へ表現を後退させた。驚くべき外交センスの欠如である。
 しかし、日本国民も日中関係を格下げしてよいと思っているだろうか? 昨年9月に内閣府が実施した世論調査では、「今後の日本と中国との関係の発展は、両国やアジア及び太平洋地域にとって重要だと思う」人の割合は7割を超えた。40歳未満では約8割だった。大多数の日本国民は、対中外交でバランス感覚を失っていないのである。
 目先の政治関係がどうであれ、日中は民間交流を促進すべきだ。それが政治関係の雪解けをもたらすとは限らない。だが、民間交流が細れば、政治関係が将来改善する可能性は確実に失われる。現在、中国政府は日本渡航自粛要請を実施していて、訪日中国人数は前年同月比で約半分となり、民間交流を減らすデメリットは大きい。この政策は適切なタイミングで見直した方がよい。
 意外に聞こえるかもしれないが、日中は経済安全保障でも協力できる。イスラエル=ハマス戦争に伴い、欧州への輸出は紅海・スエズ運河ルートから喜望峰経由へ移行し、日数と運賃が上がった。さらに今回イラン戦争が起き、ホルムズ海峡が事実上閉鎖された。原油については約8カ月分の備蓄があったが、日本の自動車メーカーは中東向け輸出の停止または減産を余儀なくされている。日本企業は「中欧班列」と呼ばれる陸上ルートにもっと目を向けるべきだ。中欧班列をトルコやサウジに延伸するプロジェクトを日中が協力して進めることも検討されてよい。実現すれば、日中協力が日本の国益になるという証拠となる。

中国が気をつけるべきこと

 日中関係を改善するうえで、最も重要なことの一つは、相手国に対する相互の国民感情を改善することだ。先に述べたとおり、日中間には「疑似トゥキディデスの罠」が作用している。そこから脱するためには、日本側だけではなく、中国側にも細心の注意と熟練を発揮することが求められる。例えば、中国政府は日本へのメッセージ発信を十分に計算しながら行うべきだ。
 最近の例で言えば、日本の憲法改正を中国政府が批判するのは、まったく逆効果である。中国側は右翼的な政治家・政党を批判しているつもりでも、それを聞いた日本国民は「中国は他国の憲法問題にまで内政干渉する恐ろしい国だ」と思う。右翼的な政治家はその国民感情を利用して強硬な対中政策と防衛力の増強を売り込む。もちろん、これを中国側にだけ要求するのはフェアではない。日本政府も同様の姿勢を見せるべきことは当然だ。
 だが、往々にして、パワーバランスで追い越した側は、追い越された側の不安に気づかない。だから敢えて、この席で述べるのである。

結語

 最後に、私が生涯をかけた夢を紹介したい。それは、日中および日中韓の協力を進め、協議の場を常設化することの先に東アジア共同体を創設することだ。
 現在の激動する世界情勢を考えれば、今日私が述べたことは、皆さんの耳には理想論に響いたかもしれない。最後に、汎ヨーロッパ主義を提唱し、のちの欧州統合運動の先駆者となったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が述べた言葉を贈ります。「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった。一つの考えがユートピアにとどまるか、現実になるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」

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