この国はどこに行きたいのか?
怒りをパワーに変える時
お茶の水女子大学大学院生 唐井 梓さん

私は若い世代として、大学院生、市民としての問題意識をここに共有し、皆さんと連帯していく可能性について述べたいと思います。
私は現状に大変うんざりしています。自分たちの生活もままならない中で、ただただ戦争に向かっていこうとする政府。それを疑問視できず、自分たちの国が向かっている方向に、市民一人一人が自分事として向かえない構造的な問題に頭を抱えています。
しかし、それを後ろ向きの怒りではなく、前向きなパワーとするために、日々自分のできることを行っています。10月末には友人と国会議員会館に足を運びました。そこでは「なかったことにしないで」をスローガンに、米兵による性暴力を課題化する院内集会が行われていました。
私はそこで米兵という主語に違和感を覚えました。その暴力の構造的な背景には本土の責任があるからです。基地の7割を沖縄に背負わせ、日米従属関係を維持する政府の方針、脆弱な立場に置かれる女性や子どもたち、沖縄に住んでいる市民を置き去りにするその姿勢に、私は大きな怒りを覚えています。
私は学ぶ自由のために、フェミニストとして、そして知的労働を担う労働者たる研究者として声を上げています。このようなジェンダー・セクシュアリティーの観点からも、与党・野党にかかわらず、現在の政府や国政政党における労働者への眼差しは看過できるものではありません。この国はどこに行きたいのか。そういう長期的な視野が欠けた現状に、私はほとほとうんざりしています。
構造的問題は根深いです。私は、若い世代による高市氏支持について考え続けてきました。「強い日本に」など、わかりやすい言葉で紡がれる高市氏のメッセージは確かに不安や閉塞感を抱える人々に響きやすいものです。しかし、誰に対して強くあり、誰を守ろうとしているのか。その強さが排外言説や軍拡、侵略の歴史の否定に向かうのであれば、それは真の強さではなく暴力です。
うんざりしていても、前に進んでいかなければなりません。現状の酷さを呪っている場合ではなく、怒りをパワーに変える時です。私自身、昨年の訪中経験を通じて、侵略の歴史を学び、中国の人々、そして別の場所に住んでいる日本の若者たちと対話する機会がありました。そこで感じたのは、メディアが描くイメージとは全くかけ離れた、同じように未来を考え、平和を願う人々たちの姿でした。
政府とは異なるアプローチを市民が作り上げること、それこそが今求められていると感じます。植民地支配の歴史と責任、人権、自決権の尊重を認識した上で、二度と同じ過ちを繰り返さない。その決意を市民レベルで示していくこと。それが政府の外交姿勢を変えるための圧力となり、東アジアにおける信頼醸成の土壌となると考えています。
軍事同盟に頼らない安全保障の在り方を模索すること。それは決して非現実的な理想論ではなく、東アジアの歴史的和解と信頼醸成を通じて実現可能な道です。私たち若い世代がこの課題に正面から向き合い、対話と連帯を通じて新しい未来を切り開いていく責任があります。
歴史を学び直し、対話の場を広げていくこと。それが排外言説に抗い、真の意味での東アジアの平和と連帯を築くために日本の市民が担わなければならないものです。
引き続き、皆さんと共に立ち向かっていきたいと思います。日本の植民地主義、帝国主義の暴力は終わっていません。
