動画・UIチャンネル 沖縄編「6・23慰霊の日」特集に取り組んで

 松代大本営から見える「加害」の責任と構造的差別

沖縄―長野結び、希望見いだす

Circle of Friends実行委員会/河原 弥生さん、小橋川 共仁さんに聞く

河原さん(右)と小橋川さん

「慰霊の日」へ番組制作

河原弥生さん(以下、河原)
 「Circle of Friends実行委員会」は、東アジア共同体研究所の委託を受け、YouTube動画「UIチャンネル 沖縄編」を制作しています。外交・安全保障、経済、文化、環境などをテーマに沖縄が抱えるさまざまな問題を発信し、沖縄の現状についてより深い理解を促すことを目的としています。
 今年は戦後80年という節目の年です。戦争を直接経験した世代が減少する中、歴史を正しく伝えることが重要視されています。そこで、6月の沖縄編では「慰霊の日」に合わせた特集を企画しました。
 本編では三つのテーマを軸に動画を制作します。まず、「構造的差別」に着目し、沖縄が直面する問題を歴史的背景とともに検証します。政治・軍事・経済的要因がどのように沖縄の社会に影響を及ぼしてきたのかを分析し、その構造的な要因を明らかにします。
 次に、戦争の「加害と被害」の両面を考察します。戦争は被害だけでなく加害の側面も含むため、その双方と向き合うことで戦争の本質をより深く理解することを目指します。
 最後に、「歴史教育の重要性」を取り上げます。過去の出来事を正しく学ぶことで、戦争の悲劇を繰り返さないための手段を探り、沖縄が置かれている状況をどう打破するか、教育が果たす役割を含め是正策を提案します。
 動画は、【慰霊の日 特集】「沖縄戦と長野―今も続く構造的差別」です。6月23日から末尾のQRコードで見ることができます。
小橋川共仁さん(以下、小橋川) 沖縄戦といえば首里城地下にある第32軍司令部壕の存在は欠かせません。現在、第32軍司令部壕の保存・公開に向けた動きがありますが、その壕は戦闘を長引かせた本拠地でもあります。沖縄戦における加害と被害の両面から見ると、本土決戦に備えて構築した松代大本営地下壕建設との関係が浮かび上がってきます。
 ここを明確にするため、長野へ赴き、松代大本営の研究を続けてきた土屋光男さんや、強制労働の実態を伝えている原昭己さん、沖縄「平和の礎」名前読み上げの集いを立ち上げた野池道子さん、沖縄の問題に関心を寄せる信州大のグループ「沖縄と私たち」の皆さんにインタビューしました。
河原 沖縄と長野の関わりは、沖縄・糸満市にある「糸洲の壕」からも窺い知ることができます。「糸洲の壕」は、沖縄戦末期に長野県佐久市出身の軍医が野戦病院として使用した場所です。この壕の保存・活用を目的として、佐久市は「糸洲の壕」環境整備事業を実施し、戦争の記憶を未来へつなげる取り組みを進めてきました。
 この事業について佐久市教育委員会の有賀大祐さんからお話を伺いました。さらに、佐久市出身で現在、沖縄で平和ガイドをされている井出佳代子さんの案内のもと「糸洲の壕」に入りました。井出さんは沖縄戦の実相を伝える活動を続けています。

沖縄戦の長期化招いた
松代大本営地下壕

小橋川 松代大本営地下壕は、太平洋戦争末期に政府機関の避難施設として建設され、天皇の移転も検討されました。その建設は沖縄の「10・10空襲」(1944年)の直後に始まり、終戦直前に完成したとされています。
 完成前の6月下旬に第32軍の牛島満中将は、松代大本営地下壕がほぼ完成したとの一報を受け、「最後まで闘え」と命令を下して自決しました。この命令によって、沖縄戦のさらなる長期化と多くの住民が犠牲となりました。
河原 松代大本営の地下壕建設については、朝鮮人労働者が強制的に動員され、過酷な環境下で危険な作業を強いられました。ダイナマイトによる掘削で多くの犠牲者が出たほか、一部の朝鮮人女性は日本へ帰化させられ、慰安婦として働かされたと証言を残しています。この建設の背景には、軍主導の構造的な差別が深く関わっていました。
 また、松代大本営の隣には「もうひとつの歴史館・松代」があり、従軍慰安婦や朝鮮人労働者の強制徴用の歴史も記録されています。ガイドの原昭己さんの説明を聞き、地下壕建設と沖縄戦との関係性がより明確化され、沖縄戦を考えるうえで重要な視点となりました。
小橋川 沖縄県は2012年に第32軍司令部壕の説明板から、住民虐殺や従軍慰安婦に関する記述を削除しました。同じように松代の地下壕の説明板からも朝鮮人労働者の記述について「強制的に」の4文字が削除された問題があったようですが、松代では世論によって文言を復活させました。また、沖縄では最近になって、牛島中将の「辞世の句」が出てくるなど戦争美化の兆しも取りざたされています。決して戦争を美化してはいけないと思います。
河原 加害の側面を取り上げようとしたときに、何かしらの社会的な圧力があるのは確かです。それは日本政府そのものだったり、歴史に対する認識が教育の段階で隠されたり、都合の良い解釈で加害の視点をうやむやにした結果だと言えるかもしれません。

体感した構造的差別
―一方で深い交流も

河原 長野県での取材をきっかけに、沖縄と本土の立場や価値観の違いが予想以上に大きいことを痛感しました。
 地元メディアの取材を受けた際、あるカメラマンに沖縄の基地問題について尋ねると、「沖縄は日本の『壁』」という言葉が返ってきました。この表現から、沖縄の実情に対する理解が十分ではなく、一部のメディアやSNSで飛び交うフェイクニュースなどを鵜吞みにしていると感じました。私はそのカメラマンに沖縄の基地問題の背景を詳しく説明しました。すると、彼は「沖縄から基地がなくなったら、日本の防衛はどうなるのか」と問い返してきました。
 このやり取りから、本土では沖縄の基地負担が当たり前のものとされがちであり、その背景にある構造的な問題が改めて浮き彫りとなりました。基地問題を安全保障の観点だけで考え、沖縄の歴史や社会的影響を十分に考慮しない姿勢に落胆しました。
 一方で、信州大学の「沖縄と私たち」の皆さんの活動には希望を感じました。彼らは、在沖米軍による事件・事故や過重な基地負担を沖縄だけの問題にとどめず、長野からも声を上げたいという思いから、沖縄戦について考える勉強会を開いています。8月には沖縄戦を学ぶために沖縄研修を予定しており、昨年、私たちが取材した沖縄戦体験者の金城利一さんからお話を伺うことになっています。
 また、沖縄の問題をテーマにした動画を制作し発信することを目指しており、その取り組みは「信濃毎日新聞」の若手記者によって継続的に取材されています。これにより、沖縄の問題が長野県でも徐々に可視化されつつあります。
小橋川 長野のメディアから取材されたとき、沖縄戦を体験した島袋文子さんから直接聞いた訴えを紹介しました。「私は血の混じった泥水を飲んだ。今の総理大臣にもその水を飲んでもらい、それでも沖縄に軍備を増強し、戦争をしたいと言えるのか問いたい」と。島袋さんの訴えは沖縄の民意を無視して軍備増強に走る日本政府への怒りです。
 そして、「沖縄に目を向けてほしい。沖縄で起きていることに本土の皆さんも一緒になって反対しないと日本全体が沖縄と同じことになると思います」と話しました。
河原 今回の取材を振り返って、長野県のメディアから取材されて良かったと感じました。「沖縄は日本の壁」だと発言したカメラマンも2日間、私の話に耳を傾けてくれました。相手の考えを聞き、自分の主張をぶつける。その中で、相手の思考の根拠を探り、本質を見極める、その繰り返しです。このやり取りがなければ、ただのぶつかり合いとなり、問題の解決にはつながりません。
 私の祖父母は戦争を体験し、困難な時代を生き抜いてきました。彼らの歩んできた道に思いを馳せ、戦争を繰り返さないための努力を続けます。そして、平和への歩みを後押しできるような動画を制作していきたいと考えています。


 最後に、3日間という過密な取材スケジュールではありましたが、どうしても阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪れたかったので、長野市から4時間かけて車で向かいました。国策として進められた満蒙開拓団は、軍事・経済・政治が絡む移民政策であり、多くの方が犠牲となりました。満蒙開拓平和記念館の事務局長・三沢亜紀さんに記念館を案内していただきました。閉館時間が過ぎても、私たちの質問に熱心に答えてくださいました(三沢亜紀さん、写真中央)。

 沖縄の現状も理解してくださり、連携していきましょうとそれぞれの場所での役割も確認しました。今回の慰霊の日特集では満蒙開拓については取り上げませんが、8月以降、UIチャンネルにて公開予定です。

西田昌司、神谷宗幣発言について

河原 沖縄のたどってきた歴史を一から、いや、ゼロから勉強した方が良いですね。完全に被害側の視点が抜け落ち、歴史の痛みを軽視しています。
小橋川 歴史の歪曲ともとれる発言ですよね。沖縄のオジー、オバーからは「戦争も体験したことのない人たちが噓を言って戦争を正当化するのは許せない、沖縄を見下すのはやめてほしい」との声が上がっています。仮に日本が沖縄にとって良い存在ならば、今頃は自衛隊によるミサイル配備や米軍基地は存在しないでしょうと疑問をぶつけたい。

動画【慰霊の日 特集】「沖縄戦と長野―今も続く構造的差別」