八重山の最前線から

【宮古島】島民の暮らしを置き去りにする「国民保護」

国民保護法が示す〝帰れない可能性〟

宮古島市議会議員 下地 あかね

 台湾有事がささやかれる中、宮古・八重山諸島の住民は「島外避難」との方針が当然のように語られている。宮古島市の住民5万5千人も例外ではなく、学区ごとに九州方面へ分散避難する計画が示されている。しかし、その想定は本当に地域の安全と尊厳を守るものなのか。行政が当然の前提のように進めれば進めるほど、憤りよりも先に、乾いた虚無感が押し寄せる。
 嘉数市長は受け入れ自治体である九州4県へ自ら足を運び、避難体制の協力を進めてきたという。しかしそれは裏を返せば、島に生きる人々が故郷を離れることを前提にした政策を、自ら整えているということではないか。行政トップが率先して島を後にする準備を進める姿には、島の住民としては複雑な思いが募る。
 11月14日に与那国・石垣・宮古・うるまの市町村議員や住民と、各関連省庁との政府交渉が行われ、私も質問を出した。
 長射程ミサイルの配備が予定される熊本市などは、国際法上の「軍事拠点」とみなされ、攻撃対象となり得る。にもかかわらず、私たちがそこへ避難することに合理性はあるのか。
 ――政府の回答は「避難地は図上訓練の設定に過ぎず、実際の避難先は状況に応じて決める」というものだった。しかし宮古島市長は避難先自治体を訪問し、「実務者協議に向け進展した」とにこやかに報告していたはずではなかったか。もし単なる「訓練用の設定」なら、市長の受け入れ自治体へのあいさつは何だったのか。両者の説明はあまりに食い違っている。

島民の命をどう守るかの視点ナシ

 政府の回答は、実際の議論を避けるための言い逃れではないか。実際には熊本はじめ避難地はすでに内々に決まっており、住民の議論を避けるため「設定に過ぎない」と言い逃れをしているのではないか。そんな疑念が拭えない。
 政府交渉では復旧・復興についても確認が行われたが、回答は「全ての武力攻撃終了後に検討する」というもの。これは国民保護法第171条で「事後に別の法律で対応する」と規定している以上、予想通りの返答に過ぎない。言い換えれば、復旧・復興は最初から確約されておらず、住民が後にどれほど声を上げても、法制度としては原則、「どこまで復興するかは白紙」という仕組みが既に出来上がっているということだ。
 太平洋戦争では硫黄島の住民が島外避難したが、80年たった今も戻れていない。政府は「インフラ復旧が困難」と説明するが、つまり復旧の約束がなければ帰還も約束されないという現実を示している。インフラ復旧はそのまま「住民が帰還できるか否か」につながるのである。
 さらに、住民の集中する地域に軍事目標を置いてはならないという国際人道法の原則について、内閣官房は「平時には違反ではない」「有事になってから可能な限りで対応すればよい」と回答した。文言上の解釈に逃げ、島民の命をどう守るのかという核心は置き去りにされている。
 書類上の整合性を優先する国、国の方針に受け身の首長、補助金だけを見て配備を歓迎する議員たち。その姿に、島の未来を真剣に案じている人がどれほどいるのか、ふと疑問を抱く。
 島に生きる者の視点で、避難計画の妥当性を問い直す議論こそ、いま最も求められているのではないだろうか。