元福島県農協中央会会長 菅野 孝志

はじめに――「熊」に象徴される社会の後退
「熊」という一字に象徴される2025年であった。ニュースで繰り返し報じられる、市街地を含む人里への熊の出没は、多くの人に不安と違和感を抱かせたに違いない。マクロ的には「美しい日本」が語られる一方で、こうした風景は単なる自然環境の変化として片付けることができるだろうか。
その背景には、人の営みが農村から後退し、かつて耕され、手入れされてきた農地や集落が放置されてきた現実がある。セイダカアワダチソウやクズが広がる光景は、自然回帰というよりも、人が関わらなくなった結果としての荒廃である。
「人間と野生動物の共生」という言葉は耳に心地よい。しかしその陰で、人の生活圏は静かに縮小し、社会的秩序の後退が進んでいるのではないか。農の衰退は、単なる一産業の問題ではない。それは、私たちの社会そのものの持続性が問われ始めている兆しなのである。
環境変化と食料安全保障――国家責任の希薄化
ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく4年を迎える。戦争は、穀物・肥料・エネルギーの国際流通を一気に不安定化させ、食料が市場原理のみに委ねられる商品ではなく、国家の存立を左右する戦略物資であることを世界に突きつけた。
しかし日本社会には、依然として「食料は買えばよい」という発想が根強く残っている。米価高騰局面において、経済活動を理由とした民間輸入の拡大が進んだが、本来、国民の食料を適正価格で安定的に確保・供給する責任は国家が負うべきである。政策対応は結果として後手に回ったと言わざるを得ない。
こうした反省のもとで位置づけられるべきが、新たな「食料・農業・農村基本法」である。しかし、国民意識と行政の政策思考との間には乖離が存在する。第30回JA全国大会が掲げた「皆で支え合う日本の農業(食・いのち)」というメッセージは、農業を一部の担い手の問題から国民全体の責任へと引き上げる視点を示した点で重要である。
食料自給率は国家の意思である
1961年の農業基本法制定当時、日本の食料自給率は78%であった。それが2021年には38%まで低下している。60年をかけて自給力が半減した背景には、加工貿易立国を志向し、農業よりも工業を優先してきた政策選択の積み重ねがある。
しかし、世界市場は常に安定しているわけではない。英国は1965年に45%であった自給率を、2015年には約70%まで回復させている。欧州諸国では、農地がどれだけ耕され、農村が維持されているかが国家の基礎体力を示すとの認識が共有されてきた。耕す若者の存在は、国防の指標でもある。
日本においても、離島地域におけるさとうきび栽培などの農業は、食料供給と領土保全が不可分であることを示す。食料自給率とは単なる数値ではなく、国家の意思の表れである。そう捉えるならば、現状は看過できない。
政府が掲げる2030年までの自給率45%の実現ですら、「儲かる農業」や「スマート農業」を掲げるだけでは不十分である。人が定着する農山漁村の暮らしを支える政策と、多様な担い手が尊重される制度設計が不可欠である。
農業・農村の危機と
国土の脆弱化
農業従事者の高齢化、担い手の減少、過疎化による限界集落の増加、荒廃農地の拡大は同時進行で農村を追い詰めている。農林水産省が示す荒廃農地約28万ヘクタールという数値は、氷山の一角に過ぎない。
中山間地域では、いったん荒廃が進めば再生には多大な資金と労力を要する。さらに、農地・集落の荒廃は豪雨や災害の激甚化を招き、国土全体の脆弱性を高めている。農業は、最も弱い部分によって全体が規定される産業であり、農村の維持は食料生産にとどまらず、防災・国土保全の観点からも社会全体の利益に直結している。
協同組合は社会の基盤となり得るか
2025年12月15日の国連総会本会議において、10年ごとに「国際協同組合年」を制定することが決定された背景には、協同組合が平和で調和ある社会経済発展を支える基盤であるという国際的合意がある。だが、この評価と日本国内での認識との間には温度差が存在している。
この構造的危機の中で、協同組合の役割が改めて問われている。協同組合は資本ではなく「人」を基軸とする組織である。協同組合教育の継続性は、技能習得にとどまらず、連帯と責任を理解する人間像を育てる基盤である。
出資・利用・運営(経営)という三位一体の原則が形骸化すれば、協同組合は力を失う。今こそこの原則を再生し、地域に根ざした主体形成を取り戻す必要がある。労働者協同組合法は、雇用される側から事業主体へと転換する可能性を示しており、農村再生の重要な手段となり得る。
米の価格と国家政策
米は日本の食料安全保障の象徴である。2024年6月末の民間在庫は153万トンと逼迫し、米需要見通しの誤算も重なって価格高騰を招いた。その一方で、経済活動を名目とした民間輸入が拡大した。
26年産主食用米の概算金が60㎏当たり3万円を超える状況は、主食用米、業務用米、飼料用米、加工用米、備蓄米といった用途全体のバランスを崩壊させた。長年、生産費を下回る米価に苦しんできた農業者が主食用米へと回帰することは理解されるべきである。
備蓄米については、現行の約1・5カ月分・100万トン規模から、約6カ月分・400万トン規模へと拡充し、国家責任として確保すべきである。主食用米価格は市場任せではなく、生産者価格と消費者価格を調整する国家政策として位置づけられるべきである。
展望――豊かさとは何か
本当の豊かさとは、数値で測られる成長だけではない。働く汗の実感と、その成果を分かち合う喜びであり、空・山・川・大地・耕された農地・海が相互に支え合いながら維持されてきた生活世界そのものである。
農業と農村は、効率や収益性のみで評価される存在ではない。地域社会を支える雇用、文化、教育、防災、環境保全といった多面的機能は、市場では十分に評価されにくいが、失われて初めてその価値が可視化される。熊の出没に象徴される現在の状況は、その喪失がすでに臨界点に近づいていることを警告している。
農の豊かさを失った社会に、持続可能な未来はない。農業を守ることは、国を守り、人間の尊厳を守ることである。そのために求められているのは、短期的効率ではなく、次世代へ何を手渡すのかという長期的視座に立った国家と社会の意思である。
